当ブログ「わらうりブー(笑ウリ部)」の秘伝をお授けいたします。
( ̄ー ̄)ニヤリ
「黙考」
です。まあ、秘伝というほどのものでもないんですが。
私たちは情報の海の中で暮らしています。そのせいか「黙考」というものを、すっかり忘れてしまっています。インターネットで、それはさらに顕著になりました。たいていの疑問や質問に対する解答、または解答に近いものは、クリックひとつで得られるようになりました。
現代人はそれにすっかり慣れてしまい、自身の内の深いところから、『智慧』を受け取る方法を、もう完全にと言っていいくらい、忘れてしまっています。
ブッダやイエス、空海に親鸞、彼らはどのようにして、『真実』にたどりついたのでしょうか?
彼らはマウスをクリックできません。スマホも持ってません。本屋さんや図書館もありません。
(´-ω-`)
聖典とされる書物くらいはあったでしょう。しかし、それらは現在読んでも抽象的で難解なシロモノで、わかりやすい解説なんて誰も書いてやくれてません。現在の私たちと同じように、疑問だらけになったことでしょう。彼らはどうやって、そんな疑問に対する答えを見つけ出し、そして『真理』を知ったのでしょうか?
彼らは『智慧』に触れる方法を知っていたのです。自らの中に、『智慧』の源泉があることを知っていたのです。「知恵」ではなく『智慧』
それは『叡智』、『英知』とも呼ばれます。この世界にあふれる情報とは、まったく違うものです。
『智慧』は「知識」とも違います。「知識」は外側から得た情報を集めた記憶にすぎません。
『智慧』は直観的な「ひらめき」です。そして、この『智慧』を受け取る方法が、
「黙考」
です。( ̄ー ̄)ニヤリ
「黙考」のやり方は、とってもシンプルです。ただその疑問を心に抱き続けるだけです。ひたすら忍耐強く。私ウリエルはそれを「ハートに置いておく」と表現しています。その本当の意味するところが暴かれるまで、心に抱いてじっと待つだけ。
( ̄ー ̄)
始めは短いフレーズの文章を「黙考」すると、そのコツがつかめると思います。もちろん、
「ちょっと何言ってるかわからない」
と、疑問になる文章です。例えば、
幸せでいるとは、
未知なるものとして生きること
(・∀・)
みたいなフレーズです。なんか意味わかんないですよね。なんか意味わかんないけど、なんか本当のことを言っているっぽい。そんなフレーズを心に置いて、その指し示すものを直接体験するまで、ただひたすら待つのです。そう「直接体験」なのです。
「わかった!」( ゚∀゚)
が、ただやって来るのです。それは思考を超えているので言葉では説明できません。理屈抜きです。頭ではサッパリ理解できないのに「わかった!」なんです。
そもそも、
「なんか意味わかんない」……(´-ω-`)
と、感じたということは、何かわかっているからなんですよ。何かわかっているからこそ、それが「わからない」と気づいたわけです。本当にわからないのなら、わからないことすらわかりません。
そのわかっている「何か」が隠されて見えていないだけなんです。その隠れているものが『智慧』の光に照らされて暴かれるのを、ひたすら待つのです。「賢者」というのは、忍耐強く待つことができる人です。待てずに答えを誰か他の人に求めるのが「愚者」です。
「賢者」は時間がどれほどかかっても、その答えは必ずもたらされると信頼しきっています。だって本当は知っているのですから。知っているからこそ「わからない」と思えたのです。本当は知っているのに、あきらめたり、他人の意見にすがるのは「愚者」としか言えません。
(´・ω・`)
「黙考」は強力です。100パーセント、その意味することを暴くことができます。「ひらめき」として、突然気づいたり、何か導きのような啓示に出会うこともあります。100パーセントですよ、100パーセント。なので、
「秘伝」(・∀・)
と、しました。
覚者の書いた本の中の、「意味わかんないけど本当っぽい」フレーズや、ブッダやイエスが遺した言葉でもいいです。同時にいくつも「黙考」できますが、これこそ真実ではないかと感じたものを、じっと心に抱き続けてみてください。
慣れてくると、日常の暮らしの中での答えの出ない問題や、人生の岐路に立たされて選択しなくてはならなくなったときも、「黙考」することよって、『智慧』に導かれることがわかってくると思います。学問でも、仕事でも「黙考」は強力になり得ます。
(´∀`)
答えを外側に、誰かに求めることは愚かです。
あなたは本当は知っているのです。わかっているのです。
だから、「わからない」と思えたのです。
自分を信じていいのです。
(・∀・)ノ
空海さんが修行した洞穴。
御厨人窟(みくろど)と神明窟(しんめいくつ)
向かって左側が御厨人窟。生活用(・∀・)
右側は神明窟。修行用(^ω^)
そして、ふたつの洞穴から見える景色は空と海。
だから「空海」 (´∀`)ノ
@高知県室戸市
( ̄ー ̄)ニヤリ
「黙考」
です。まあ、秘伝というほどのものでもないんですが。
私たちは情報の海の中で暮らしています。そのせいか「黙考」というものを、すっかり忘れてしまっています。インターネットで、それはさらに顕著になりました。たいていの疑問や質問に対する解答、または解答に近いものは、クリックひとつで得られるようになりました。
現代人はそれにすっかり慣れてしまい、自身の内の深いところから、『智慧』を受け取る方法を、もう完全にと言っていいくらい、忘れてしまっています。
ブッダやイエス、空海に親鸞、彼らはどのようにして、『真実』にたどりついたのでしょうか?
彼らはマウスをクリックできません。スマホも持ってません。本屋さんや図書館もありません。
(´-ω-`)
聖典とされる書物くらいはあったでしょう。しかし、それらは現在読んでも抽象的で難解なシロモノで、わかりやすい解説なんて誰も書いてやくれてません。現在の私たちと同じように、疑問だらけになったことでしょう。彼らはどうやって、そんな疑問に対する答えを見つけ出し、そして『真理』を知ったのでしょうか?
彼らは『智慧』に触れる方法を知っていたのです。自らの中に、『智慧』の源泉があることを知っていたのです。「知恵」ではなく『智慧』
それは『叡智』、『英知』とも呼ばれます。この世界にあふれる情報とは、まったく違うものです。
『智慧』は「知識」とも違います。「知識」は外側から得た情報を集めた記憶にすぎません。
『智慧』は直観的な「ひらめき」です。そして、この『智慧』を受け取る方法が、
「黙考」
です。( ̄ー ̄)ニヤリ
「黙考」のやり方は、とってもシンプルです。ただその疑問を心に抱き続けるだけです。ひたすら忍耐強く。私ウリエルはそれを「ハートに置いておく」と表現しています。その本当の意味するところが暴かれるまで、心に抱いてじっと待つだけ。
( ̄ー ̄)
始めは短いフレーズの文章を「黙考」すると、そのコツがつかめると思います。もちろん、
「ちょっと何言ってるかわからない」
と、疑問になる文章です。例えば、
幸せでいるとは、
未知なるものとして生きること
(・∀・)
みたいなフレーズです。なんか意味わかんないですよね。なんか意味わかんないけど、なんか本当のことを言っているっぽい。そんなフレーズを心に置いて、その指し示すものを直接体験するまで、ただひたすら待つのです。そう「直接体験」なのです。
「わかった!」( ゚∀゚)
が、ただやって来るのです。それは思考を超えているので言葉では説明できません。理屈抜きです。頭ではサッパリ理解できないのに「わかった!」なんです。
そもそも、
「なんか意味わかんない」……(´-ω-`)
と、感じたということは、何かわかっているからなんですよ。何かわかっているからこそ、それが「わからない」と気づいたわけです。本当にわからないのなら、わからないことすらわかりません。
そのわかっている「何か」が隠されて見えていないだけなんです。その隠れているものが『智慧』の光に照らされて暴かれるのを、ひたすら待つのです。「賢者」というのは、忍耐強く待つことができる人です。待てずに答えを誰か他の人に求めるのが「愚者」です。
「賢者」は時間がどれほどかかっても、その答えは必ずもたらされると信頼しきっています。だって本当は知っているのですから。知っているからこそ「わからない」と思えたのです。本当は知っているのに、あきらめたり、他人の意見にすがるのは「愚者」としか言えません。
(´・ω・`)
「黙考」は強力です。100パーセント、その意味することを暴くことができます。「ひらめき」として、突然気づいたり、何か導きのような啓示に出会うこともあります。100パーセントですよ、100パーセント。なので、
「秘伝」(・∀・)
と、しました。
覚者の書いた本の中の、「意味わかんないけど本当っぽい」フレーズや、ブッダやイエスが遺した言葉でもいいです。同時にいくつも「黙考」できますが、これこそ真実ではないかと感じたものを、じっと心に抱き続けてみてください。
慣れてくると、日常の暮らしの中での答えの出ない問題や、人生の岐路に立たされて選択しなくてはならなくなったときも、「黙考」することよって、『智慧』に導かれることがわかってくると思います。学問でも、仕事でも「黙考」は強力になり得ます。
(´∀`)
答えを外側に、誰かに求めることは愚かです。
あなたは本当は知っているのです。わかっているのです。
だから、「わからない」と思えたのです。
自分を信じていいのです。
(・∀・)ノ
空海さんが修行した洞穴。
御厨人窟(みくろど)と神明窟(しんめいくつ)
向かって左側が御厨人窟。生活用(・∀・)
右側は神明窟。修行用(^ω^)
そして、ふたつの洞穴から見える景色は空と海。
だから「空海」 (´∀`)ノ
@高知県室戸市
「ちょっと何言ってるかわからない」
フレーズですよ。これが大事。わかったと思えていたものも、黙考したらわかんなくなってきますね。
「わからない」
って、ステキなことなんです。
(^ω^)
スピ本から抜き出してもいいです。聖書にもたくさんありますね。ウリエルは親鸞の言葉が好きですので、
(この親鸞というおっさん、本当に何言ってるのかわからん)
歎異抄もオススメです。
できれば真理を突いているフレーズがいいのですが、そうでないフレーズを黙考してしまっても、
「コイツ、わかってねーじゃん」
と、わかります(笑)
笑うウリエル
がしました