さて、今日は何を書きましょう?(●´ω`●)
私たちは常に何か考えてます。ウリエルもたった今、「今日は何を書きましょう?」と、考えていました。そして、記憶という物置の中をゴソゴソと探ります。
記憶の物置には、それはもうたくさんのものが散乱し積み上がっておりまして、「今日は何を書きましょう?」を探しに行ったのに、「そういや今日はあれをしないと」とか「昨日のあれはまずかったな」とか、いろんな関係ないものが見つかって、それについてまた違う記憶を探しに行き、そしてさらにまたまた、気になる関係ないものが見つかって......
結局、何を考えているのかよくわからない状態になっているのですが、それにすら気づかず、ただグルグルといろんな記憶を次から次に出しているだけなのに、本人はちゃんと考えているつもりになっている。
(´・ω・`)
まあ、みなさん、だいたいこんな感じでしょう?
(・∀・)
でも、記憶と言うのは現実に今起こっていることではないですよね。「そういや今日はあれをしないと」とか「昨日のあれはまずかったな」とかって、現実と思ってしまっていますが、今起こっていることじゃない。
たとえ、ついさっき確かに起こったことでも、もう今、起こっていることじゃないです。
たとえ、今日必ずやるべきことであっても、今、起こっていることじゃない。
たとえ、いつも決まって起こることであっても、今、起こっていることじゃない。
たとえ、あなたがいつもそうであってもそれは、今、起こっていることじゃない。
今、起こっていないということは、
現実でない
わけです。ですよね。とてもシンプル。
(´∀`)
でも、ほとんどの人が、
記憶を現実と混同している
わけです。記憶が出しゃばりすぎて。ということは、
現実を無視している
わけです(・ω・ノ)ノ
記憶ってのは大事なものですよ。それを使っていろんなことを考えて、いろんなことをすることができます。欠かせない道具です。欠かせないから「本来の自分」が創りました。
でも、道具はしょせん道具なんです。この道具を「人生」だと思ってしまっているから厄介なことになっているんです。
んで、この記憶という道具を使いこなせるのは、「本来の自分」だけ。みなさんは使わなくていい。つまり個人の人間というレベルでは、記憶は
放っとけばいい
わけです。ハイ。
放っといて、何の問題もありません。ハイ。
(・∀・)
私はだいたいいつもこうしているとか、
これがあれば安心とか、
たった今、この記事を読みながら、何かを得ようとしていることさえ記憶なんですよ。
ぜーんぶ、まったくの見当違いとして、放っといてみてください。
ぜーんぶ、放ってしまって、まずは
ひとやすみ
してください。ハイ。
「ああ、いつも記憶ばかり気にしているな」と、たった今思ったそれも記憶ですよ。
ハイ、ポッっと。
(´∀`)ノ
放っといたらどうなるかを、ただ見るだけでいいんです。
何も問題ないことがわかりますから。
湯村温泉・荒湯
ここにタマゴやカニを沈めて茹でます。
@兵庫県新温泉町
ちなみに、ここの温泉街の地名は「湯」です。
「兵庫県美方郡新温泉町湯」なのです。
私たちは常に何か考えてます。ウリエルもたった今、「今日は何を書きましょう?」と、考えていました。そして、記憶という物置の中をゴソゴソと探ります。
記憶の物置には、それはもうたくさんのものが散乱し積み上がっておりまして、「今日は何を書きましょう?」を探しに行ったのに、「そういや今日はあれをしないと」とか「昨日のあれはまずかったな」とか、いろんな関係ないものが見つかって、それについてまた違う記憶を探しに行き、そしてさらにまたまた、気になる関係ないものが見つかって......
結局、何を考えているのかよくわからない状態になっているのですが、それにすら気づかず、ただグルグルといろんな記憶を次から次に出しているだけなのに、本人はちゃんと考えているつもりになっている。
(´・ω・`)
まあ、みなさん、だいたいこんな感じでしょう?
(・∀・)
でも、記憶と言うのは現実に今起こっていることではないですよね。「そういや今日はあれをしないと」とか「昨日のあれはまずかったな」とかって、現実と思ってしまっていますが、今起こっていることじゃない。
たとえ、ついさっき確かに起こったことでも、もう今、起こっていることじゃないです。
たとえ、今日必ずやるべきことであっても、今、起こっていることじゃない。
たとえ、いつも決まって起こることであっても、今、起こっていることじゃない。
たとえ、あなたがいつもそうであってもそれは、今、起こっていることじゃない。
今、起こっていないということは、
現実でない
わけです。ですよね。とてもシンプル。
(´∀`)
でも、ほとんどの人が、
記憶を現実と混同している
わけです。記憶が出しゃばりすぎて。ということは、
現実を無視している
わけです(・ω・ノ)ノ
記憶ってのは大事なものですよ。それを使っていろんなことを考えて、いろんなことをすることができます。欠かせない道具です。欠かせないから「本来の自分」が創りました。
でも、道具はしょせん道具なんです。この道具を「人生」だと思ってしまっているから厄介なことになっているんです。
んで、この記憶という道具を使いこなせるのは、「本来の自分」だけ。みなさんは使わなくていい。つまり個人の人間というレベルでは、記憶は
放っとけばいい
わけです。ハイ。
放っといて、何の問題もありません。ハイ。
(・∀・)
私はだいたいいつもこうしているとか、
これがあれば安心とか、
たった今、この記事を読みながら、何かを得ようとしていることさえ記憶なんですよ。
ぜーんぶ、まったくの見当違いとして、放っといてみてください。
ぜーんぶ、放ってしまって、まずは
ひとやすみ
してください。ハイ。
「ああ、いつも記憶ばかり気にしているな」と、たった今思ったそれも記憶ですよ。
ハイ、ポッっと。
(´∀`)ノ
放っといたらどうなるかを、ただ見るだけでいいんです。
何も問題ないことがわかりますから。
湯村温泉・荒湯
ここにタマゴやカニを沈めて茹でます。
@兵庫県新温泉町
ちなみに、ここの温泉街の地名は「湯」です。
「兵庫県美方郡新温泉町湯」なのです。