なんとなく「第三章」に行ってみよう( ゚∀゚)ノ

みなさんは「本来の自分」に戻る、自分がこの世界の中の小さなひとりの人間ではないということに気づく、「私」などというものに実態がないことを知る、それと同時に、

「本来の自分」を生きないといけません。
(`・ω・´)キリッ


というか、ずっと誰もが「本来の自分」で、「本来の自分」でいなかったことなどないのですが、そのことをうっかり忘れていただけなのです。うっかり、すっかり忘れて、本来すべきことも、ちゃんと出来ないままでいるのです。

では、「本来の自分」は何をしようと思っているのでしょう? 

それをしないと、生きている意味がないとも言えます。
(´・ω・`)


では「本来の自分」がしたいこと。まずひとつは、

いろんな感情を楽しむこと(・∀・)

です。いろんな感情を味わって、それを体験して楽しむために、わざわざ「外側」を創ったのです。
(´∀`)

誰かを好きになった。そのときの湧き上がるエネルギー。それを味わうためには、「誰か」という対象がいないことには体験できません。だから、「誰か」というその人と、「私」というものを創ったのです。ふたつに分離したのです。


「私」は好きになった「対象」を見ます。でも、「本来の自分」は対象は見ていません。
(´・ω・`)?

「本来の自分」は、そのときに湧き上るエネルギーを見ています。胸の内から湧き起こる「好き」というエネルギーを見ています。そして、それをとても楽しく味わっています。

「『好き』というのは、こういうものか!」

それを味わい体験して、楽しんでいるのです。
胸の奥のうずき、からだ全体が踊り出すようなワクワク、止めようのないそのエネルギーを本当に楽しんでいるのです。
(´∀`)

「悲しみ」や「怒り」、「不安」や「恐怖」といったものも、その湧き上がるエネルギーを味わって驚いたり、楽しんだりしているのですよ。

「ああ、『悲しみ』って、こういうものか……」
「おお、これが『怒り』か。すごいな!」
「これが『不安』か! これが『恐怖』か!」

ってね(´∀`)


だから、外側の「対象」だけに気を取られていては、いつまでたっても、

なんのために生きているのか?

が、わかりません。わからないので、テキトーなヘリクツ作って誤魔化します。

「歓び」や「幸福」って何なのか?

も、わかんないです。「対象」には「歓び」も「幸福」もありません。「対象」になんて実態はないからです。


「本来の自分」がしようと思っていたことに立ち返ってください。外側の対象から、内側に目を向け、内側の声に耳を澄ましてください。この「内側」に湧き起こるものを体験したいがために、わざわざ内に対する「外側」を創ったのですから。それがために「分離」したのですから。
誰かや何かを好きになったら、「対象」でなく、そのとき内に湧き起こるエネルギーを

愛してください(・∀・)

人やモノでなく、この感情をこの上なく愛でて、味わってください。


それがあなたがいちばんしたいこと。「本来の自分」がしたいこと。それをするために生まれてきたんです。それを体験するために『いま』ここにいるんです。

悲しみも怒りも、不安や恐怖も、驚きや退屈も、
現れるありとあらゆるエネルギーを味わい体験する。外側の「対象」でなく内側の「エネルギー」を楽しむ。これが、

『真実』を体現する生き方

なんですよ(´∀`)

だから、ウリエルは「感情を感じて、感じ切ってください」と、常々、言っております。



「それの何がおもろいねん?」
(´・ω・`)?
そんなふうに思うかもしれませんが、まあ、意味なんて考えないで、そうやって生きてごらんなさい。毎日、そうやって過ごしてごらんなさい。

やがて、わかってきますよ。

「本来の自分」が神様で阿弥陀仏で大日如来なんだって、どうして昔の偉い人たちが言ったのか。

すごいんです。

とにかく、すごいんです。
(`・ω・´)キリッ


水晶浜
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そして遠くに見えるは美浜原発
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@福井県美浜町