とてもシンプルな話なんです(・∀・)つ
スピリチュアル、精神世界、禅、悟り、その呼び方はいろいろありますが、その内容は非常にシンプルです。よーするにやることは、
もとに戻す
これだけなんです。(・∀・)ノ
だから「本来の自分」なんです。ハイ。(・∀・)
この肉体を持ってこの世界に現れたとき、生まれたとき、もちろんまだ記憶なんてありません。ましてや、なーんの信条も思想もなく、ただ真っ白です。
で、時間の経過とともに肉体は成長して行き、その過程で外側からいろんなことを吸収していきました。いろいろなことを体験し、知って学んで行きました。その中で自我、つまり「私」というものが形成されて行ったわけです。
「自分」という土台がまずあって、その上に上書きされていくように「私」が作られていったわけです。もともと土地というものがあって、その上に建物が建ったように。
で、もともとの「自分」がどんなヤツだったか、もともとの「自分」がどんなことを思い、どんなことをするヤツだったかが、だんだん薄れてきてしまって、いつしか、そんなこと思い返すことも、意識することもなくなってしまった、というのが、現在のみなさんです。ハイ。
(・∀・)ノ
でも、もともとの「自分」はずーっといるわけです。今も変わらずみなさんの中にいるわけです。どこかに行ってしまったわけではありません。
「建物だけになって、土地がどこかに行ってしまった」
(´・ω・`)
んなわけない。ずっとあります。ここにあります。
ということで、
もともとの土地、「自分」はどんなヤツだったのか?
これに再び戻りましょうよ。ここにいるんだから。ずっといる「本来の自分」に戻って、この世界をもう一回ちゃんと生きてみましょうよ。というのが、スピリチュアル、精神世界、禅、悟りのあらましです。そんなに難しいことではありません。ね、シンプルでしょう?
(・∀・)
んで、実際に戻ってみたら、
「こりゃま、おどろいた!」
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
ということが、山のようにあったぜ!( ゚∀゚)
と、先人たちが言うのです。ハイ。
しかし、なんせただの「自分」なんで、それを言葉にできません。土地なら30坪とか、平地とか傾斜地とか、まだ言えますが、まあ、「ニンゲン」とくらいしか言えん。禅では「無位の真人」なんて言い方をしますが、よーするに「ただの人間で、ただの自分」です。
まだ何もない真っ白な「自分」なんで、真っ白すぎて「こういうヤツ」ってのがないんです。なので、言い表せないんですよ。
(´・ω・`)
けれど、
「こりゃま、おどろいた!」( ゚∀゚)
の、部分は言葉にできますので、こっちを思わず言ってしまうわけです。ハイ。
すると、それを聞いた人たちは、なるほど、そうなるのか、アタシもその「こりゃま、おどろいた!」を体験したいな、よし、してみるべ。となり、「こりゃま、おどろいた!」ばかりクローズアップされて行き、おかしな方向に行ってしまうんですよね。
( ̄ー ̄)
「こりゃま、おどろいた!」は、その人によっていろいろあるんですよ。さらに、その人にはその人の「こりゃま、おどろいた!」しかないんです。一万人いれば、一万種類の「こりゃま、おどろいた!」があって、それをあなたが聞いたところで、どうしようもないんですけどね。
サードアイが開いたと感じた人もいれば、欲望が消失したとか、チャクラが活性化したとか、宇宙人とつながったとか、パワースポットに呼ばれてなんかあったとか、ま、いろんな「こりゃま、おどろいた!」という出来事があったと言うので、あったんでしょう。
しかし、あくまでも、それはもともとの「自分」に戻った結果、なんか知らんけど起こった「こりゃま、おどろいた!」という出来事で、他の人がそれをしようとしてみたところで、もともとの「自分」に戻る、「本来の自分」に気づく
というわけではない( ̄ー ̄)
ということを、しっかり意識しておいてくださいね。
(^∀^)ノ
もとに戻す(・∀・)
だけなんです。もともとの「自分」、ただの「人間」、「本来の自分」に戻る。建物を取り壊して、更地に戻すだけなんです。いや、建物を取り壊さなくても、その建物が建っている土地に気づくだけなんです。そこに新たな何かが必要ですか?
厳しい修行が必要ですか?
何かを「学ぶ」必要がありますか?
どこかに行かなければなりませんか?
石や塩を買う必要がありますか?
それらをしているときですら、もともとの「自分」はずっといるのに。
もともとの「自分」は、まだ
アレが足りない、コレが足りない
とか、
幸福になりたいとか
とか、
思う前の自分ってだけですよ
(・∀・)
ああ、時間がなくなった。続きはコメント欄にテキトーに書く。
( ̄ー ̄)ノ
書寫山圓教寺に行ってきた(・∀・)
@兵庫県姫路市
スピリチュアル、精神世界、禅、悟り、その呼び方はいろいろありますが、その内容は非常にシンプルです。よーするにやることは、
もとに戻す
これだけなんです。(・∀・)ノ
だから「本来の自分」なんです。ハイ。(・∀・)
この肉体を持ってこの世界に現れたとき、生まれたとき、もちろんまだ記憶なんてありません。ましてや、なーんの信条も思想もなく、ただ真っ白です。
で、時間の経過とともに肉体は成長して行き、その過程で外側からいろんなことを吸収していきました。いろいろなことを体験し、知って学んで行きました。その中で自我、つまり「私」というものが形成されて行ったわけです。
「自分」という土台がまずあって、その上に上書きされていくように「私」が作られていったわけです。もともと土地というものがあって、その上に建物が建ったように。
で、もともとの「自分」がどんなヤツだったか、もともとの「自分」がどんなことを思い、どんなことをするヤツだったかが、だんだん薄れてきてしまって、いつしか、そんなこと思い返すことも、意識することもなくなってしまった、というのが、現在のみなさんです。ハイ。
(・∀・)ノ
でも、もともとの「自分」はずーっといるわけです。今も変わらずみなさんの中にいるわけです。どこかに行ってしまったわけではありません。
「建物だけになって、土地がどこかに行ってしまった」
(´・ω・`)
んなわけない。ずっとあります。ここにあります。
ということで、
もともとの土地、「自分」はどんなヤツだったのか?
これに再び戻りましょうよ。ここにいるんだから。ずっといる「本来の自分」に戻って、この世界をもう一回ちゃんと生きてみましょうよ。というのが、スピリチュアル、精神世界、禅、悟りのあらましです。そんなに難しいことではありません。ね、シンプルでしょう?
(・∀・)
んで、実際に戻ってみたら、
「こりゃま、おどろいた!」
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
ということが、山のようにあったぜ!( ゚∀゚)
と、先人たちが言うのです。ハイ。
しかし、なんせただの「自分」なんで、それを言葉にできません。土地なら30坪とか、平地とか傾斜地とか、まだ言えますが、まあ、「ニンゲン」とくらいしか言えん。禅では「無位の真人」なんて言い方をしますが、よーするに「ただの人間で、ただの自分」です。
まだ何もない真っ白な「自分」なんで、真っ白すぎて「こういうヤツ」ってのがないんです。なので、言い表せないんですよ。
(´・ω・`)
けれど、
「こりゃま、おどろいた!」( ゚∀゚)
の、部分は言葉にできますので、こっちを思わず言ってしまうわけです。ハイ。
すると、それを聞いた人たちは、なるほど、そうなるのか、アタシもその「こりゃま、おどろいた!」を体験したいな、よし、してみるべ。となり、「こりゃま、おどろいた!」ばかりクローズアップされて行き、おかしな方向に行ってしまうんですよね。
( ̄ー ̄)
「こりゃま、おどろいた!」は、その人によっていろいろあるんですよ。さらに、その人にはその人の「こりゃま、おどろいた!」しかないんです。一万人いれば、一万種類の「こりゃま、おどろいた!」があって、それをあなたが聞いたところで、どうしようもないんですけどね。
サードアイが開いたと感じた人もいれば、欲望が消失したとか、チャクラが活性化したとか、宇宙人とつながったとか、パワースポットに呼ばれてなんかあったとか、ま、いろんな「こりゃま、おどろいた!」という出来事があったと言うので、あったんでしょう。
しかし、あくまでも、それはもともとの「自分」に戻った結果、なんか知らんけど起こった「こりゃま、おどろいた!」という出来事で、他の人がそれをしようとしてみたところで、もともとの「自分」に戻る、「本来の自分」に気づく
というわけではない( ̄ー ̄)
ということを、しっかり意識しておいてくださいね。
(^∀^)ノ
もとに戻す(・∀・)
だけなんです。もともとの「自分」、ただの「人間」、「本来の自分」に戻る。建物を取り壊して、更地に戻すだけなんです。いや、建物を取り壊さなくても、その建物が建っている土地に気づくだけなんです。そこに新たな何かが必要ですか?
厳しい修行が必要ですか?
何かを「学ぶ」必要がありますか?
どこかに行かなければなりませんか?
石や塩を買う必要がありますか?
それらをしているときですら、もともとの「自分」はずっといるのに。
もともとの「自分」は、まだ
アレが足りない、コレが足りない
とか、
幸福になりたいとか
とか、
思う前の自分ってだけですよ
(・∀・)
ああ、時間がなくなった。続きはコメント欄にテキトーに書く。
( ̄ー ̄)ノ
書寫山圓教寺に行ってきた(・∀・)
@兵庫県姫路市
反省しきりです。
笑うウリエル
がしました