この世界は「二元」です(・∀・)
あらゆるものが背反するふたつから構成されています。そして人は、このふたつの間を振り子のように行ったり来たりします。
それが人生です(・∀・)
喜びと悲しみ、成功と失敗、幸と不幸、愛と憎、明と暗、苦と楽......
ふたつの間を行ったり来たり。それは生きている限り終わることはありません。
このふたつの間を振り子のように行ったり来たりせず、その真ん中にとどまることが「中道」ではありません。時計の振り子を真ん中で止めてしまうと時計は止まります。それは「死」です。
行ったり来たりそのものを楽しむこと
それが「中道」です(´∀`)
「本来の自分」は行ったり来たりをしたいのです。悲しみがないと喜びがわかりません。失敗がないと成功がわかりません。苦がないと楽がわかりません。ふたつの両端の間をいったりきたりするから、それらがどんなものか、初めて体験し知ることができるのです。
右も左も分かつことができないもの
どちらも等しく大事
それを知ることが「中道」です。
右と左の真ん中ではありません。
「右でも左でもないから、とりあえず真ん中って言っとこうか」
と、ブッダが思ったかどうかは知りませんが、ま、とにかく、右も左も分かつことができないもの。どちらも等しく同じ価値。と、知ることが「中道」です。
「ふたつじゃないから、とりあえずひとつって言っとこうか」
という「不二一元」と同じノリです。シャンカラがそう思ったのかどうかは知りませんが。
左右の両端どちらか片方だけ取ることはできません。だのに、人間はそれをしようとばかりします。時計の振り子が右に振れているときに止めて、左に行かないようにする。右から左に行こうとしている振り子を、気合で再び右に戻す。
(ノ`Д´)ノ
これはエネルギーの無駄づかいです。いえいえ、無駄づかいですみません。時計はムチャクチャになり、おかしな時間を示します。
ずっと右にとどめることはできません。右に行ったら左に行きます。左に行ったら、また右に戻ります。
お金があるときがあれば、ないときもあります。ないときがあれば、またあるときもあります。
楽しいときもあれば苦しいときもあり、苦しいときもあれば、また楽しいときもある。
この行ったり来たりこそが、かけがえのない体験で、おもしろく楽しいものだという視点に立ってみてください。
行ったり来たりが「生きる」 そして、それを楽しんでいる者こそが、「本来の自分」なのです。
(´∀`)
右だけを取って左は排除なんてできないんです。私たちは振り子時計のように生きていますから。
排除できないのなら、左は左で「これもいい」と受け入れればよいだけです。左は左で存分に味わえばよい。「次元上昇」って、これだけのことなんですよ。とても簡単なんです。
右だけをつかみ取ろうとしていたけれど、左もつかんでみた。これだけで左右に揺れ動く苦しみから解放されます。行ったり来たりがおもしろく楽しいものになる。あなたはひとつの次元を超越したのです。
例えば、お金があるときはもちろん楽しいけど、ないときはないときで、いろいろ工夫するおもしろさや、お金が手に入ったときのうれしさも体験できる。これがないとお金のありがたさもわかんない。貧乏だけど明るく笑っている人たちが、どんな気持ちなのかもわかる。なんて素晴らしい体験なんだろう!
こうなったとき、あなたは「次元上昇」したのです(・ω・)
裕福と貧困という振り子を超越し、振り子そのものを楽しむようになったのですよ。
もう、あなたはお金を失う恐怖から解放されました。収入や支出をコントロールするために、頭を悩ますこともしなくてもよくなりました。また、その頭を悩ますこと自体もおもしろくなりました。「中道」を知り、「次元上昇」したのです。
つまりは『いま』をちゃんと体験しろってことです。
つまりはすべてを許し受け入れなさいってことです。
文章で説明しようとすると、なかなかややこしくなるんですけど、一歩下がって大きな視点で見ればいいだけです。右や左ばかりにフォーカスするのではなく、左右に揺れる、その振り子を見ればよいです。
そして、振り子を見ているだけで、「本来の自分」に戻って行くんですよ。
だって、その見ている張本人が、
「本来の自分」(・∀・)
なんですから(´∀`)
上神梅駅@群馬県みどり市
あらゆるものが背反するふたつから構成されています。そして人は、このふたつの間を振り子のように行ったり来たりします。
それが人生です(・∀・)
喜びと悲しみ、成功と失敗、幸と不幸、愛と憎、明と暗、苦と楽......
ふたつの間を行ったり来たり。それは生きている限り終わることはありません。
このふたつの間を振り子のように行ったり来たりせず、その真ん中にとどまることが「中道」ではありません。時計の振り子を真ん中で止めてしまうと時計は止まります。それは「死」です。
行ったり来たりそのものを楽しむこと
それが「中道」です(´∀`)
「本来の自分」は行ったり来たりをしたいのです。悲しみがないと喜びがわかりません。失敗がないと成功がわかりません。苦がないと楽がわかりません。ふたつの両端の間をいったりきたりするから、それらがどんなものか、初めて体験し知ることができるのです。
右も左も分かつことができないもの
どちらも等しく大事
それを知ることが「中道」です。
右と左の真ん中ではありません。
「右でも左でもないから、とりあえず真ん中って言っとこうか」
と、ブッダが思ったかどうかは知りませんが、ま、とにかく、右も左も分かつことができないもの。どちらも等しく同じ価値。と、知ることが「中道」です。
「ふたつじゃないから、とりあえずひとつって言っとこうか」
という「不二一元」と同じノリです。シャンカラがそう思ったのかどうかは知りませんが。
左右の両端どちらか片方だけ取ることはできません。だのに、人間はそれをしようとばかりします。時計の振り子が右に振れているときに止めて、左に行かないようにする。右から左に行こうとしている振り子を、気合で再び右に戻す。
(ノ`Д´)ノ
これはエネルギーの無駄づかいです。いえいえ、無駄づかいですみません。時計はムチャクチャになり、おかしな時間を示します。
ずっと右にとどめることはできません。右に行ったら左に行きます。左に行ったら、また右に戻ります。
お金があるときがあれば、ないときもあります。ないときがあれば、またあるときもあります。
楽しいときもあれば苦しいときもあり、苦しいときもあれば、また楽しいときもある。
この行ったり来たりこそが、かけがえのない体験で、おもしろく楽しいものだという視点に立ってみてください。
行ったり来たりが「生きる」 そして、それを楽しんでいる者こそが、「本来の自分」なのです。
(´∀`)
右だけを取って左は排除なんてできないんです。私たちは振り子時計のように生きていますから。
排除できないのなら、左は左で「これもいい」と受け入れればよいだけです。左は左で存分に味わえばよい。「次元上昇」って、これだけのことなんですよ。とても簡単なんです。
右だけをつかみ取ろうとしていたけれど、左もつかんでみた。これだけで左右に揺れ動く苦しみから解放されます。行ったり来たりがおもしろく楽しいものになる。あなたはひとつの次元を超越したのです。
例えば、お金があるときはもちろん楽しいけど、ないときはないときで、いろいろ工夫するおもしろさや、お金が手に入ったときのうれしさも体験できる。これがないとお金のありがたさもわかんない。貧乏だけど明るく笑っている人たちが、どんな気持ちなのかもわかる。なんて素晴らしい体験なんだろう!
こうなったとき、あなたは「次元上昇」したのです(・ω・)
裕福と貧困という振り子を超越し、振り子そのものを楽しむようになったのですよ。
もう、あなたはお金を失う恐怖から解放されました。収入や支出をコントロールするために、頭を悩ますこともしなくてもよくなりました。また、その頭を悩ますこと自体もおもしろくなりました。「中道」を知り、「次元上昇」したのです。
つまりは『いま』をちゃんと体験しろってことです。
つまりはすべてを許し受け入れなさいってことです。
文章で説明しようとすると、なかなかややこしくなるんですけど、一歩下がって大きな視点で見ればいいだけです。右や左ばかりにフォーカスするのではなく、左右に揺れる、その振り子を見ればよいです。
そして、振り子を見ているだけで、「本来の自分」に戻って行くんですよ。
だって、その見ている張本人が、
「本来の自分」(・∀・)
なんですから(´∀`)
上神梅駅@群馬県みどり市
苦しみと歓び、陰陽、プラスマイナス、同じ量で一セットだと思っていたので、振り子の喩えはすごく分かりやすいです。
笑うウリエル
がしました