「本来の自分」が、この世界を創り出しています(・∀・)
その創造した世界は、「二元」の世界です。分離した「私」という個人を創ってしまったので、「私」と「私以外」という、ふたつの概念が出来上がってしまいました。肉体の皮膚の内側が「私」で、外側が「私以外」というふうにです。
「私」がないことには「私以外」もないし、「私以外」がないと「私」もありません。
こんなふうに相反するものふたつを対比することでしか、ものごとを認識したり理解したりすることができません。これが「二元」の世界です。
(´・ω・`)
「晴れ」と「雨」
「高い」と「低い」
「寒い」と「暑い」
「正しい」と「間違い」
「善」と「悪」……
ありとあらゆるものを理解するのには、相反するふたつのものを対比しないと、なにもわかりません。
もし、「雨」の日がなかったら、ずっと「晴れ」です。そうすると、もうそれを「晴れ」と思うことすらできません。「雨」を知らないのですから。単なる「そら」です。
「プリン」と名付けられた食べ物は、「プリン以外」の食べ物がないと。それを「プリン」と認識できないのです。もし、この世に食べ物が「プリン」しかなければ、それを「プリン」と呼ばなくていいし、「甘い」とか「辛い」という概念もいりません。単に「食べ物」と呼べばいいのです。
わかりますか?(・∀・)
そして「二元」の世界は、どんどん細かくすることができます。
「プリン」にも「おいしい」と「まずい」があって、さらに「おいしい」にも「あの店よりおいしい」とか「あの店の方がおいしい」とか、どんどん細かく細かく分けて行くことができます。フォーカスするところ、注目するところを、小さく小さく、細かく細かくすることができますね。
そして、分離した「私」は、この小さく細かくする作業が、
大好きです(・∀・)
大好きなんです。このことを知っておいてください。
どんなことでも、小さく細かく、重箱のスミのスミまで知っている人を、「専門家」とか「知識人」と呼んだりしてあがめたりしてますよね。
また、こっちのプリンのほうが十円安いとか、高いとか気にしたり。
(´∀`)
そんな感じで、あらゆるものを細かく細かくふたつに分けて行くことが大好きです。それが分離した「私」のサガです。そういうもんだと知っておいてください。
んで、
ではでは、です。
「本来の自分」に戻ろうとしているのなら、この分離した「私」と反対の方向に向けばよいのです。小さく小さく、細かく細かくする方向の反対、つまり、どんどん
「おおざっぱ」(・∀・)
の方向に。(´∀`)
こっちのプリンも、あっちのプリンも、どっちも甘くておいしいよね。
こっちの方向に(・∀・)ノ
さらに、プリンがない。だったらダイフクでもミカンの缶詰でもいいや。どれも甘いデザートじゃん。おいしいよ。
さらに、甘いものがない。なら塩辛でもタクアンでもいいよ。甘くなくても、なんか口に入ったらいいじゃん。甘いものも辛いものもどっちもおいしいよ。
さらに、甘いものも辛いものもない。ならもうべつに食わなくていいじゃん。
こんなふうに、どんどん「おおざっぱ」にね。
(´∀`)
キューッとフォーカスしている視点を、どんどん後ろにバックして広げて行く感じです。
小さいところにフォーカスすればするほど、「苦」が増える仕組みになっております。それは、今までの体験でなんとなくわかるでしょ?
その「苦」を取り除こうと、相反するもの、「楽」を取りに行く。そして、「苦」と「楽」ふたつの両端を行ったり来たりし続けます。小さくて細かいところにフォーカスしている限り、それは永遠に終わることはありません。
フォーカスするのをやめて、一歩さがって見てください。すると、「どっちも大差ない、同じじゃね?」って、なりますよね。
(・∀・)
そうやって、どんどん、どんどん、後に下がって行きますと、最終的に、
「私」も「私以外」も同じじゃね?
に、なるんですけどね。
(´∀`)
それが「全体」、すなわち「ワンネス」です。「ワンネス」を体現している人は、よーするに、
とんでもなく「おおざっぱ」な人
です(・∀・)
「おおざっぱ」な方向に進んでいいんですよ。進むというか後退してください。現代の社会は、小さく小さく細かく細かく細分化されてて、小さく小さく細かく細かく進み、それを考えられる方が「よい」とされいる傾向がありますよね。でも、すべてのことは究極的に、
どっちでもええねん(・∀・)
ということばかりです。
この「どっちでもええねん」のことを、ブッダは「中道」と言い、儒教では「中庸」と言います。
小さく小さく細かく細かく言うと、そうじゃないんですが、ここは「おおざっぱ」に。
(・∀・)つ
あ、このことを、もう少し小さく小さく、細かく細かく説明しましょうか(笑)
続きは、次回以降に。ではでは。
(´∀`)ノ
なぜか九州に散見される、
黄色いポスト(・∀・)
@宮崎県宮崎市・青島海岸
@鹿児島県指宿市・西大山駅
@宮崎県高千穂町・高千穂峡(・∀・)
その創造した世界は、「二元」の世界です。分離した「私」という個人を創ってしまったので、「私」と「私以外」という、ふたつの概念が出来上がってしまいました。肉体の皮膚の内側が「私」で、外側が「私以外」というふうにです。
「私」がないことには「私以外」もないし、「私以外」がないと「私」もありません。
こんなふうに相反するものふたつを対比することでしか、ものごとを認識したり理解したりすることができません。これが「二元」の世界です。
(´・ω・`)
「晴れ」と「雨」
「高い」と「低い」
「寒い」と「暑い」
「正しい」と「間違い」
「善」と「悪」……
ありとあらゆるものを理解するのには、相反するふたつのものを対比しないと、なにもわかりません。
もし、「雨」の日がなかったら、ずっと「晴れ」です。そうすると、もうそれを「晴れ」と思うことすらできません。「雨」を知らないのですから。単なる「そら」です。
「プリン」と名付けられた食べ物は、「プリン以外」の食べ物がないと。それを「プリン」と認識できないのです。もし、この世に食べ物が「プリン」しかなければ、それを「プリン」と呼ばなくていいし、「甘い」とか「辛い」という概念もいりません。単に「食べ物」と呼べばいいのです。
わかりますか?(・∀・)
そして「二元」の世界は、どんどん細かくすることができます。
「プリン」にも「おいしい」と「まずい」があって、さらに「おいしい」にも「あの店よりおいしい」とか「あの店の方がおいしい」とか、どんどん細かく細かく分けて行くことができます。フォーカスするところ、注目するところを、小さく小さく、細かく細かくすることができますね。
そして、分離した「私」は、この小さく細かくする作業が、
大好きです(・∀・)
大好きなんです。このことを知っておいてください。
どんなことでも、小さく細かく、重箱のスミのスミまで知っている人を、「専門家」とか「知識人」と呼んだりしてあがめたりしてますよね。
また、こっちのプリンのほうが十円安いとか、高いとか気にしたり。
(´∀`)
そんな感じで、あらゆるものを細かく細かくふたつに分けて行くことが大好きです。それが分離した「私」のサガです。そういうもんだと知っておいてください。
んで、
ではでは、です。
「本来の自分」に戻ろうとしているのなら、この分離した「私」と反対の方向に向けばよいのです。小さく小さく、細かく細かくする方向の反対、つまり、どんどん
「おおざっぱ」(・∀・)
の方向に。(´∀`)
こっちのプリンも、あっちのプリンも、どっちも甘くておいしいよね。
こっちの方向に(・∀・)ノ
さらに、プリンがない。だったらダイフクでもミカンの缶詰でもいいや。どれも甘いデザートじゃん。おいしいよ。
さらに、甘いものがない。なら塩辛でもタクアンでもいいよ。甘くなくても、なんか口に入ったらいいじゃん。甘いものも辛いものもどっちもおいしいよ。
さらに、甘いものも辛いものもない。ならもうべつに食わなくていいじゃん。
こんなふうに、どんどん「おおざっぱ」にね。
(´∀`)
キューッとフォーカスしている視点を、どんどん後ろにバックして広げて行く感じです。
小さいところにフォーカスすればするほど、「苦」が増える仕組みになっております。それは、今までの体験でなんとなくわかるでしょ?
その「苦」を取り除こうと、相反するもの、「楽」を取りに行く。そして、「苦」と「楽」ふたつの両端を行ったり来たりし続けます。小さくて細かいところにフォーカスしている限り、それは永遠に終わることはありません。
フォーカスするのをやめて、一歩さがって見てください。すると、「どっちも大差ない、同じじゃね?」って、なりますよね。
(・∀・)
そうやって、どんどん、どんどん、後に下がって行きますと、最終的に、
「私」も「私以外」も同じじゃね?
に、なるんですけどね。
(´∀`)
それが「全体」、すなわち「ワンネス」です。「ワンネス」を体現している人は、よーするに、
とんでもなく「おおざっぱ」な人
です(・∀・)
「おおざっぱ」な方向に進んでいいんですよ。進むというか後退してください。現代の社会は、小さく小さく細かく細かく細分化されてて、小さく小さく細かく細かく進み、それを考えられる方が「よい」とされいる傾向がありますよね。でも、すべてのことは究極的に、
どっちでもええねん(・∀・)
ということばかりです。
この「どっちでもええねん」のことを、ブッダは「中道」と言い、儒教では「中庸」と言います。
小さく小さく細かく細かく言うと、そうじゃないんですが、ここは「おおざっぱ」に。
(・∀・)つ
あ、このことを、もう少し小さく小さく、細かく細かく説明しましょうか(笑)
続きは、次回以降に。ではでは。
(´∀`)ノ
なぜか九州に散見される、
黄色いポスト(・∀・)
@宮崎県宮崎市・青島海岸
@鹿児島県指宿市・西大山駅
@宮崎県高千穂町・高千穂峡(・∀・)
確かに、プリンの区別も、自他の区別も同じことを考えていますね。
笑うウリエル
がしました