わらうりブー

自由で無限の「本来の自分」を思い起こすこと それを伝えるブログです。

2021年02月

「次元上昇」

自分自身を「私」という人格に閉じ込めているうちは、人は平面の上を行ったり来たりしています。
(´・ω・`)

どうすれば苦悩をなくすことができるか?
どうすれば豊かになれるか?
どうすればよりよい人生にすることができるか?
どうすれば真実を知ることができるか?
どうすれば悟ることができるのか?

こういったものに基づいて考えたり行動しているうちは、ずっとひとつの次元、いわば、ただの平面の上をウロウロしているにすぎません。こういったものの考え方は、すべて「私」という記憶の寄せ集めで出来上がった信念体系から発生しています。
(´・ω・`)

ここから「ぽこっ!」と、飛び出してしまうことが、

「次元上昇」

すなわちアセンションです。平面移動だけだったのが、垂直方向の動きも加わり、それまで狭かった視野が大きく広がり立体的になるのです。

なので「次元上昇」というのは、この地球に起こることでもなく、霊的な存在や、何か超越した存在が起こすものでもありません。ただ「私」という檻がなくなり、「私」から自由になるということです。それは自分自身がただ気づくだけで起こります。

こんな言い方をすると、なんか難しいですよね。よーするに「本来の自分」に戻るだけのことです。それがもう「次元上昇」、アセンションなんですよ。
(´∀`)


私たちは、このたった今も、いろんなものに抵抗しています。

「これはよくない」
「これではいけない」
「このままではいけない」

とね。この「よくない」や「いけない」を発見して、それを解消しようとしているうちは平面移動です。右から左、前から後へ移動しているにすぎません。過去の記憶からテキトーなものを引っぱり出して、未来を予測しているだけなんです。

このいろんな抵抗をなくすことが自由で、それを知ることが悟りだと思っていませんか?
あ、でも、それカンチガイですよ。カンチガイしているうちは平面移動。それ永遠にグルグルまわるエネルギーの無駄遣いです。
(・∀・)

そこから「ぽこっ!」と飛び出して、「次元上昇」しましょう。簡単です。

「これはよくない」
「これではいけない」
「このままではいけない」

で、「ええねん」(・∀・)ノ

はい。おわり。あなたはたった今、「次元上昇」、アセンションしました。
(´∀`)

ミジメで「ええねん」、対立してて「ええねん」、
このままではダメになるかもしれないけど「ええねん」、
それを「ええねん」とはまったく思えないのも、これまた

「ええねん」(・∀・)

するとね、もう何をしていいかわからなくなるでしょ?
エネルギーをどこに向けていいのかわからなくなりますよね。
(´∀`)

でもね、そのときはじめて、平面で右往左往しかしていなかったエネルギーが行き場を失って、平面から「ぽこっ!」と飛び出して、なんか未知の次元に飛び出していくんですよ。おお、まさに「次元上昇」です。「次元下降」かもしれないけど。まあ、平面から抜け出したら、それでいいんです。下降も「ええねん」(笑)

平面ってのは、すなわち記憶なんですよ。記憶から作られた信念体系です。
ここから「ぽこっ!」と飛び出してしまうと、あなたはもうまっさらです。「私」がどこにもありません。次の瞬間、自分が何をするのかも見当もつきません。でも、私たちは「自律」していますので、何の問題もないんです。「自律」したエネルギーは垂直方向で予測不能ですから。


すべてに「ええねん」と言って、この今の瞬間にOKを出してください。

あなたはこの今の瞬間も、「私」に囚われて、ミジメさや対立に囚われて、右往左往しているでしょう。それで、

「ええねん」(・∀・)

苦悩も山ほどある。明日が不安で仕方ない。
ぜんぜん「本来の自分」なんてわからない。
それで、

「ええねん」(・∀・)

はい。もうどうしていいのかサッパリわからなくなりました。

これにて「次元上昇」、アセンション。

いっちょあがりー♪(´∀`)


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たくさん貼った郡上市もこのへんで(´∀`)ノIMG_6490


みんな「対立」するのが大好き

「本来の自分」は、この世界の一部ではなく、この世界のほうが、「本来の自分」の一部です。
なので、どこにも中心がありません。
(´・ω・`)?

でも、どういうわけか、人はそれを知るのを拒絶します。自分自身がこの世界を生み出しているのに、それに気づくことを、なぜか、あの手この手でジャマをしてしまうのです。
「私」という、実体のないヤツを作り出して、この世界の中心に居座り続けようとします。
(´・ω・`)?

このメカニズムに気づいていることが大切。よくわかんない?


自分がこの世界の一部であると思い込むには、「私」というキャラクターが必要です。
「私」は、自分は他人や他の生き物や、体の外側のあらゆるものとは、「べつべつ」だと思い込んでいます。「私」と「私以外」に分離しているわけです。
……(´・ω・`)

この「分離」は、思い込みにすぎません。ただの思い込み。なので、何かのきっかけで、
「あれ!?」
と、簡単にあっというまに解けてしまうものです。でも、そうはさせじと、あの手この手でこの思い込みを解かさないようにしてあるんですよね。そんなことしてるのも、自分自身なんだけど。

その、あの手この手のうちのひとつが、

「対立」

です。

……(´・ω・`)


分離している状態では、「対立」が大好きです。「私」は「私以外の何か」と対立している限り、分割されて、分離している状態でい続けることができますから。常に「私」の敵を作っておけば、「私」を存続できるって仕組みです。このメカニズムに気づいておいて、よく自分を観察してみてください。

この考えは間違っている。
このままではよくない。
なんてひどいことを。
私は被害者。
今よりも幸せになりたい。

ぜんぶ「対立」なんですよ。わかりますか?
いやいや、私は対立なんかしません。平和を愛しています。という人も「平和でない状態」と対立してますよね(笑)

そうやって自分と何かを「対立」させて、攻撃と防御をし続けることを、ものすごく好んでやっているのが私たち。敵がものすごく好き。もし、敵がいなくなったら、どうやって生きていいか路頭に迷ってしまうのです。
おじいさんたちって、政治の論議がすきですよね。なぜかというと、社会人をリタイヤして年金暮らしになると、敵がなくなって困ってしまうんです。なので、テレビや新聞から敵を見つけるんですよね。報道のどんなニュースも「対立」をひたすら煽りますので。

何か敵を作ると、

「私」の正当性が際立つんです

そして、敵をやっつけると気持ちがいい。「半沢直樹」がヒットするのも、多くの人が「対立」にものすごく価値を置いているから。

「対立」がなくなっちゃうと、あらゆるドラマが消滅してしまいます。「私」はそれを怖がっているんですよ。どうやって生きていったらいいのか、路頭に迷いますから。
(´∀`)


でもね、あらゆるドラマをいったん消滅させてしまうのが、「本来の自分」に戻るということなんです。いっちゃなんですが「私の死」です。
今までずっと紡ぎ続けられて、織り上げられた人生のドラマ。これ、チャラにします。
すると、新たな、想像もつかなかったビジョンが出現し、あなたは創造的な行動を開始します。

そのためには、自分が何かと「対立」して、その「対立」がものすごく好きなことに気づいてください。ただ気づいているだけでいい。
いろんな「対立」を見つけては、
「ああ、また対立してるわ。バカだね」
って、笑って自分を観察していてください。それだけでいいです。

「対立してる、けしからん!」

と、思うと、それ、また「対立」ですので。
(´∀`)



「今日もまた まっさらな一日がはじまります」
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@岐阜県郡上市

「幸福」はアホになること


みじめ(´・ω・`)

が、「苦悩」の原因です。

つまり、「みじめ」 を捨ててしまえば、「苦悩」もなくなります。「幸福」になります。というわけで、ポイっと捨てましょう。
と、言っても簡単に人は「みじめ」を捨てられません。なぜなら「みじめ」は、この人間社会での

生きる原動力

だからです(´・ω・`)

成功者と呼ばれる人は、その原動力は「みじめ」です。
立派な人、尊敬される人も、根本的に「みじめ」だから、人々から尊敬されるのです。
「もっとよくなろう」、「世の中をよくしよう」、「みんなを幸せにしよう」、「困難を克服しよう」……
ぜーんぶ、まず

みじめ(´・ω・`)

でないことには、始まりません。

そして、「みじめ」は人々から注目されます。あなたが「みじめ」を話すと、それを誰かが聞いてくれます。お悩み相談には人は興味を示してくれますが、ただ「幸福」なお話なんて、誰も聞きません。
この人間社会は朝から晩まで、「みじめ」のオンパレードです。だって、「幸せになりたい」、「もっとよくしたい」という気持ちは、まず「みじめ」でないと起こりませんから。この構造をよく知っておくことが大事です。

人生は「みじめ」で出来ています

あなたがもし「みじめ」を捨ててしまったら、あなたは人間社会にいられなくなってしまいます。
(´・ω・`)

このことを、よく知って「みじめ」を観察してください。

大事なことは「みじめ」を捨てることではありません。もちろん「みじめ」から脱却することでもありません。あらゆる人の人生が「みじめ」で出来上がっているのだと、知っておくことが大事なのです。
捨てようと思って捨てられるほど、簡単なものではないのです。なんせ「みじめ」は、今日まであなたを生かしてきた原動力であり推進力。つまり、生きがいであり、自分らしさであり、アイデンティティーなわけです。捨ててしまうと、あなたはこの世界から消えたも同然になります。


それを知って「みじめ」を観察していると、ふと、

「もう今のままでいいんじゃね?」

と、思う瞬間があります。とくに、大きな苦悩を抱えて、もう万策尽きて絶望するしかないというときなんかに。がっつり「みじめ」と向き合いすぎて、

「もう、どうでもええわ」(ノ`Д´)ノ

ありますよね。
(´∀`)

じつは、その瞬間が「天国への扉」が開かれた瞬間なんです。それは、生きる原動力がなくなった瞬間です。そのとき、「幸福」、「絶対の幸福」を知る扉が開かれているのです。

生きる原動力を失ったとき、

今日まで生きてた人生を失ったとき、

エネルギーはどこへ向かうのでしょうか?

それは「未知」としか言いようがありません。

でも、人はその「未知」が怖いのです。だからすぐ「みじめ」を取り戻します。「みじめ」ならよく知っている自分に戻れますから。ごく少数のアホだけが、その「天国の扉」を通って、未知の世界に歩んでいきます。
実際に、そうやって未知の世界に行ってしまう人を傍目にして、私たちは彼らを「アホ」と評価していますよ。

「あのひとはバカだ、アホだ」

って。(´∀`)

なので、私ウリエルは思うのです。ブッダもイエスも空海も親鸞も、

とんでもねえ「アホ」

と、言われていたに違いないと。たぶん、私ウリエル自身も、近所から「アホ」って言われているだろうな。
(´∀`)


「もう今のままでいいんじゃね?」

と、思う瞬間を許してください。そこでアホになってください。

最初は怖いですよ。もう反射的に「みじめ」に戻ってしまいます。天国の扉を通ってしまうと、大事な物を失うかもしれないし、好きなこともなくなるかもしれません。何もない「私」に戻りますから。でも、この何もない真の「みじめ」な「私」を通り抜けないと、

「すべてある」

も、知ることができないのです。

「本来の自分」には、すべてが「ある」のです。

宗祇水
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岐阜県郡上市

「心の貧しい人は幸いである」

ごきげんよう(・∀・)
さて、第二章にまいります。

第一章では、「見ているヤツ」や「静けさ」、そして「空」にとどまっていると、それらは「自律」しているので、自ずと「本来の自分」にエネルギーが戻されていくということを、主にお話しました。いわゆる「瞑想」です。

さて、ここからは、もう少し積極的な感じになります。積極的と言っても、基本的にはやっぱり、

何もしません(笑)

ただ、観察するだけです。でも、もっと積極的に自分自身を観察します。いわば、

「洞察」

ですね(´∀`)

ただ観察するというより、観察して、その根っこは何なのかを探しに行きます。その「ヒント」を書いていきます。


さて、「本来の自分」を忘れてしまっている状態、よーするに、この体が自分で、自分と他人は別々だと思い込んでいる状態。すなわち分離した状態。
(´・ω・`)
この状態では、自分のことを「私」だと思っています。

「私」は常に欠乏感にさいなまれています。そもそも自分には何もないと思っていて、いろんなものをゲットしていかないと、充実した人生や満足感、幸福を得ることができないと思っています。

お金や家、安定した仕事、学歴や社会的地位、美ぼう、愛する人、仲間、健康、知識や知恵、道徳や高い人間性……

山のようにたくさんのものをゲットすれば、それはそれは満ち足りた人生を歩むことができる。分離した「私」は、常にそう思っています。
目覚めや悟りといったものまで、ゲットすれば「幸福」になれると思っています。

これは逆に言うと、「私」は常時

みじめ(´・ω・`)

だと思っているということです。だって本当に「幸福」なら、何もゲットするものがありませんから。
何か手に入れようとしているということは、あなたは「みじめ」なのです。まず、それを自覚せねばなりません。
(´-ω-`)

この「みじめ」を排除しようとする試みは、すべて「苦悩」になります。なぜなら分離した「本来の自分」でないものから、生み出されたエネルギーだからです。このエネルギーの無駄遣いをやめて、元あった場所にエネルギーを戻さねば、「苦悩」はなくなることはありません。
エネルギーを元あった場所に戻すには、

みじめ(´・ω・`)

に、直面するだけです。「苦悩」の根っこは「みじめ」なのです。その「みじめ」に直面して、どうしてそれが「みじめ」なのかを、よく見つめて観察してください。

「みじめ」に直面すると、不安なネガティブな感情のエネルギーが、胸の内に重苦しく渦巻くでしょう。そのエネルギーをじっと感じてください。なにも操作せず、ただ感じてください。最初は難しく、ちょっと苦しいですけど。
エネルギーを感じながら、その「みじめ」といっしょに生きてください。その「みじめ」をよく理解するように努めてください。


イエスは言いました。

「心の貧しい人は幸いである」

この言葉をわかりやすく説明したものが、なかなかありません。聖書の難解な部分です。
でも、「心の貧しい人」というのを、

「自分がみじめであると、よく理解している人」

と、解釈すれば、とても簡単です。

自分は「みじめ」なんだとよく理解すれば、「みじめ」の原因をよく見て、そのときのネガティブなエネルギーを感じ切ってしまえば、意識の変革はやがて勝手に起こります。自律してますので。

あなたは何も手に入れようとする必要はありません。自律してますので。

真の「幸福」は手に入れなくてもここにある。自律してますので。

それがわかるでしょう。

変化は突然、おとずれます。
(´∀`)


長良川
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@岐阜県郡上市

「私」に何もさせないでね

「本来の自分」は、「私」には想像もできないものです。

「絶対の幸福」もまた、「私」には想像できません。

それを知る方法は、とてもシンプルです。

「私」に何もさせない

ただ、これだけなんです。よく「あるがままにしておく」と言ったりしますが、つまりは、そういうことです。
ただ、これだけなんです(・∀・)

「心」にはいろんなものが思い浮かんできます。それにつられて、いろんな感情も湧き起こってきます。それをただ観察するだけでいいんですよ。その観察している観察者は、

まっさらで、

何も知らなくて、

からっぽで、

鮮やかな、「純粋意識」なのです。

どんなに醜い邪念が次から次に湧いて来ても、放っておけばよいのです。どんなに体がザワザワ、ワナワナして落ち着かなくても、とりあえずは放っておけばよいのです。

「心」の中に現れる様々なもの、「体」に起こる様々な反応、ぜーんぶ放っておいてください。
(´∀`)

「私」は「本来の自分」に気づくことはできません。

「本来の自分」が自分自身に気づくわけです。「私じゃねえ!」って。

おもしろいですよね(´∀`)

だから、「私」がいくらがんばっても、「本来の自分」に気づくことはできません。

私たちって、何かを得るにはがんばったり何かしないといけないと、そういう幻想に取りつかれていますから、このことがなかなか理解できないんですよ。
「本来の自分」は得るものでも、行きつく場所でもないので、そういう努力じみた行為は、これっぽっちも意味が無いんです。
「本来の自分」は当たり前にずっとここにあるので、得るものや行く場所ではないからです。

「心」がずっと、わけのわからん何かを思い続けていてもいいんです。

「体」が何かしていても、何もせず寝転がっていてもいいんです。

それを静かにさせようだとか、きちんとさせようとかしないでください。「心」と「体」の好きにさせて、それをただ見てください。


「本来の自分」に気づくって、ハッキリ言って、

アクシデント

のようなもんです。だから何か起きるだろうと期待して見ているうちは何も起きませんよ(笑)
まあ、石につまずくようなもんですので。
(´∀`)

だから、何もせずただ歩くように、「心」と「体」を流してしけばいいんです。

そのうち、ドテッ!と、つまずいてこけますから。

女子中学校みたいなお地蔵さんだな(・ω・`)
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@岐阜県郡上市



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プロフィール

笑うウリエル

「わっかっちゃった人」俗に「覚醒した人」というらしい。
この世が面白くて楽しくて仕方なく、それをみんなに言いふらしたいだけのバカ。旅人でもあり、言いふらしにどこへでも行くもっとバカ。
ちなみに職業は、たこ焼屋さん

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