たくさん降った雨が上がると、ものすごく暑い。
今年もたこ焼き屋にとって、肉体的に厳しい季節が始まりました。
(´-ω-`)


さて、「見てるだけー」の「見ているヤツ」でいることが、

「何もしないこと」

だと、以前の記事に書きました。そして、「見てるだけー」の「見ているヤツ」でいることは、すなわち、

「あるがまま」
「ありのまま」


でいることで、それがそのまま「瞑想」なのです。
(・∀・)

何も「操作」しない。ただ自分の思考や行動を「見てるだけー」
「あるがまま」、「ありのまま」でいようとすらしなくてよいのです。ただただ「見てるだけー」で、エネルギーは本来の場所に戻り始めます。
(^∀^)

さて、ただ「見てるだけー」で、「私」と思っている人格はゆっくりと解体されていくのですが、まだ「悟りたくない」という自分もいて、巧妙にその解体作業を自分自身で邪魔します。
なんせ、この世界でいろんな体験をするために、「私」に成りきりごっこしているわけです。やっぱり、「もう少し遊びたいなー」というエネルギーもあるわけです。「つくり話」の世界をもう少し楽しみたい。
それはそれで、いいと思うんですよ。「まだ悟りたくない」、「まだ戻りたくない」のだと認めれば。
(´∀`)

では、どんなふうに巧妙に誤魔化しているかという、よくやっているその「てぐち」を書いておきますね。

「見ているヤツ」になって「見てるだけ―」で、解体されていくのですから、その「てぐち」はとても単純です。

「見ない」(・∀・)

これだけ。(´∀`)ノ

例えば、何かに執着している。その執着している思いを、

「見ない」(・∀・)

お金に執着しているのなら、「私はお金なんか欲しくないのだ」という思考、信念を作り、そっちを「見てるだけ―」って、するわけです。
愛されることに執着しているのなら、「私はひとりでも寂しくない」という信念を作り、そっちだけをただひたすら「見てるだけ―」するわけ。
結果、「私」が本当に執着しているものは覆い隠されます。

「見ない」(・∀・)

うまく誤魔化せました。

そういった信念は、何十年も持ち続けていたりするので、あまりにも当たり前になっていて、それが「ありのまま」だと思いこんでいて、気づきにくくなってます。


では、この「てぐち」を看破するにはどうすればよいでしょう?
(´・ω・`)

この世界は「二元」であるということを思い出してください。表があるなら必ず裏があり、陽があるなら必ず陰もある。だから、

「私はお金なんか欲しくないのだ」

と、思うということは、まず、

「私はお金が欲しくて仕方ない」

がないことには、生まれてこない思考なのです。ハイ。
(´∀`)

この表面に当たり前にある思考の、その「発生源」の方を見ればよいのです。「発生源」になっているものを「見てるだけー」してくださいね。
「本来の自分」は、はたして、お金が欲しいのか欲しくないのかがよくわからないのです。お金がなんなのかもわからない。だから、あってもなくてもどっちでもいいのです。


「私ってこんなヤツ」

という思いこみがありますよね。そのほとんどが、すべてと言っていいくらいが、後から作られた「つくり話」、USO800です。その「つくり話」の

「発生源」のほうを見る

ようにしてください。それが、そのまま気づきで、「私」から自由になることでもあります。


「自信」は「劣等感」がないと生まれません。

「信じている」は、まず「疑っている」がないと出てきません。

「被害者だ」は「危害を加えてやりたい」という思いがないと出てきません。

表面だけを「見てるだけー」してても、なんも変わらないんですよ。表と裏の両方を見て、はじめて「成就」してゆきます。
醜いものや、恥ずかしいもの、情けないものが見えるかもしれません。でも、それでいいんですよ。それをただ認めて「見てるだけー」するだけです。
(・∀・)


表があれば裏がある

シンプルなんですけど、揺るぎない『真実』です。この世界は「二元」です。

自分自身に正直に。どこまでも正直になって、ただ見て見続けて、奥へ奥へと見続けてください。



鬱蒼とした廃墟
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「滋賀のラピュタ」って言われてるらしい
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コスプレイヤーさんの撮影場所に人気だとか
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土倉鉱山跡@滋賀県長浜市