「私」(´・ω・`)


というのは、ただのいろんな思考の寄せ集めです。実態なんてもんはありません。「私」なんて、

本当はいない

のです(´・ω・`)


でも、ほとんどの人が、「私」は確固としているんだと思いこんでいますよね。それに気づいておくことが大事です。自分自身を含めて、みんな「私」は確かにここにいると、そう思って生きているんだと。ちょっとしたカンチガイなんですけどね。
(´∀`)

でも、何かの拍子で、この「私」のことを完全に忘れてしまうことがあります。そのとき、とても深いリラックスが起こります。

「くつろぎ」

と、覚者がよく言っているやつです。そう、「くつろぎ」、リラックスは、「私」のことを忘れているときに勝手に起こるのです。しようと思ってするものではありません。なので、

「リラックスしてください」
「リラックスしましょう」

そんなの無理です。ハイ(´∀`)
だから、リラックス『する』などとは思わないほうがいいです。余計にややこしくなります。

じゃあ、「私」を忘れよう
「無私」でいよう

やめてください。もっとややこしくなります。
(´∀`)


「私」を「私」が忘れることなんてできません。これはもう、偶然に任す他ないですね。
ただ、忘れやすくなるようには、できないこともありません。

どうするかと言うと、それは、

「私」をよく知っておくこと

です(・∀・)ノ

「私」がどんな思考を寄せ集めて出来上がっているか、よーく見て知っておくことです。「汝自身を知れ」です。それだけです。それだけで、「私」を忘れてしまい「無私」になりやすくなります。
なんで、よく知っていたら忘れやすくなるのかはわかりません。ただ、私ウリエルがそうだったので、そう言っているだけです。ハイ。
(・∀・)


んで、「私」をよく知るには、日ごろ表面に出てこない隠れた「私」も見つけないといけません。いわば、知らなかった「私」、見て見ぬふりしてた「私」、とてでも言いましょうか。そんな、隠れた「私」、ざっくり言うと「本性」を見つけて知っておく必要があります。

見つけ方は、それほど難しいものではありません。人には必ず「反対の側面」というものがあります。表があるということは、必ず裏がある。裏が無ければ表もない。二元ですから。
(・∀・)

例えばあなたが、何かを「嫌い」だと思っているのなら、必ずその何かを同時に「好き」だとも思っています。その何かを大好きでないと、嫌いとも思えないのです。そもそも好きだったから嫌いになれるのです。
だから、何かに嫌悪感が湧き起るとき、あなたはもともとそれが「好き」なのですよ。
(´∀`)

「そんなわけない!」(ノ`Д´)ノ

と、思いますよね。でも、そうなんです(´∀`)

「嫌い」すぎて「好き」であるはずがないものが、実は「好き」 めちゃくちゃ大好き。

これに気がついて、これを認めて受け入れると、なぜか「私」のことを忘れやすくなってしまうんです。なんか知らんけど。結果的に「無私」になることが増えていきます。なんか知らんけど。


それから、「怖くない」と思っているものありませんか? それ、実はめちゃくちゃ「怖い」から、そう思えるんですよ。本当におそれていないのなら、怖いとか怖くないとか思うこともありませんから。
「興味がない」は「興味がある」から、そう思うんですよ。本当に「興味がない」なら、「興味がない」ことに気づくことはあっても、日ごろから「興味がない」と思うことはないです。


こんな感じで、「私」の表裏を両方見て知って行ってください。表に出ている部分があるのなら、かならずその裏面もある。「裏の顔」がある。この原則に従って「私」をつぶさに見て行ってください。
隠れていた「私」の本性に気づいて、それをと認めてゆるして受け入れる。心から愛する。この作業をコツコツとして行くと、

「無私」は自然に訪れます

なんでか知らんけど、そうなんです。

「私はいない」

が、突然に訪れるのです(´∀`)
なんでか知らんけど。


北海道大学でも貼っておこう(・∀・)
IMG_5469

IMG_5481

IMG_5489
@北海道札幌市