ちょっと雑談、というか軽い記事です(・∀・)


私たちの思考は「〇」か「X」か、「正解」か「間違い」かをハッキリさせないと気が済まないようにできて、さらに、「結果」には必ず「原因」があり、それもハッキリさせないと落ち着きません。

思考って、そういうもの(・∀・)

です。

なんかわかんないけど、コロナに感染する人が減った。そういう「結果」に対して、「なんで?」と「原因」を考えます。
みなが自粛して人流を減らしたから、ワクチンをたくさんの人が打ったから、などなど、その「原因」を考えます。「原因」がわからないと、気持ち悪くてしょうがないのです。

実際、コロナに感染する人は2、3か月のサイクルで増減していて、ただウイルスの自然のサイクルが、

「なんかわかんないけど、そういうだけ」

なんじゃね? と、私ウリエルは思っているのですが、もはやそれは確かめようがないですね。比較する「人流制限もワクチンもしてない日本」が存在しないので。
(´∀`)

温暖化もそうですね。地球ってのは何億年もの間、暑くなったり寒くなったりしてきたわけです。いま起こっている温暖化も、「なんか知らんけど」暑くなったり寒くなったりしているサイクルの中の、ただの一部なんじゃね? と、思うわけですが、この

「なんか知らんけど」

が、ニンゲンには気持ち悪くてしょうがない。だからテキトーな「原因」を勝手に作っているような気がします。


でも、この「なんかわかんないけど」とか、「なんか知らんけど」を解明していくことが、科学であり、それによって人類は発展してきたわけです。だから「なんかわかんないけど」や「なんか知らんけど」をハッキリさせることが「〇」で、曖昧なわからないままにしておくことは「X」
ニンゲンはそういうふうに生きてきました。それはそれでいいことなのです。大事なことです。だから、学校で教わることも、「なんかわかんないけど」や「なんか知らんけど」では、基本的に「X」です。


だけど、この世界はニンゲンの知ることができる範囲だけで、できていないのです。
(・∀・)ノ

まだまだ、ニンゲンには、

「なんか知らんけど」

のほうが、ずーっと多いと思います。そう思いませんか?

だのに、「なんかわかんないけど」や「なんか知らんけど」のままで放置しておくことが気持ち悪くてしょうがない。それだけの理由で、無理やり「原因」を見つけて、何か理由付けしている。みなさんも、そんなことしていませんかね?

「なんか知らんけど」

は、「X」ですから。
(´・ω・`)

そうすると、なんか偏ってしまいますよね。信念や思想や価値観、善悪って、そうやって生まれてきていることに気づきませんか?


でもね……(´∀`)

みなさん自身も、

「なんか知らんけど」

生まれてきたんですよ。「なんか知らんけど」生まれた来たのに、そんなものに役割とか意味とか、ましてや正しいとか間違いとか、あると思うほうがおかしいと思うんですけどね?
(´∀`)

私たちは「なんか知らんけど」の大海原を漂っています。そもそも、私たち自身が「なんか知らんけど」ここにいるわけですから。そんな、

「なんか知らんけど」

だらけの世界に、「なんか知らんけど」ただいるんですよ。無数のわからないこと、わかりようがないことにうずもれて生きているんですよ。だから、

「なんか知らんけど」

のままでいることに、慣れてください。「なんか知らんけど」のままで、まったく問題ないんです。「なんで?」と問うだけでいいんです。その問いの答えは、

「なんか知らんけど」

です。それが正解なんです(´∀`)

「なんか知らんけど」のままでいることは、どちらにも偏らないことです。「二元」の世界からの脱却です。『真実』に気づくためには、「なんか知らんけど」でいることなんです。逆説的で、いかにもスピリチュアルでしょ?(笑)
そう、『真実』は「気づく」ものであって、思考で解明するものではありません。というか、できません。そのためには、あらゆるものに、ただただ中立でいないとね。

「なんか知らんけど」

は、常に中立です。


どうして人生はうまくいかないのか?

どうして私は悟れないのか?

どうしてこの宇宙はあるのか?

「なんか知らんけど」

です(・∀・)ノ


乗鞍岳のつづき(´∀`)
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