わらうりブー

自由で無限の「本来の自分」を思い起こすこと それを伝えるブログです。

2021年01月

リラックスもするもんでない

感情をコントロールして、無理やり前向きになったり、無理やり感謝したところで、人生がよくなることはありません。ましてや「幸福」にもなりません。

現れる感情のエネルギーを変えたり、消したりする操作は、本人は「よかれ」と思ってやっているわけですが、結局は同じところを堂々巡りするか、新たな「苦」を生み出すだけです。

ということで、

「リラックス」もせんでいい(´・ω・`)

ですよね。ここまで書いたら、もうおわかりかと思いますが、「リラックス」も「する」ものではありません。自然にそうなるものです。よく、

「まずはリラックスしましょう」(´□`。)

なんて言いますが、それがもう感情の操作です。操作してリラックスした状態を作り出しても、それは心の表面だけがそうなるだけで、表面の下はなーんも変わってないです。落ち着きのないエネルギーはそのまま残ってます。
(´・ω・`)

どんな感情の操作も、「ありのまま」ではありません。唯一、していい操作は、「感情をコントロールしない」という操作、

操縦桿から手を放す

だけです。


さて、(・∀・)ノ

「感情をコントロールしない」というコントロール、これをしようと思ったら、まず、現在の感情がどんなものか見ないといけませんよね。

イライラしてるとか
ザワザワしてるとか
モヤモヤしてるとか
ビクビクしてるとか

客観的に自分自身の心を見ないことにはできませんよね。
「ああ、私の心は今、イライラしている」
「オレの心は今、ドーンと沈んでいる」
そんなふうに心を見て、さらに、その中に現れているエネルギーを見ないことにはできません。「私」自身を見ないといけませんよね。

では、その「私」を見ているのは、

いったい誰なんでしょう?

その「私」を見ているのも、もちろん「私」だと、ほとんどの人が思っているわけです。
(´・ω・`)?

でもね、結論を言ってしまうと、その見ている存在は、実は「私」ではないんです。そいつが、

「本来の自分」

です。ハイ。

工工工エエエエェェェェ(゚Д゚)ェェェェエエエエ工工工

ですよね(´∀`)

そいつを私ウリエルは、「見ているヤツ」と呼んでますが、その「見ているヤツ」の方が、

「本来の自分」(・∀・)

なのれす。ハイ。

かんたんです。ハイ。

ただ、「本来の自分」は広大無辺なので、それだけではないんですけど。

でも、まあ、とりあえず、その「私」を見ているほうが「本来の自分」だと認識してみてください。今まで、それも「私」だと思い込んでたわけでしょ? でも、そうじゃないんだって。
(´∀`)

その「見ているヤツ」のほうになって、じっと自分を観察していると、「リラックス」って、どこからともなくやってきませんか? いつもではないけど、やってくるときありますよね。
それが本当の「リラックス」なんですよ。

んで、多くの人がこの「見ているヤツ」と「見られているヤツ」が、ごっちゃになって、どっちも「私」だと思い込んでいるから混乱しているわけです。
おまけに、この思い込みは、子どものときからずっとやり続けてしまっているので、簡単には解けません。こんなこと言っても、
「だから、何なんだよ!」
って、反発してきますよね。

そう、私たちは「本来の自分」に気づきたくないのです。

それくらい、「私」のままでいて、「苦」を体験しているほうが、楽しいのです。
(・ω・ノ)ノ


小舞子浜
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@石川県白山市

感謝もせんでいい

何かを決めつけることを「ジャッジ」と言います。

私たちは不快な感情や後向きの感情を、瞬時に「よくない」とジャッジして、それを消そうとしたり、なにか違う別の感情を引っ張り出して、覆いかぶせたりします。これはもうほぼ瞬時に起こります。あたかも「義務」のようになってます。

でも、そんなのまったく「義務」ではありません。「義務」でないのに「義務」にするから混乱が生まれます。

そして、他にも「義務」でないのに「義務」してること、いくつかありますよ。そのひとつが、

「感謝」(´・ω・`)

です。


私たちは子どものころから、やたら言われました。

「感謝しなさい」(´・ω・`)

子どものころ、「ありがとうって、言った?」と、何度、親に注意されたでしょうか?
誰かに何か良いことをしてもらったら、「ありがとう」と言わなければなりません。「義務」です。その「義務」を果たさなければ、「悪い子」になります。
「悪い子」もまた決めつけ、ただの「ジャッジ」です。でも、そのジャッジのおかげで、「私は悪い子だ」という罪悪感にさいなまれたりもします。
(´-ω-`)

確かに「感謝」は素晴らしいものです。自分も相手も笑顔にします。でも、そもそも、「感謝」って、自然に胸の内から湧き上ってくるもので、頭で考えて無理やり「する」もんでは、ありません。
こうした、自然でない無理やりに作り出されたエネルギーは、「本来の自分」が生み出すエネルギーとは違い、何かおかしなことを生み出します。早い話が「苦」になります。
(´・ω・`)


ほとんどの人は知らないことですが、「本来の自分」は

「感謝」のカタマリ

みたいなもんなので、それをあえて「する」必要はありません。

何か良いことや、うれしいことがあったとき、何か感動することがあったとき、胸の奥にジーンとするような、ウキウキするような、心地よいものを感じるでしょ?
それを感じて同調するだけで、もうじゅうぶん「感謝」なんですよ。あとは自然にまかせておけばよい。この体と心が勝手に「感謝」を表現しますので。
同調したら、思わず「ありがとう」という言葉がでるときもあります。そのときは目の前の人でなく、胸の奥に「ありがとう」と言ってください。そうなんです。目の前の人に、わざわざ感謝の気持ちを伝える必要はないんです。

どう考えても「感謝」する場面なのに、「感謝」したい相手なのに、「感謝」が湧き起ってこないときだってありますよ。それは仕方ないで放っておくしかない。親であろうと恩人であろうと、しょうがないです。
それは、今までの無理やり作り出したエネルギーがグチャグチャになって漂っているので、もともとある「感謝」が出にくくなっているだけです。でも、「本来の自分」に戻る過程で、少しずつ本来の「感謝」が出てくるようになります。だから、そんなことでいちいち自分自身を責めるとか、しなくていいのです。

ま、いちおう、カタチだけ「ふーん、ありがとう」とでも言っといてください。今まで習ったように。とりあえず、この世間ではそんなルールになってますんで。ええ、ただのルールです。
ルール(´∀`)

でも、

「感謝」は義務じゃない


ちなみにね、良いことや、うれしいことがあったとき、胸の奥に起こる心地よい感覚、それ振動なんですけど、それが振動であること、わかりますか?

そしてね、その振動、べつに良いことや、うれしいことがなくても、ずっと振動してるんですよ。常に。
たまに、その振動を確認したくて、良いことや、うれしいことを使ってるんです。そういうことなんです。
けど、まあ、それはまだわかんなくていいです。
(´∀`)


さて、「前向きにならんでいい」、そして「感謝もせんでいい」と書きました。
よーするに、自然体でいたらいいということです。「正常」になろうとする必要もない。

慣れないうちは、なんか難しい気がしますよ。でも、これを完璧に体現している人たちが、意外にも、あなたのすぐ身近にもいると思いますので、是非、お手本にしてください。

その人たちとは、

「おさなご」

です(・∀・)ノ

幼な子は、無理に前向きになろうとしませんし、感謝も知りません。

だからイエスもこう言ったのです。

「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならねば、天国にはいることはできないであろう」

「天国」とは、本来の自分です(´∀`)ノ


中書島の辨天浜 向かいは月桂冠の建物です
IMG_6070
@京都市伏見区

前向きにならんでいい

私たちは体でも心でありません。

ということは、この広い世界の中にいる、小さな一個人である「私」ではないということです。
そのことを忘れてしまっているだけです。
(´・ω・`)?

んで、一個人な「私」でないことを思い出して、「本来の自分」に戻りたいわけですが、それがなかなか簡単に行きません。なくした物がどこにあるか思い出せと言っているようなもんです。思い出そうと思って、すぐに思い出せるなら、それってなくしてないもんね(笑)

思い出そうと思って、思い出せるものではない。

「本来の自分」が自分自身を思い出すのを、気長に待つしかありません。
(´-ω-`)

ただ、だからと言って何もしないと、もっと思い出しにくいので、いにしえよりいろんな人が、思い出しやすくなるような「ヒント」を出し続けてくれています。
ブッダやイエスもそうです。空海や親鸞もそうです。そして、現代でもノンデュアリティの真理を体得した人たちが、たくさんの本を出したり、教室を開いてたりします。

でも、そんなスゴイ人たちでも「本来の自分」はこうですと、はっきり言葉に表現できません。「ヒント」しか言えないんです。てなわけで、このブログも「ヒント」です。
(・ω・)ノ


さて、思い出すには、まず散らばったり、あらぬ方向に行ってしまっている、この生きるエネルギーを、本来の場所に戻すと思い出しやすいです。

「ナンノコッチャ?」(´・ω・`)

ですよね。私たちには、なんかよくわからないエネルギーがあるでしょ?
「よし、がんばるぞー!」
とか、体の中からヤル気とかが湧いてくるようなときあるでしょ? それ。それが、そのエネルギー。
そのエネルギーが散漫になっているので、「本来の自分」が使ってないんですよ。だから、まず、「本来の自分」が使っていた場所にエネルギーを戻します。

「ナンノコッチャ?」(´・ω・`)

ですよね。

戻すといっても、何か操作するわけでもありません。いらないものや的外れなことに、エネルギーを使うことを「やめる」だけです。「やめる」だけで、自然にエネルギーは元の場所に帰りますので。

そこで、まず、

感情のコントロールをやめる

から、やってみましょうか(・∀・)ノ

私たちはものすごく感情をコントロールするように教え込まれています。また、そうすべきだと自身でも思い込んでいます。

怒りや憎悪があったらなくす。落ち込んだら元気を出す。不安や恐怖は消す。悲しくても笑う。暗い気持ちは明るく。ヤル気が出ないときは無理やりにでも出す。

そういった後向きな感情は、消し去ることがまるで「義務」になっています。そして、前向きに生きることも、なぜか「義務」になっています。その義務の遂行ぶりは、かなり徹底されていて、ほとんど反射的に無意識に行われます。
でも、そもそも、後向きやったらアカンって、

誰が決めたん?(´・ω・`)

というか、それが後向きということすら、

勝手に決めただけやん(´・ω・`)

ですよ。このような勝手な決めつけを、「ジャッジ」と言っています。

感情はエネルギーです。この後向きに見える感情も、ただのエネルギーです。ただ現れては、元の場所に帰ります。
でも、その現れては消えるという過程の途中で、無理やりグニャっとその方向を変えたり、新たに違うエネルギーを覆いかぶせたりして、元に戻れなくしてしまっているのです。それも反射的に無意識に。そうして行き場を失ったエネルギーだらけになって、混乱しているのが私たちです。
行き場を失ったエネルギーは元に戻ろうと、何度も出現します。それをまた新たなエネルギーで何度も封じ込め、ああ、えげつないエネルギーの浪費。
(´-ω-`)

ちゃんと、エネルギーを元あった場所に帰しましょう。

落ち込んだら、それが消えてなくなるまで感じる。
倦怠感も、それが消えてなくなるまで感じる。
不安や恐怖も、ちゃんとあると認めて感じる。
怒りや憎悪は、相手にぶつけるとややこしくなるので、違う何かで放出してください。人のいないところで叫ぶとか、枕を殴るとか。もちろん、ややこしくなること承知で、直接相手にぶつけることもあっていい。

私たちは後向きと「ジャッジ」されたエネルギーに、違うエネルギーをかぶせることを何万回もしてしまっているので、一気には全部が解消されません。でも、少しずつですが、元に戻っていきますよ。元に戻っていくと、「本来の自分」が使っていた状態にだんだんなって行き、やがて「本来の自分」も思い出せるようになるんです。

というかですね、

そもそも「前向き」な気持ちって、無理に「なる」もんじゃないんですよ。

自然に「起こる」もんです

そうでしょ?

それを無理やりに起こそうとしちゃいけません。おまけに、その「前向き」すら、自分自身や世間が勝手に「ジャッジ」して決めてるだけです。だから、

前向きなんかにならんでいい

現れる感情のエネルギーの好きにさせておけば、それでいいのです。それだけで、自然に自由に生きられるようになって行くのです。

青木湖
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@長野県大町市


「正常」って病気だよ

大半の人は、自分は「正常」だと思っています。

「あの人、ちょっとおかしいよね」という人にも、しばしば出会ったりしますが、その人だって、自分は「正常」で正気だ、何もおかしいくはないと思っています。ほぼ間違いなく。

自分が「正常」でなく、正気でないと思って日々生きている人は、まあ、いないですよね。
自分は理にかなっていて、正気である。「正常」だと思っています。
(´・ω・`)

だけど、この「正常」って、実は、驚くほどの不正直や強欲や憎悪が渦巻いていて、対立や争いで傷つけ合い、そして、もう意味のわからない恐怖に閉じ込められた、まさに

「狂気の沙汰」(((( ;゚д゚)))

なのです。

事実、人が「現実」と呼んでいるほどの、非現実はありません。それを誰もが「現実」として疑わないのです。疑うと「正気でない」とされるわけですから、そんな状態を、もう正気で「正常」だとはとても言えません。


「この世の中も自分も、何かどこかおかしいんじゃね?」

という感覚は、みなさんにもあるんじゃないかと思います。だけど、ほとんどの人がもう病的に、その感覚を抑え込んでかき消します。
たまに、その「この世の中も自分も、何かどこかおかしいんじゃね?」という感覚に触発されて、別の「正常」を探す人もいます。だけど、新たに見つけた、これこそ「正常」だというものも、やっぱり狂気を正当化するものでしかありません。

唯一、

「本来の自分」だけが「正常」です

でも、私たちの頭では、これが「正常」なんて、とても思えません。それこそが「狂気の沙汰」のようにまで思えます。
(´-ω-`)

だから、「本来の自分」を知るためには、まず、これが「正常」だと思うことを「やめる」ことが大事です。
「この世の中も自分も、何かどこかおかしいんじゃね?」
で、止まってください。新たな「正常」を探さない。

あなたが生きているこの世界で、「正常」なものなんてどこにもありません。それなのに、何かを捕まえて、これが「正常」と決めつけるのは病気です。その病気は、自分も周りの人も、

とんでもない苦痛に巻き込みます
(((( ;゚д゚)))


「正常」なんて、どこにもない。

自分って常に、何かどこかおかしい。

すると、「狂気」もどこにもない。この向かうべき方向がなくなったとき、
「本来の自分」が、フッと現れます。

( ̄ー ̄)ニヤ

っとね。


智頭急行・恋山形駅
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@鳥取県智頭町


ま、とりあえず「ありのまま」に

どんな人生も100点満点(゚∀゚)!

あ、言ってみただけです。とくにこれから書くことと関係ありません。
でも、そうなんですよ。0点の失敗した人生とか、及第点の人生なんてありません。
(´∀`)


さて、「本来の自分」はこれと表現できません。無限だからです。
そして、人生を運んでいます。今もあなたを運んで行っています。

私たちはがんばって人生を操縦して生きているような気持ちになっていますが、本当はそうではありません。
実は操縦桿から手を放して、勝手に飛んでいく方向に任せればよいのです。が、そんな恐ろしいことはできません。そんなことしたら墜落すると思い込んでいます。なので、私たちは必死に操縦桿を握りしめ、墜ちないように人生をコントロールします。

怒り湧いたら、それを鎮めようと操縦して、
気持ちが落ち込んだら、元気を出すように操縦して、
マズいと思うことを避けるように操縦して、
正しいと思う方向に操縦して……

人生を飛行機に例えたら、右に左に上に下にと、とんでもない飛ばし方をしてしまっています。だから結局、何度となく墜落しそうになるでしょ?
(´∀`)

だけど、実は、人生を運んでいるのは「本来の自分」 あなたの体でも心でもない、無限の存在です。
本当はもっとビックリすることや、素晴らしいことがあって、その方向に向かっているのに、あなた自身が墜落すると思い込んで、反対の方向に向かってしまっているんです。
無駄な燃料まで使って。
結果、いろんな可能性に限界を作っていると言ってもよいです。どんどん自分を小さくしている。

まずは、

操縦桿から手を放して(・∀・)

怒りが湧いたら、怒りのままに、気分が落ち込んだら、落ち込んだままに。
マズいと思うことが起こりそうでも、ま、とりあえず「しょうがないな」と、そのままに。

「ありのままに」

ですね(´∀`)ノ

大丈夫。墜落しませんから。というか、墜落しても死にません(笑)

慣れないうちは怖いですよ。ちょっと勇気がいる。それから、操縦桿から手を放すという操縦をしてしまったり。意外と難しい。
(´・ω・`)
でも、やってみないとね。「ありのままでない」という「ありのまま」でもいい。
やっているうちにコツもわかってくるから。「本来の自分」は、すぐにはわかんないです。そのうち、ぼんやり感じ取れるようになる。


「本来の自分」はただ沈黙して、体と心、そして、体と心を通してこの世界を見ています。そして、人生を運んで行っています。
その「まなざし」は頭で理解できません。頭ではない、何かで感じてください。

ウトナイ湖周辺の林
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@北海道苫小牧市

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プロフィール

笑うウリエル

「わっかっちゃった人」俗に「覚醒した人」というらしい。
この世が面白くて楽しくて仕方なく、それをみんなに言いふらしたいだけのバカ。旅人でもあり、言いふらしにどこへでも行くもっとバカ。
ちなみに職業は、たこ焼屋さん

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