わらうりブー

自由で無限の「本来の自分」を思い起こすこと それを伝えるブログです。

重荷の運び手(´・ω・`)

ごきげんよう(・ω・)ノ

記事を書くことを休憩しておりました。

というのも、私ウリエルが何か大きな「移行期」のようなものに差し掛かっているようで、今はまったく何も「わからない」のです。まったく「わからない」、未知の世界に進んで行っているようです。
(・∀・)

少年から大人になっていくような、そんな感じでしょうか。学校を卒業して、新しい世界に歩んでいくような感じです。そこはまだどんなところかわかりません。かといって、再び学校に戻ることもできません。というか、もう戻りたいとも思いません。
学校はじゅうぶん味わったので、これ以上いくらいても仕方ない。そんな感覚になっております。


今までスピリチュアルで気づいた様々なことですら、慣れ親しんでしまっては、それは『真実』ではない。そんな理解があります。

『真実』はこうだ!(・∀・)ノ

そう言ってしまった瞬間、それはもはや『真実』ではなくなる。しょーゆーことです。

「今まで知ったことも、すべて置いて行こう」

そんな気持ちになり、未知の「わからない世界」へと流されて行っています。
(・∀・)


『真実』はこうだ!

これが「自分」だ!

こう言ってしまった瞬間、新たな問題が起こる。あらゆる問題は、何かを決めつけるから発生する。だとしたら、なーんも

「わからない」(^∀^)

「知らない」(^∀^)

ままに、流されて行ってみようかなと。そんな気分でおります。


そもそも、自分が誰なのか、誰ひとり「わからない」のです。この自分は人間ですらありません。神様でもありません。魂でも霊でもない。自分はこういう存在だと定義することなどできないのです。どんなものにも収まりません。

「わからない」はとてもいい気分です。自分は「わかっている」とか「知っている」とが、

すべての重荷の運び手

だったのですから。なので、「わからない」は最高に軽いです。最高にラクチンです。
(´∀`)

「わからない」(^∀^)

「知らない」(^∀^)

で、いいんです。

幼いころはなぜ今よりずっとシアワセだったのか? 
何も「わからない」し「知らない」だったからでしょう?
だから重荷もなかったんじゃないかな?
(´∀`)


とまあ、何書いてるか相変わらずよくわかりませんが、なんせ、自分自身が

「わからない」(^∀^)

「知らない」(^∀^)

なので、しょうがないですね。ハイ。「無知の知」って言った人、エライわ。


ということで、ちょうど4月新年度ですので、第七章にでもして、

また、なんかテキトーに記事でも書いていきます。


毛馬桜ノ宮公園(・∀・)
IMG_1877
@大阪市都島区

「規制とルール」

さてさて、私ウリエルの日常も少し平静さをとりもどし、

WBCもオータニさんの独壇場で、最高の結果で終わりましたので、また、ぼちぼち記事を書いていきましょうかと。
それにしても、まるでオータニさんのために大会をしたみたいでしたね。
(^ω^)


人生は野球のように「ゲーム」だと見ることもできます。
この「意識」の中で展開するゲームです。
(・∀・)

ゲームなので、なんでも思い通りにスイスイと事が運んでしまうと、ちっともおもしろくありません。真剣味も薄れます。途端につまらなくなってしまいます。
やっぱりなかなか達成できなかったり、些細なミスで大きく展開が変わったり、とても越えられなそうにないピンチが出現したりと、困難が次々にやってこないとゲームとしてはおもしろくないんです。

つまり、私たちは、「苦」を「意識」の中にわざわざ作り出して、それを楽しんでいるんです。
そもそも、まず「苦」がないと、楽しいやうれしいといった「歓喜」もわかりませんし、「苦」はゲームをとても味わい深くおもしろいものにする、必要不可欠な要素です。

ゲームを楽しむには

「苦」をつくらないといけない

わけです。


そして、「苦」をつくり出すには、何か規制やルールが必要です。
(・∀・)ノ

例えば、高校野球は高校生しかできないという規制があります。高校生同士がやるから、ゲームになります。高校生とメジャーリーガーでは、ゲームになりません。
また将棋の駒は、それぞれ動き方が決まっているというルールがあるからゲームになります。どの駒も自由に動けたら、そんなもん将棋になりません。きっちりと厳密にそのルールを守らないと、ゲームになりません。

そして、この人生という「ゲーム」も、規制とルールがあって、それらは厳密に守られています。

例えば、働いたり、何か買ったりして、お金が増えたり減ったりします。これはとても厳密なルールに乗っ取ってプレイされています。何か買い物をすると、お金が減ります。買い物をしたら財布の中身が10倍になったということは、まず起きません。それどころか一円も増えません。かなり厳密に、徹底してルールは守られています。

仮に何かを買って、お金が10倍に増えたらどうでしょう? 
(・ω・)?
あなたは、どんどん買い物を続けるかもしれません。いくら買ってもお金が増えて行きます。すると何かを手に入れる喜びは失われます。もういくらでも手に入るので、反対にもういらないと思うでしょう。
のどか渇いたときに飲む水は、とても有難く美味しいです。でも、10㍑、100㍑と、飲め飲めもっと飲めと水が溢れてくると、もうやめてくれと叫ぶでしょう。それと同じことになりますね。お金なんかなくなればいいと感じるかもしれません。ゲームの破綻が起きます。

でも、お金のルールはかなり厳密に守られているので、そんなことは起きません。

お金以外でも、ルールはものすごく厳密に守られています。ある日、家のドアを開けたら、外がアフリカの草原になっていたと言うことは起きません。ラーメンを食べようと思ってお湯をいれたら、お寿司になったということも起きません。この現実世界のルールは、かなり厳密に徹底して守られています。
(`-ω-´)

ゲームを楽しむために、規制とルールがあり、その中での「苦」があります。規制とルールを撤廃すると、「苦」も消失します。「苦」が消失したならば、

「歓喜」

も、わからなくなります。

楽しいうれしいといった、ゲームのおもしろさも消失しますし、もはやゲームとしては成り立ちません。破綻します。
(´・ω・`)

だから、「規制とルール」を設定して、

「苦」をつくらないといけない

のです。


あなたは「苦」をつくらないといけないから、つくったんですよ。自らつくったんです。人生をおもしろく楽しいものにするために、わざわざ規制とルールをこしらえて、そこから生じる「苦」をつくんたんです。
(^ω^)
それを見て体験して楽しんでいるのです。そのことに気づいてください。よく注意して、この「苦」が、自分が望んでいるものであることに、気づいてください。


ただ、

「規制とルール」(・∀・)ノ

家のドアを開けたら、アフリカの草原にはならないという規制、これはいると思います。

でも、

お金を使ったら減るとか、
気持ちが通じ合わないと仲良くなれないとか、
これをしたら、またはしないと病気になるとか、

そういう「規制とルール」は、

いつまでも必要か?

という話になってきます。



ああ、書くの疲れた。続きは次回。
( ̄ー ̄)ノ


道端の木
IMG_1857
@兵庫県姫路市



おまかせ(・∀・)

ちょっと今、いろんなことが一斉に起こってバタバタしているせいか、
記事を書くことが思いつきません。
( ̄ー ̄)

いつもなら、なんかテキトーに思いついて、テキトーにパパっと書いて行くんですけどね。勝手に手が動いていく感じで。まあ、こんなときもあるんでしょう。

ということで、雑談&質問の回にいたします。

なんでもテキトーに書いてください。初めての方も遠慮なく。そうでない方も遠慮なく。
( ̄ー ̄)


まあ、ようするにスピリチュアルって、この世界を楽しんでいることに「気づく」だけです。不安や心配、悩みや葛藤すら楽しんでいるのです。

気づいてしまうと、あとは好きなように生きればいい。好きなように生きて、あとは

「おまかせ」(・∀・)

どうなるかはお楽しみ。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


気づきにも深みがあって、その深さは底なしで終わることはありません。深くなるほど楽しみも深くなります。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


ま、そんなこったで、あとはテキトーに。

では、とりあえず、冷凍庫の入れ替え作業を今から仕事の合間を縫って行います。

ごきげんよう( ̄ー ̄)


通りすがりで出会った満開の桜
IMG_1838
早咲きですね。なんて品種だろう?(・∀・)
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@兵庫県姫路市

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プロフィール

笑うウリエル

「わっかっちゃった人」俗に「覚醒した人」というらしい。
この世が面白くて楽しくて仕方なく、それをみんなに言いふらしたいだけのバカ。旅人でもあり、言いふらしにどこへでも行くもっとバカ。
ちなみに職業は、たこ焼屋さん

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