わらうりブー

自由で無限の「本来の自分」を思い起こすこと それを伝えるブログです。

シンプルでチンケなもん

鬼は外(ノ`Д´)ノ。゜゜。°゜。 

は、置いといて、

自分の体や心を観察してみましょう。
(´ー`)ノ

体の観察は、体の表面でなく内側を観察してください。冷たいとか熱いとか、痛いとか痒いとか、その感覚がどんな感じかを観察してみてください。
心の観察は、何を考えているかよりも、言葉に表現しにくいエネルギーのようなもの、モヤモヤーとか、ドヨーンとか、ワクワクとか、ドカーンとか。そんな心の中で動くエネルギーを体で感じて、それを観察してください。

こういうことって、あまりしてこなかったでしょ?
(・∀・)

美味しいものを食べたら、体や心がどんなふうに反応するか?
嫌いな人に会ったら、体や心がどんなふうに反応するか?

ちゃんと、その反応を見てこなかった人が大半だと思うんです。いつも、その反応を見る前に、いろいろ頭で「ジャッジ」したり、記憶の中から何かを引っぱり出してきたり。
そういった、頭の中の「おしゃべり」ばかりに気を取られている人が大半だと思います。こういった頭の中の「おしゃべり」を、「思考」といいます。
(・∀・)


さて、それはさておき、

観察している対象、体とか心は自分ではありません。なぜなら、観察をしている観察者こそが自分だからです。
頭の中の「おしゃべり」も観察できますよ。ということは、思考も自分ではありません。やっぱり観察している観察者が自分です。

この観察者、

「見ているヤツ」

これ、誰?(´・ω・`)

ハイ、自分ですよ、自分。「本来の自分」です。

最終的に「見ているヤツ」もいないんだとわかるのですが、それは今はまだいいです。とりあえず、この「見ているヤツ」が

「本来の自分」なんです!

(・ω・ノ)ノ

「見ているヤツ」わかりますよね? 客観的に自分自身を見ればいいのです。誰にでもできます。「いま何を考えてる?」と尋ねられると、答えられますよね。客観的に自分が何を考えているか見たから、答えられるのです。その頭の中を見た自分が「見ているヤツ」です。それだけのことです。

でも、多くの人は、この「見ているヤツ」が、この体の中にいるんだ、心にあるんだ、または思考の一部なんだと、

錯覚しているんです

カンチガイです。完全に (゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

この錯覚、カンチガイを「同一視」と言ったりします。「本来の自分」を体や心や思考と同一視しているわけです。そして、この「同一視」しているカンチガイに気づいて、そこから覚めたら「目覚め」と言います。

それだけのことです。ハイ。

ちょっと待ってよ。「目覚め」って、もっと衝撃的なもんでしょ? 
「見ているヤツ」のどこが「絶対の幸福」なんだよ?
「本来の自分」って、神で阿弥陀仏で大日如来なんでしょ? 「見ているヤツ」のどこが神様仏様やねん?(゚Д゚)

って、言いたくなりますよね。なんかチンケですよね。ええ、チンケなもんです。でも、ぶっちゃけ、これだけのことでなんですよ。とりあえず、あまり「目覚め」に特別なイメージを抱かないでください。その特別なイメージが、「目覚め」からあなたを遠ざけます。

めちゃくちゃシンプルでチンケなものなので、「目覚めた人」は、とくに

偉くもなんともありません( ̄ー ̄)

ブッダもイエスも親鸞も空海も、ムハンマドもシャンカラもミラレパも、そのへんの酒飲んで寝てるおっさんと大して変わりません。むしろ、そのへんのおっさんより変な人みたいな気すらします。

だから、みなさんも目覚められます。「絶対の幸福」を知れます。「天国」に行けます。とてもシンプルで簡単なんです。なんせ、このウリエルもわかったくらいですから。変な人なので。
( ̄ー ̄)

逆にシンプルでチンケすぎるので、どれだけ本を読んでも、どれだけ知識をため込んでも、どれだけ大枚をはたいても、どれだけ瞑想しても、どれだけマントラを唱えても、どれだけ修行しても、どれだけ山奥にこもっても、どれだけ前世を思い出しても、どれだけ宇宙人と交信しても、どれだけセルフチャネリングしても、

わかりまへんで(・∀・)つ


まずは「見ているヤツ」になって、上に書いたような観察をたくさんしてみましょうか。
(´∀`)

北海道庁赤れんが庁舎
IMG_1965
@北海道札幌市





人生はサバイバルじゃないよ

多くの人が人生を「生存競争」だと思っています。
(`-ω-´)

努力をせずなまけていたり、間違った選択をすると、この「生存競争」の敗者になる。敗者になると、楽しくないだけではなく、残念で悲惨で人生になる。そんなふうに思っています。

この人生を豊かで安定した、楽しい人生にするには、この「生存競争」で勝ち残らなければなりません。人生は終わることのないサバイバル・ゲーム。人間だけではない。あらゆる生き物が、この厳しい「生存競争」の中で闘っているのだ。そんなふうに思っています。

今よりも少しでもよくなるように、そして、今あるものを失わないように。
自分が少しでも有利になるように、そして、少しでも不利にならないように。
攻撃と防御、正しい選択。そんな闘いに次ぐ闘いを繰り返します。
(`-ω-´)

でもね、あらゆる生き物が「生存競争」してるなんて考えているのは、実は私たち人間だけなんですよ。
(´・ω・`)?

動物や鳥や魚、虫たち、そして木や花も、その生を謳歌しています。

みごとに謳歌しています

「勝ち組」だけが謳歌しているのではありません。そもそも、彼らに「勝ち組」も「負け組」もありません。私たち人間がサバイバルをしているので、彼らもそうに違いないと、そう「見える」だけです。でも、その人間がサバイバルをしているなんてのも、ただの

思い込み(´・ω・`)

なのですよ。

もちろん、彼らもサバイバル・モードになるときがあります。身の危険が迫ったとき。そのときは生存をかけて必死に闘ったり、逃げたりします。でも、それ以外は本当に自由にのほほんと生きています。今日という日を満喫しています。明日も生きるために、今日正しい選択をせねばなど、思いもしてません。
私たち人間だけが、24時間365日、常時サバイバル・モード。
(´-ω-`)

あのね、本当は、私たち人間も、動物や鳥たちと同じように、今日をのほほんと生きているんです。でも、のほほんと生きていることを忘れているんです。攻撃と防御という闘い、正しい選択、こういったものに生きるエネルギーを注いでいるときも、その根底には、

のほほんがあるのです

この、のほほんのほうを見ていないだけです。
(・ω・)?

んで、この、のほほんの正体が「本来の自分」なのです。

今、どんなにつらい状況にあっても、同時にのほほんはあります。というか、それ、ぜんぜん、つらい状況じゃないんです。つらいと「ジャッジ」しているだけ。病気やケガで肉体が痛いときですら、のほほんの正体である「本来の自分」はのほほんとしている。
(´∀`*)
私たちはこの、のほほんのほうにもっと注意を向けなければなりません。

そして、この、のほほんには、のほほんそのものの流れがあります。それは、

「自律」

と、よく表現されています。「自立」ではありません「自律」
(´・ω・`)
あまり使わない難しい言葉ですね。辞書で調べてみても、なんかピンと来ないでしょ?
ええ、ピンと来なくて正解です。辞書に書いてある意味ではないんですよ。この「自律」は。

この「自律」は、「生」そのものが独自のストーリーを持っているという意味です。
私たちが頭で考えて選択して行動して生きているのではない。この私たちの「生」そのものが、私たちの体や心を使って、勝手に生きているという意味です。のほほんが生きていて、体や心が生きているわけではない。個人の「私」が闘いと選択で生きているわけではない。そういう意味です。

私たちはこの「生」に、のほほんに、「本来の自分」に、サバイバルに使っているエネルギーを戻す必要があります。

今、どんなにつらくても、のほほんから見ると、

万事良好(´∀`)

なのです。なので、エネルギーを戻せば、もっとラクチンに生きれるわけです。


イエスが語った、「空の鳥をよくみなさい」という一節は、こういうことなのですよ。


春よ来い♪
IMG_8545
@兵庫県加西市

リラックスもするもんでない

感情をコントロールして、無理やり前向きになったり、無理やり感謝したところで、人生がよくなることはありません。ましてや「幸福」にもなりません。

現れる感情のエネルギーを変えたり、消したりする操作は、本人は「よかれ」と思ってやっているわけですが、結局は同じところを堂々巡りするか、新たな「苦」を生み出すだけです。

ということで、

「リラックス」もせんでいい(´・ω・`)

ですよね。ここまで書いたら、もうおわかりかと思いますが、「リラックス」も「する」ものではありません。自然にそうなるものです。よく、

「まずはリラックスしましょう」(´□`。)

なんて言いますが、それがもう感情の操作です。操作してリラックスした状態を作り出しても、それは心の表面だけがそうなるだけで、表面の下はなーんも変わってないです。落ち着きのないエネルギーはそのまま残ってます。
(´・ω・`)

どんな感情の操作も、「ありのまま」ではありません。唯一、していい操作は、「感情をコントロールしない」という操作、

操縦桿から手を放す

だけです。


さて、(・∀・)ノ

「感情をコントロールしない」というコントロール、これをしようと思ったら、まず、現在の感情がどんなものか見ないといけませんよね。

イライラしてるとか
ザワザワしてるとか
モヤモヤしてるとか
ビクビクしてるとか

客観的に自分自身の心を見ないことにはできませんよね。
「ああ、私の心は今、イライラしている」
「オレの心は今、ドーンと沈んでいる」
そんなふうに心を見て、さらに、その中に現れているエネルギーを見ないことにはできません。「私」自身を見ないといけませんよね。

では、その「私」を見ているのは、

いったい誰なんでしょう?

その「私」を見ているのも、もちろん「私」だと、ほとんどの人が思っているわけです。
(´・ω・`)?

でもね、結論を言ってしまうと、その見ている存在は、実は「私」ではないんです。そいつが、

「本来の自分」

です。ハイ。

工工工エエエエェェェェ(゚Д゚)ェェェェエエエエ工工工

ですよね(´∀`)

そいつを私ウリエルは、「見ているヤツ」と呼んでますが、その「見ているヤツ」の方が、

「本来の自分」(・∀・)

なのれす。ハイ。

かんたんです。ハイ。

ただ、「本来の自分」は広大無辺なので、それだけではないんですけど。

でも、まあ、とりあえず、その「私」を見ているほうが「本来の自分」だと認識してみてください。今まで、それも「私」だと思い込んでたわけでしょ? でも、そうじゃないんだって。
(´∀`)

その「見ているヤツ」のほうになって、じっと自分を観察していると、「リラックス」って、どこからともなくやってきませんか? いつもではないけど、やってくるときありますよね。
それが本当の「リラックス」なんですよ。

んで、多くの人がこの「見ているヤツ」と「見られているヤツ」が、ごっちゃになって、どっちも「私」だと思い込んでいるから混乱しているわけです。
おまけに、この思い込みは、子どものときからずっとやり続けてしまっているので、簡単には解けません。こんなこと言っても、
「だから、何なんだよ!」
って、反発してきますよね。

そう、私たちは「本来の自分」に気づきたくないのです。

それくらい、「私」のままでいて、「苦」を体験しているほうが、楽しいのです。
(・ω・ノ)ノ


小舞子浜
IMG_4008
@石川県白山市
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プロフィール

笑うウリエル

「わっかっちゃった人」俗に「覚醒した人」というらしい。
この世が面白くて楽しくて仕方なく、それをみんなに言いふらしたいだけのバカ。旅人でもあり、言いふらしにどこへでも行くもっとバカ。
ちなみに職業は、たこ焼屋さん

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