わらうりブー

自由で無限の「本来の自分」を思い起こすこと それを伝えるブログです。

2021年03月

「絶対的不安定」

「私」という個人、その観点からする行動は、

すべて分裂しています

出発点がすでに分裂して分離しているからです。
(´・ω・`)

このことは思考で理解しておいてください。出発点が分裂しているので、その分裂が解決しても新たに分裂が生まれます。結局は葛藤することと選択することが、えんえんと続くエネルギーの無駄遣いになります。

では、この「私」という分離した個人でない観点って、なんなんでしょう?
(´・ω・`) 
それは、

事実をただ事実と見る

その観点だけです。

いま起こっていることを、ただ、「これが事実だ」と見る。これだけです。それが善いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、なーんもジャッジせずただ見る。なーんもジャッジしないと、「私」はとたんに不安定になります。ジャッジしなければ選択もできない。防御も攻撃もしない、まったく無防備な状態。私ウリエルはこれを、

「絶対的不安定」(・∀・)

と、呼ぶことにしました。
(´∀`)ノ


この「絶対的不安定」な状態でないと、起こっている事実に変化をもたらすことができません。「絶対的不安定」にいないと、正しい行動ができないんです。ハイ。
このことを知っておいてください。

例えば、あなたに向かって怒りをぶつけてくる人がいた。あなたの「私」は反射的に反応し、攻撃か防御をします。この反射的な反応は、感情で固定されているんですね。だから感情を感じてくださいな、と、ウリエルは言うわけです。頭ではいろいろ理屈や御託をならべますが、それらは、まず感情が起こらないとでてこないです。ハイ。
なるべく、最初に現れる感情を取り出して、そのエネルギーを感じてください。思考を使わず、体で感じてください。感じているうちに固定されたものが、だんだんゆるんできますので。

目標と言うとおかしいですが、思考は何か目指すものがないと何もできません。だから、あえておかしいけど目標を定めてみますよ。目標があること自体が愚行なのですが、あえて。
(´∀`)

感情を感じて、固定されていた思い込みやパターンをゆるめて、やめて、最終的に、

「絶対的不安定」(・∀・)

な状態になる。この「愚行」を行ってください。


「絶対的不安定」になると、事実は事実としてすべて受け入れなければなりません。そして、何をどうすればいいのか、思考はまったくわからなくなります。ジャッジしないので選択できない。
そのときはじめて、その事実に的確に対応できちゃうんです。なんせ「本来の自分」は自律しておりますので。おもしろいでしょ?
(´∀`)

「本来の自分」に戻るというのは、この「絶対的不安定」な状態でいるということでもあります。


どんな状況にも解決策はあり、それは「本来の自分」しか知りません。「絶対的不安定」しか解決策を知らないんですよ。なんか逆説的でスピリチュアルだなぁって、感じしますよね(笑)

「絶対的不安定」の中に、永遠の安定があるんですよ。逆かもしれない。永遠の安定って、「絶対的不安定」なのかもしれません。
そして、永遠の安定は、絶え間なく変化してきます。なので安定をつかまえることはできません。絶え間なく変化して行くからこそ、永遠に安定しているんです。


それを知るのは、とてもシンプルです。

事実をただ事実と見る

そんなに難しいことではありません(´∀`)


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@兵庫県小野市

「そうじゃない」は、そうなの

探究というのは、「本来の自分」を覆い隠す「私」を崩して行く作業です。
(・∀・)

「本来の自分」は常にあって、あなたは今も「本来の自分」です。「本来の自分」でないことなんてありません。なんせ自分ですから。
(´∀`)
ただ、いろんな信念や価値観といった「思いこみ」で、それが覆い隠されているだけです。
「私はこうだ」とか「私はそうではない」という思いこみ。こんなたくさんの記憶による思い込みを寄せ集めて、こねて丸めたものが「私」という概念です。

「私」は、そんな思い込みをただ寄せ集めたものなので、

実際には存在しません(・∀・)

そんなヤツは本当はどこにもいないのです。だけど、「私」がどこにもいないなんて、「私」にはとても信じられないし、そんなこと想像するだけでもイヤなのです。なので、「私」は何が何でも「私」であり続けようとします。そういう構造になっているんだと、知っておいてください。


さて、そんな何が何でも存在し続けようとする「私」
そんな「私」は、しばしば、トリックのようなものを使ってまで自分自身を欺きます。それは、それがトリックだとは「私」自身も気づかないという、まことに巧妙なものです。「本来の自分」に戻るには、そのことにも気づいて行かないといけません。
(´・ω・`)
んで、

「私はそうじゃない」

という思い。こんなのも、そんなトリックのひとつです。

例えば、ものすごくケチな人とか、ものすごく怒りっぽい人とか、ものすごく自分勝手な人だとか、そういう人に出会ったとき、思わず嫌悪感が湧いてきます。そして即座にこう思います。

「私はああじゃない!」

または、誰かに「あなたは○○ね」と言われて、即座に腹が立つときがあります。

「私はそうじゃない!」

そういう、即座に嫌悪感や腹立たしい気持ちが起こり、それを否定したくなるとき、あなたは、

そうなのです(・∀・)ノ

「あなたはケチ」と言われて、思わず否定したくなったら、あなたはケチなのです。
醜い人を見て、「私はああじゃない」と思うのなら、あなたもその人と同じくらい醜いのです。

「本来の自分」は「不二一元」の存在です。醜いも醜くないもない世界の存在です。なので自分が醜いかそうでないかのジャッジすらできません。自分が悟っているのか悟っていないのかさえも知りません。それがいったい何のか、何も知らないのです。
なので、「私はああじゃない」、「私はそうじゃない」というのも、

「わからない」(・∀・)

のです。
「あなたはケチ」と言われたら、「へえ、そうなんだ!」と思うことしかできないのです。

いっぽう、分離した「私」は「二元」の世界の幻想です。まず「自分はケチ」と思っていないと、「自分はケチでない」と、思うことができないのです。「私にはこんな醜い部分があるのだ」とジャッジして知っているから、他人を見て「私はああじゃない」と思うことができる。
こういう仕組みです。


否定したくなる人の醜さ。それを醜いと思う自分がいる。「私はそうじゃない」と思いたい自分がいる。そのことに気づいたら、

「否定したくなると言うことは、私はそうだ」
「否定したくなると言うことは、私もそうだ」

と、認めてください。そして、自分がそうであることを、ゆるしてください。それが今のあなたの「ありのまま」
認めるのことはイヤでしんどいですよ。でも、そんなの一瞬で終わります。どんどん何かが軽くなっていくような気がしてきますよ。凝っていたところがほぐれていきます。しつこい肩コリもなくなりますよ。マジで。
(´∀`)

自分の中に、自分でも認められないものがある。

それを覆い隠して生きて行く。

なんてしんどいのでしょう。バカバカしいですよね、そんなの。というか、そんなのウソツキです。本音で何も話さない人と付き合っていて楽しいですか? しかも、自分にその本音を話さないのが自分だなんて。

そんなバカなこと、やめましょうよ。
(・∀・)

お茶畑
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@京都府和束町


豊かさ

感情を感じる

とくに、それがネガティブなものとなると、それを感じ続けることは、最初はなかなか難しいです。
(・∀・)

でも、コツがつかめて慣れてくると、病みつきになるほどおもしろいものなんですよ。だんだんネガティブな感情に出会うことが楽しくなってきます。本当ですよ。
(´∀`)

そのコツは感情を分析したり、正解を出さないことです。思考はどんなにがんばっても正解を出すことができません。どんな正解と思うものもすべて間違いです。
ただ「問う」ことはできます。だからただ疑問を投げかけ続けてください。

「なんで?」
「どうして?」
「いつから?」

と。感情を感じながら問うて、あとは何もせず、ただそのままでいてください。正解は彼方から恩寵という形で与えられます。それはどんな言葉も理屈も超越しているので、ただ「正解」なんです。ただ、

「そうだ。そうだよね」

としか、言いようがないものです。
(・∀・)


さて、感情を感じながら、このことを知っておいてください。

「本来の自分」を忘れて、「私」という実際には存在しない分離した個人が自分だと思っていると、豊かさというのものを「私」でない、外側のモノに対して求めます。それは、お金であったり、社会的なポジションだったり、恋人や家族といった他者であったり、その他者が自分に与える評価や賞賛、または愛であったり。

だけど、真の「豊かさ」というのは、まったくそれらではありません。
(´・ω・`)

真の「豊かさ」というのは、そういった外側のモノに対して起こる、自分の

心の中の反応です(・∀・)

うれしい
かなしい
たのしい
びっくりした
はらがたつ
くやしい
おもしろい

心の中に次から次にいろいろ湧き起こる、感情のエネルギー。これが「豊かさ」なんですよ。「本来の自分」は、それを楽しんでいるのです。それが面白いんです。
(´∀`*)
だから、現れる感情は、ぜーんぶ味わわないといけません。ネガティブなものだからと言って、それを押し込めたり隠したりして、ないものにしてしまっていけないんですよ。
あるのにないものにしてしまっているから、もう一回味わいたいと何度も現れる。つまり、同じようなことが何度も起こる。

ネガティブなものでも、ちゃんと最後まで味わったら、それが本当はとっても素晴らしいもので、「豊かさ」であることがわかります。そして、それで成就するのですが、なんせ途中で止めてしまっているので、それがいまだに何なのかさっぱりわかりません。
(´・ω・`)

さっぱりわからないまま、何十年も生きてしまっているんですよ。
(´-ω-`)


「豊かさ」は外側にありません。「豊かさ」は内側にあります。あなたの心のずーっと深いところから現れるものなんですよ。頭ではそれが「豊かさ」だなんて、とても思えないんですけどね。

でも、それが「豊かさ」だと知ることは、あらゆる不安や恐怖を吹き飛ばすチカラがあるんですよ。この世界がどうなろうと、何が起ころうと大丈夫になってしまうんです。すんごいですよ。
そして、何がどうなろうと大丈夫になると、何もかもがすべてうまくいっちゃうんですよ。
(´∀`)

不思議ですね。

不思議としか、言いようがありません。


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目黒川@東京都目黒区

「承認欲求」の昇華

「私」を認めて欲しい

という「承認欲求」は、何度もしつこく同じパターンで現れます。まわりの人をよく見てください。あなたのまわりにいる人も、なかなかのワンパターンではありませんか?
(´∀`)
ということは、自分自身もワンパターンなのです。

「放っておいて欲しい」、「関わらないで欲しい」というのも、また「承認欲求」ですよ。私は誰にも認められたくないから「承認欲求」はないというのは、間違った理解です。これも、「承認欲求」があるからこそ現れます。満たされない欲求が、ねじれた形で現れただけです。
真に超越してしまうと、他人が認めようが認めまいが、いようがいまいが、どちらでもよくなります。気になりませんので。
(・∀・)

さて、ワンパターンで現れる「承認欲求」に気づけたら、そのときのいつもいっしょに現れる感情に注目してください。
その感情は自分でも言葉では表現できません。

「認めて欲しい」
「わからせたい」
「良く見せたい」
「愛されたい」

という感情、としか言いようがないです。この感情をひたすら感じることをします。

感情と言ってもいろんな状態があって、それがゴチャマゼのようになったものが湧いてきます。このゴチャマゼの状態の感情の中から、

「コレだ」(・∀・)

といものを抽出します。ゴチャマゼの感情の中から、いちばん「痛い」やつを見つけるわけです。
うまく言えませんが、なんかラジオのチューニングするみたいな感じ。いちばん「痛い」周波数に合わせるのね。モヤモヤした感情の中から、いちばんキリキリッて痛むヤツに合わせる感じかな。
たいがい奥に隠れていますので、それを見つけ出すには時間が少しいります。じっくり時間をかけて、自分自身に正直になって、それを見つけてください。

見つけたら、それをひたすら感じます。感じていると痛い。でも、今までは痛いから感じないようにしていたわけです。感じないようにしているうちに凝り固まってしまっています。それをちゃんと感じてください。感じていると凝り固まったものが小さくなっていきます。虫歯の悪くなったところを削っていくようなイメージです。

感じていると、いろんな思考が頭の中に浮かぶと思います。それらは大半がどうでもいいものなので、放っておいてください。いろんなジャッジもしたがりますが、どんなジャッジも「どうせ、ぜんぶ間違っている」と捨ててください。シンプルにただ「痛い」を感じ続けるだけです。シンプルに感じることだけに集中してください。

感じていると恐怖もでてきます。自分が消えてなくなってしまうような予感です。慣れ親しんだ「私」が消えて、未知の何者かになってしまうような、そんな恐怖です。
それは仕方ないとするしかありません。人生が何か変わってしまうことへの覚悟がいります。覚悟してください。

「痛い」を感じ始めたら、もう元には戻れません。やがて「私」は死にます。その恐怖は「私」を愛していたからこそに他なりません。とても「私」を愛していたのです。それにも気づいてください。気づいてあげないと「私」も成仏できません。

時間をかけて何日か感じ続けてください。一日中感じているわけにも行きませんので、思い出したときに、思い出せるときに感じてください。あとは、導かれます。やがて、

「恩寵」

という形で、それはやってきます。「私」はその正体を見せ、役目を終えたことを告げ、消えて行きます。それは突然に、ふとした瞬間に、唐突にやって来ます。おそらく「痛み」を感じているときには来ません。何か好きなことをしているときとか、なんとなくリラックスしているときに、ドンとやって来ます。自分を信頼して、そのときをただ待ってください。


誰にも理解も評価されなくていいし、
誰に好かれても嫌われてもいいし、
何の役にも立たなくていいし、
この先がどうなろうがどうでもいいし、
過去の出来事もぜんぶどうでもいい。

そうなったとき、あなたはいったい何をやり出すか知りたくありませんか?

そのときやることが、本当に「ずっとやりたかったこと」なんですよ。それをするために、この世界にいるのです。いったい何をするんでしょうね?
それは、社会的な価値観から見ると、とんでもなく無意味で無価値なことかもしれない。ものすごく小さな、どうでもいいことかもしれない。でも、それをするために、

ここにいるんです(・∀・)

そして、それをできる人だけが、

「自由」な人

なんですよ。

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@香川県土庄町

実はワンパターンです

「私」はいつも他人を気にしています。
(´・ω・`)

他人からどう見られるか?
他人と比べて自分はどうか?

それが、「私」というものの思考や行動の動機になっています。そうしないと「私」が存続できないのです。「私以外」があるから、「私」も存在できるのですから。

なので、「私以外」から、「私」を何らかの形で認められると安心するし、たいへんいい気分になります。それが「承認欲求」です。
(´・ω・`)


私、ウリエルの探究の主だったところは、この「承認欲求」を昇華させ、超えて行くところにあります。実際、私ウリエルの「私」、エゴ、自我の中心部分は、この「承認欲求」でした。
世の中を見渡してみるに、他のみなさんも、この「承認欲求」が分離した「私」を構成している中核であることが多いです。中核でなくても非常に重要なパーツとなっていると思います。
というわけで、もう少しじっくりと、この「承認欲求」について書きます。
(`・ω・´)


まず、ネガティブな感情が湧くとき、ほとんどの場合は他人が絡んでいますよね。

ひどいことを言われた
誤解されている
何かされそうで怖い
恥ずかしい
謝りたくない
なんか不安

……などなど。ほっとんどが、他人がいないことには湧きようがないです。憎しみ、嫌悪感、妬み、羞恥心、怒り…… たいていの場合は他人が関わっています。そうでないものもありますが、それはわずかです。ほとんどの場合、「他人の目」がそこに存在します。
(・ω・`)

んで、そういったネガティブな感情って、いろいろあるようで、実はそれほどないんですよ。
その人につき、ほんの2,3パターンしかないんですよ。
だいたい、いつも同じようなことが起こったときに、同じようにネガティブな感情が湧きおこってきて、だいたい同じような反応をして、だいたい同じような言動をしています。

例えば、口論になったとき。相手が自分の意見や見解を認めないわけです。「承認欲求」が著しく妨害されました。
すると、いつも同じような方法で相手をコントロールしようとし始めます。そして、口論をしながら、いつも同じようなことを思考していますよ。いつも同じパターンでやってるはずです。ちょっとご自身を省みてくださいな。
(・∀・)つ

さらによく観察すると、そのときに湧くネガティブな感情も、いつもまったく同じのはずです。
口論の相手はその都度ちがっても、湧いてくる感情は、いつも同じエネルギーです。ですよね?

そして、口論の相手をコントロールしているようで、実は、その湧いて来るエネルギーをコントロールしようとしてませんかね?
口論の末、自分の意見が認められればいいのですが、そうでない場合は、そのネガティブな感情をコントロールしようとしますよね。これまた、まいどまいど同じパターンです。こんなふうに、

「同じパターン」(・∀・)つ

だということに気づいて欲しいんです。

子どものときから、ずっと同じパターンのはずです。

まわりにいる人や置かれている状況は、その都度変わっているのですが、

ネガティブな感情が湧く出来事
その出来事に反応して起こす言動
そして、ネガティブな感情のエネルギーそのものと、その身体反応

これらは、もう完全にワンパターンになっていると思います。笑ってしまうくらい、見事に。
子どものときからまったく変わってないんです。

昨日、家族の誰かとした口論と、若いとき恋人とした口論と、子供のとき親とした口論、
比べてみてください。ぜんぶパターンがいっしょじゃありませんか?
(´∀`)

まずは、そのパターンをはっきりとさせておきましょうか。
パターンは人によってそれぞれですから、本人しか明らかにすることはできません。だけど、その人にとっては、もうワンパターンです。こういうときに、こういうネガティブな感情が起こって、こういう思考や行動をする。
「こういうとき」が2、3あるだけで、ひとつの「こういうとき」の対しては、ほぼワンパターンです。
あまりにものマンネリに、自分で自分を笑ってください。アホですね。子供のときから成長しとらんって。
(´∀`)

まずは、ここまで。

「私のパターン」

これを明確にしてください。
だいたいでけっこうです。こういうときに、こういうネガティブな感情が起こって、こういう思考や行動をする。これを自分なりに認識してください。

ではでは、つづきはまた(´∀`)ノ


ほうほう、行ってみるよ。
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水没しとるやんけ(´・ω・`)
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@香川県土庄町

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プロフィール

笑うウリエル

「わっかっちゃった人」俗に「覚醒した人」というらしい。
この世が面白くて楽しくて仕方なく、それをみんなに言いふらしたいだけのバカ。旅人でもあり、言いふらしにどこへでも行くもっとバカ。
ちなみに職業は、たこ焼屋さん

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