「本来の自分」というのは無限に広がる意識です。
(・∀・)

私たちは、最初からこの無限に広がる意識なのです。その中に枠を作って「私」という個人を演じているような感じです。

また、無限に広がる意識の中で、小さなカタマリのようになって、縮こまって「私」になっているとも言えます。枠の中で縮こまって常に緊張しています。なぜなら、カタマリの外側は恐怖がいっぱいだからです。
(・ω・)

この小さく固くなったカタマリを、ほぐして広げて行くわけですが、外側は恐怖なので、なかなか一気にはいきません。本当は恐怖でもなんでもないのですが、そう思いこんでいます。
例えば、「死」は、ほとんどの人にとって恐怖です。また、人生のコントロールを失うことも、ほとんどの人が恐怖に感じているはずです。そう思いこんで、縮こまったカタマリになっているのです。
(`-ω-´)

反対に言うと、カタマリの中にいると安心ということです。だから、このカタマリの中から出たくはありません。
実はスピリチュアルをしている人の大半が、このカタマリは残したいのです。この安心できるカタマリは残した上で、「悟り」を得たいと思っています。けれど、それは土台無理だと言うのがわかっていただけるでしょうか?
(^∀^)


ときどき、パッと枠の一部が外れて、カタマリからはみ出すことがあります。知らなかった枠の外側を見ることがあります。「気づき」です。また、枠が一気に全部壊れて、一瞬で無限になる強い体験をする人もいます。見性とか一瞥とか言われるヤツです。けれど、

慌ててもとに戻ります(・∀・)

もとのカタマリに戻ろうとするんです。そういうもんです。そこが安心だと思ってますから。
(´∀`)

もとに戻りたくても戻れない部分もあるので、その場合は新しい枠を作り直します。ちょっと前よりカタマリが広めになります。結果的に安心できる範囲が少し広がることになります。

まあ、こんなことをしているんだとイメージしてください。そうやって枠が徐々に広がって、やがては無限と一致する。絶対的な安心だけになる。しょーゆーことです。
再び枠を新たに作ることも、いけないことではありません。そういうもんですから、しょうがないです。
(^ω^)

よーするに何が言いたいかと言うと、

「本来の自分」に戻るとか、「悟る」とか簡単に言ってますが、それは今の「私」にとって、

めちゃくちゃ怖いこと(((( ;゚д゚)))

なんです。

「悟る」って、「私」にとって、とっても怖いことなんです。枠を取っ払うということですから。恐怖(だと思いこんでいるもの)が、さえぎっていた枠がなくなって一気に押し寄せてきてしまいます。例えば、人生をコントロールすることも失います。「私」が好きだったものを失うかもしれません。「私」がなりたくなかった状態になるかもしれません。だから、慌てて枠を作り直すんです。まあ、以前よりはちょこっと広がってますが。
(^ω^)

また、そんなめちゃくちゃ怖いことを、

「受け入れていく」

と、枠が広がって行くとも言えますね。だから、今まであったのに無意識だった恐怖に出会うと、これは枠を広げるチャンスだと嬉しくなったりもします。
(^ω^)


でも、よくないことがひとつあります。慌てて元に戻って新しい枠を作っているのに、枠なんてもうないと思いこんでいること。

「ぜんぶわかった」
「悟りにいたった」

と、枠内で思いこんでしまうことです。まあ、あんまり言いたくないですが、そういう「覚者」たくさんいます。正直、私ウリエルもそんな時期があったので、それもわかります。まだ枠があって、その外に恐怖がいっぱいある状態なのに、その恐怖をないものに無理やりしています。早い話がウソツキです。自分に対してウソをついているということです。
( ̄ー ̄)
そのようなヘンな「覚者」を見抜く目も、一瞥しても慌ててもとに戻るんだということを理解していれば、みなさんも持てるようになってきますよ。


枠の外に出て行くのは、安心を捨てて行くということです。

安心がまだないところ

に、歩んで行くということです。安心がまだないところが、本当は安心だって気づいて行くことがスピリチュアルです。

安心がないところに歩んでいくのは、誰だって怖いです。だから慌ててもとの安心に戻りたくなります。こういうもんだとわかっていれば、みなさんのスピリチュアルの取り組みも、わかりやすいものになるかなと思います。
出たり戻ったりを繰り返しつつ、徐々に枠が広がっていくのです。そうやって広げていけばいいんです。
(´∀`)


ただ、ちょこっと勇気を出して、もう戻るのをやめることができたら、

一気に世界は広がりますね。

(´∀`)


ごっつい雪の画像が貼りたくなった
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@富山県南砺市