わらうりブー

自由で無限の「本来の自分」を思い起こすこと それを伝えるブログです。

「私」ってただの記憶の寄せ集め

で!(゚∀゚)

自分って、この体でも心でもない。「私」というのはニセモノで、ぜんぶ錯覚だったということに気づくには、どうすればよいのでしょう?

結局のところ、まずは観察者、つまり、

「見ているヤツ」

に、なって、ひたすら体と心を観察することから始めるしかありません。その「見ているヤツ」が、本来の自分なのですから。
(´∀`)

とても地味です。そして、慣れないうちは、意外と難しいと感じますし、「いったいこんなことしてどうなるねん?」とも感じます。
おまけに、試験問題やクイズのように、はっきりとした答えもありません。わかったのかわかってないのかもわからない。そんな状態が続きます。
そして、体と心の観察と言っても、人によってそのやり方やポイントは様々で、自分自身でそれを見つけて行くしかありません。
(´・ω・`)

まずは、心に目を向けましょうか。

とくに、不安とか、自己嫌悪感とか、嫉妬とか、そういったネガティブな感情に目を向けてあげてください。
今までは、それらが現れたら「操作」をして、その感情を打ち消したり、別の感情にすり替えたりしていたわけです。無意識に瞬時に。そういった「操作」をやめて、現れるままにすることを始めてください。
ほとんど無意識にいろんな「操作」をしようとしますので、よく注意して、いちばん純粋な最初に現れたネガティブな感情を取り出して、それを感じ切る。

感情が現れるときって、体にも何か反応が現れます。胸の中のモヤモヤとか、背中がチクチクとか、こめかみがキリキリとか、何かエネルギーのカタマリのようなものが体のどこかに現れるので、それをただよく感じてください。それが感じ切るです。


「私」だと思っているものは、

ただの記憶の寄せ集め

なんです。その記憶には、何かイヤなことがあって感情を「操作」して、うまくいった記憶もあって、そのときうまくいったから、それ以降も何回も、その方法を使うようになってしまっているんです。それが「クセ」になってるんですよね。その「クセ」をやめるようにするわけです。
その「クセ」のせいで、現れた感情が元いた場所に戻れなくなってしまっています。だから同じようなイヤなことが何回も起こるでしょ? 
それがホントの「引き寄せ」なんですけどね。元いた場所に帰りたいから、何度も同じことを「引き寄せる」わけです。
(´∀`)

すぐには「クセ」はなくなりません。何重にも積み重ねて強固になってますから。おまけに、いろんな「クセ」が絡まり合って複雑怪奇になってます。これをコツコツとほどいていくわけです。でも、エネルギーが元いた場所に戻れば、「クセ」も勝手に消えます。だから時間がかかります。一気にたくさんの「クセ」が吹っ飛ぶ人もいますが、それは稀です。そういうケースは、ほとんどが絶望のどん底に落ちる出来事があったときです。自分からそこに行くのはフツーは無理です(笑)
だから、コツコツとね。

高次の存在とか守護霊とかと、別に交信する必要はありません。
ヒーリングもする必要はありません。
いろんな瞑想法を学ぶ必要もありません。それらも「クセ」の一種です。
(´∀`)
別の新たな記憶を積み重ね、新たな「私」を構築してしまうだけです。

私たちはある出来事に対して反応という「操作」をして、その反応にまた反応して、そのまた反応の反応の反応…… みたいなことを繰り返してしるわけです。「よくしよう」と思って。そうやって無数の「操作」を積み重ねて、今に至るわけです。
その反応をひとつずつやめていくだけ。新しい知識も手法も必要はありません。
「よくしよう」と思わなくていいんです。

そして、迷子のようになっていた感情のエネルギーが、ちゃんと元にもどっていくと、「よくしよう」も次第に弱くなっていきます。
「よくしよう」がチカラを失ったとき、エネルギーは本来の方向に向かい出します。

すると、不思議なことが気づかぬうちに起こり始めるんです。

予想しもしなかったこと。でも、それは後になってわかるので、そのときはわかりません。
何日も、何か月も、何年も後になって、

「人生って神秘なもんだ」(・∀・)

って、気づのです。だって、実は、

ぜーんぶ「思い通り」になってたんですから。

(・∀・)♪

ロウバイ
IMG_6329
昨日写しました。春はすぐそこ。
甘い香りしたよ(´∀`)
@兵庫県加古川市

「がんばる」は逃げ道

私たちは「本来の自分」を忘れてしまって、自分は体であり心であると思い込んでいるわけです。自分を体や心と「同一視」しているわけです。
(・∀・)

「本来の自分」は「見ているヤツ」なのですが、その自分自身を見る観察者も、頭の中の思考の一部くらいにしか思ってません。これまた「同一視」

そして、この「同一視」によって、新しいナゾの存在が出現しました。それが、

「私」 (゚д゚)

です。ハイ。「自我」とも言います。「エゴ」とも言います。

「私」は体や心や思考を自分と同一視すること、つまり、体や心や思考を自分だと思い込むことよって生まれたナゾの概念です。
「私」は体が自分だと思っているので、自分は「個人」であり、他人とは別々だと思い込むようになりました。さらに言うと、体の外側は自分でない。体の内側だけが自分である。そう思うようになりました。そうして「本来の自分」を完全に忘れてしまったのです。「見ているヤツ」も「私」の思考の一部にしてしまいました。このことを、

「分離」

と、言います。「本来の自分」から離れて、「私」に分離したのです。これをイエスは「罪」と言いました。仏教では「無明」、「無知」と言います。
(´・ω・`)


さて、「私」として生きると、すべてが「苦」になります。なぜなら、本当の「幸福」は「本来の自分」でないとわからないからです。私たちは「本来の自分」を、思い起こさねば「幸福」にはなれません。「私」が「幸福」になるのはムリゲーなんです。

ただ、思い起こせと言われても、そんなに簡単にはいきません。簡単に思い起こせるなら、それって忘れてないのです。
何せ「物心つく」というのが、そもそも「私」の始まりみたいなもんで、その歴史は長い。おまけに、個人の「私」として生きるように、親からも社会からも徹底的に刷り込まれましたので、
「体って、じつは私とちがうんやで」
と、言ったところで、誰もが
「ハァ?」(`Д´)
と、なります。そんな状態から思い出すんですから、これまた、たいへんだ。
(´・ω・`)

でもね、少し時間はかかるけど、必ず思い出せますよ。偉くなくても、賢くなくても、誰でも思い出せますよ。
思い出しても最初のうちは、すぐ「私」に戻ったりしてしまいますが、だんだん戻らなくなって行きますから。「自律」してますので、「本来の自分」にまかせていればいい。

そう、今はわからない。すっかり忘れてしまっているというのも、大きな意味で「本来の自分」のストーリーの一部です。旋律、メロディーなのです。だから、まずは、

「忘れてしまってる」( ̄ー ̄)

と、ちゃんと認識しないとね。それが「ありのまま」ですから。
「忘れてしまっている、でも、これでいい」
と。
思い出せない、思い出したい、どうやったら思い出せるのか、と、騒ぎ立ててもそれは雑音にすぎません。自律したメロディーに覆いかぶせた雑音です。余計に本来のメロディーがわからなくなります。

だけど、雑音が少なくなると、エネルギーが「本来の自分」に戻り始めます。というか、雑音のほうにエネルギーを無駄遣いしていたわけで、それがあるべきところに戻り始めます。

エネルギーが本来の場所で動き始めると、自律したエネルギーになると、そのうち、ひょんなことで「あれっ!?」と、思い出しますよ。エネルギーに思い出させられます。いきなり思い出す人もいますが、徐々に思い出して行くような人もいます。それは人それぞれ。


今はまだ「見ているヤツ」が「本来の自分」という実感はありませんよね。そして、それが先人たちが言った、神で阿弥陀仏で大日如来で、おそらくアッラーでカーリー・マーでアマテラスだなんて思えないですよね。「これのどこが?」という感覚ですね。それは、エネルギーが無駄遣いされているからです。

このエネルギーはものすごい。ブッダは『智慧の光』と言いました。「苦」を照らし、闇をなくすのです。私たちは必死でがんばらなくても、エネルギーの無駄遣いをやめるだけで、「幸福」になって行くようになっているのですよ。

そう、「がんばる」

いっけん、前向きな強い言葉です。でも、「私」がいくらがんばっても「苦」もなくならないし、「幸福」にもなりません。そういう仕組みになっています。なぜなら、「私」が「がんばる」って、ほとんどの場合、「苦」からの逃げ道を試しているだけなのですから。結局、雑音なんですよ。前向きでもなんでもないんです。

「がんばる」という逃げ道を試さないで、とりあえず「苦」をそのまま受け入れる。不安なら不安をそのまま受け入れる。恐怖があるなら、恐怖をそのまま受け入れる。
「見ているヤツ」がそのまま見ている、今の自分自身が、「ありのまま」です。その「ありのまま」を受け入れる。

「ありのまま」を受け入れたら、それからエネルギーが本当にがんばるかどうかを勝手に決めて動き出しますので。それに従えばよいだけです。それでうまく行くのです。うまく行っていないように見えても、

「万事良好」(´∀`)

なんです。

「主の通る道をまっすぐにせよ」と、聖書に書かれていることは、こういうことです。

なんだか、取りとめのない文章になってしまいましたが、今日はこのへんで。
(・∀・)つ

春よ来い♪ 
IMG_4816
武蔵野台駅の河津桜@東京都府中市

シンプルでチンケなもん

鬼は外(ノ`Д´)ノ。゜゜。°゜。 

は、置いといて、

自分の体や心を観察してみましょう。
(´ー`)ノ

体の観察は、体の表面でなく内側を観察してください。冷たいとか熱いとか、痛いとか痒いとか、その感覚がどんな感じかを観察してみてください。
心の観察は、何を考えているかよりも、言葉に表現しにくいエネルギーのようなもの、モヤモヤーとか、ドヨーンとか、ワクワクとか、ドカーンとか。そんな心の中で動くエネルギーを体で感じて、それを観察してください。

こういうことって、あまりしてこなかったでしょ?
(・∀・)

美味しいものを食べたら、体や心がどんなふうに反応するか?
嫌いな人に会ったら、体や心がどんなふうに反応するか?

ちゃんと、その反応を見てこなかった人が大半だと思うんです。いつも、その反応を見る前に、いろいろ頭で「ジャッジ」したり、記憶の中から何かを引っぱり出してきたり。
そういった、頭の中の「おしゃべり」ばかりに気を取られている人が大半だと思います。こういった頭の中の「おしゃべり」を、「思考」といいます。
(・∀・)


さて、それはさておき、

観察している対象、体とか心は自分ではありません。なぜなら、観察をしている観察者こそが自分だからです。
頭の中の「おしゃべり」も観察できますよ。ということは、思考も自分ではありません。やっぱり観察している観察者が自分です。

この観察者、

「見ているヤツ」

これ、誰?(´・ω・`)

ハイ、自分ですよ、自分。「本来の自分」です。

最終的に「見ているヤツ」もいないんだとわかるのですが、それは今はまだいいです。とりあえず、この「見ているヤツ」が

「本来の自分」なんです!

(・ω・ノ)ノ

「見ているヤツ」わかりますよね? 客観的に自分自身を見ればいいのです。誰にでもできます。「いま何を考えてる?」と尋ねられると、答えられますよね。客観的に自分が何を考えているか見たから、答えられるのです。その頭の中を見た自分が「見ているヤツ」です。それだけのことです。

でも、多くの人は、この「見ているヤツ」が、この体の中にいるんだ、心にあるんだ、または思考の一部なんだと、

錯覚しているんです

カンチガイです。完全に (゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

この錯覚、カンチガイを「同一視」と言ったりします。「本来の自分」を体や心や思考と同一視しているわけです。そして、この「同一視」しているカンチガイに気づいて、そこから覚めたら「目覚め」と言います。

それだけのことです。ハイ。

ちょっと待ってよ。「目覚め」って、もっと衝撃的なもんでしょ? 
「見ているヤツ」のどこが「絶対の幸福」なんだよ?
「本来の自分」って、神で阿弥陀仏で大日如来なんでしょ? 「見ているヤツ」のどこが神様仏様やねん?(゚Д゚)

って、言いたくなりますよね。なんかチンケですよね。ええ、チンケなもんです。でも、ぶっちゃけ、これだけのことでなんですよ。とりあえず、あまり「目覚め」に特別なイメージを抱かないでください。その特別なイメージが、「目覚め」からあなたを遠ざけます。

めちゃくちゃシンプルでチンケなものなので、「目覚めた人」は、とくに

偉くもなんともありません( ̄ー ̄)

ブッダもイエスも親鸞も空海も、ムハンマドもシャンカラもミラレパも、そのへんの酒飲んで寝てるおっさんと大して変わりません。むしろ、そのへんのおっさんより変な人みたいな気すらします。

だから、みなさんも目覚められます。「絶対の幸福」を知れます。「天国」に行けます。とてもシンプルで簡単なんです。なんせ、このウリエルもわかったくらいですから。変な人なので。
( ̄ー ̄)

逆にシンプルでチンケすぎるので、どれだけ本を読んでも、どれだけ知識をため込んでも、どれだけ大枚をはたいても、どれだけ瞑想しても、どれだけマントラを唱えても、どれだけ修行しても、どれだけ山奥にこもっても、どれだけ前世を思い出しても、どれだけ宇宙人と交信しても、どれだけセルフチャネリングしても、

わかりまへんで(・∀・)つ


まずは「見ているヤツ」になって、上に書いたような観察をたくさんしてみましょうか。
(´∀`)

北海道庁赤れんが庁舎
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@北海道札幌市





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プロフィール

笑うウリエル

「わっかっちゃった人」俗に「覚醒した人」というらしい。
この世が面白くて楽しくて仕方なく、それをみんなに言いふらしたいだけのバカ。旅人でもあり、言いふらしにどこへでも行くもっとバカ。
ちなみに職業は、たこ焼屋さん

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