わらうりブー

自由で無限の「本来の自分」を思い起こすこと それを伝えるブログです。

2021年08月

SAKASAMA(。A。)

ちょっとまた、雑談しましょうか(・∀・)

分離した「私」は、この広い世界の中の、ちっぽけな一個人という感覚でいます。
(´・ω・`)

でも、「本来の自分」は広大無辺で、「本来の自分」の中に、この世界のあらゆるものが存在します。
(・∀・)

まったく反対ですよね。真逆です。

だから、とてもシンプルなんです。ただひっくり返っているだけです。なので、ものの見かたや考え方、信念や価値観てなものも、試しにひっくり返してみてください。「あたりまえ」のように感じていることも、ひっくり返してください。なんせ、この世界は二元で、相反する両端は「同じ価値」なのですから、ひっくり返しても同じ「はず」なんです。
(´∀`)


例えば、ほとんどの人が「お金はあったほうがいい」という価値観を持ってますよ。
では、ひっくり返してみましょう。

「お金はないほうがいい」(・∀・)

そのひっくり返ったほうの価値観で、しばらく過ごしてみたりしてみてください。
ないほうがいいこともたくさんあるのに気づきます。気づけないのなら、ものすごく強烈なエゴに囚われているということですよ。そのエゴに気づくことができますね。
(´∀`)

気づけないということは、ものすごく抵抗したり拒絶するエネルギーがあるはずです。それは「恐怖」によって支えられています。それを発見して、じーっと感じたり、見つめ続けていけばいいわけですよ。


では、いろいろ、ひっくり返してみてくださいね。

「人の役に立たない人間になろう」
「誰からも愛されないことは幸福」

なんてね。

もっと小さなことでもいいですよ。
「部屋は散らかっているべき」
「まずいものが食べたい」
とかとか(´∀`)

「自由」というのはね、二元の右左の往復から飛び出したところにあるわけで、相反するものが「同じ」と気づかないことには飛び出せません。
「自由」という概念すら、「不自由」と同じなんですよ。本当の「自由」というのは、「自由」と「不自由」なんて概念から飛び出したところにあるんです。これが輪廻からの脱却。
(´∀`)
だから、

「もっと不自由になりたい」

なんて、思って過ごしてみるのも、おもしろいかもしれませんね。間違いなく「もっと自由になりたい」と同じだって気づきますよ。


では、

雑談しましょう
(・∀・)


佐渡島のいろいろ
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拒絶しない

「私」っていうヤツは、いつも何かを「しよう」とします。

何もしないでいることができません。何もしないでいろと言うと、「何もしないをしよう」とします。
(´∀`)
まったく困ったもんなのですが、「私」ってそういうもんなので、仕方ないです。


もちろん、『ありのまま』でいなさいと言うと、『ありのまま』でいようとします。でも、何かをしよう、何かでいようとしては、『ありのまま』とは言えないのです。

「じゃあ、いったいどうすればいいの?」

……(´・ω・`)

私は困惑してしまいます。「どうすれば?」が、すでに何かを「しよう」としているのですから、こりゃもう、どうすることもできませんね。
(´∀`)

『ありのまま』でいることは、しようとしてもできません。

それでいいんですよ。

それが『ありのまま』なのですから。


思考というものは、何もしないでいることができません。何もしないでいるとき、それは無思考の状態です。その無思考の状態でいることが、すなわち『ありのまま』なのです。が、思考で無思考の状態を作り出すなんて、何が何だかわかりませんよね。
(´・ω・`)

こうすればいい、ああすればいい、こうしなければいい、ああしなければいい、

思考というのは、この「何かをする」という次元を超えることができません。しかし、この「する」という次元を超えたところに、『ありのまま』があり、そして『愛』が、『智慧』が溢れているのです。

どうやって、「する」を超えて行きましょう?
(´・ω・`)
でも、使える道具は思考しかないんですよ。そこで、いにしえのたくさんの人たちが、

ゆるす
手放す
受け入れる

という、なんとか思考を使って、思考を超えて行く方法を編み出してきたわけです。

さあ、でも、そんな思考を使った思考を超えて行く方法を、ほとんどの人が

使い方を間違えてしまっている

ことに気づいてください。
(´・ω・`)?


何かが起こった。それを受け入れることができない「私」がいた。これはイカン! 受け入れなければならない。よし、受け入れよう。

拒絶している「私」がいる。ゆるせない。これはイカン! ゆるそう。

まあ、これもあながち間違いではないんですが、これでは、肯定と否定という両端の間を行ったり来たりしているだけで、ひとつの次元を超えてないんです。永遠の行ったり来たりになるんですよね。グルグル同じところを廻ります。

ゆるせない人がいるなら、ゆるすのはその人ではありません。

ゆるせない自分

を、ゆるすんですよ(・∀・)

受け入れられないことが起こった。これを無理やり受け入れるのではありません。受け入れるのは、

受け入れられない自分

ですよ(・∀・)

ここで、初めてグルグル廻っている場所から、ふわっと抜けるきっかけが起こります。外側に向いていた視線が、どこにも焦点がなくなってさまよう感じになりませんか?
なーんも拒絶してない、拒否してない状態になります。それが『ありのまま』の自分なのですよ。
でも、その状態になったからと言って、何も起きません。するとたちまち思考は、

「こんなのでいいのか?」

と、言い出しますが、いいんです、それで。
(´∀`)

この『いま』に、なーんも拒絶してなきゃそれでいいんです。どんなに醜い感情や思考が湧いてきても、それらもぜーんぶゆるし、受け入れればいいんです。『ありのまま』というのは、なーんも、

拒絶していない

とも言えます。


そして、なーんも拒絶してない状態なんて、生きてりゃ絶対に来ないこともだんだんわかってきます。それも、

拒絶しない(・∀・)

ですね(´∀`)


あらゆるものを拒絶しない、拒絶しない、拒絶しない……
結果的に、ゆるして、手放して、受け入れていくことになります。
そんなことしているうちに、「恩寵」の領域に、人は勝手に行ってしまうんですよ。
(´∀`)


佐渡島に行ってみた(・∀・)
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@新潟県佐渡市

不完全さという祝福

本当のみなさんである存在、「本来の自分」は完全で完璧です。

だから、人は不完全なのです。

ここに「ヒミツ」があります(・∀・)


この世界に完全な人はいません。だれもが不完全です。

人って不完全なのです

だからこそ『愛』を知ることができるのです。

誰かに助けられたらうれしい。この助けられたときのうれしさを知っているから、誰かを助けたときにもうれしくなれるのです。もし、完全な人がいて、その人が一度も助けられたことがなかったとしたら、誰かを助けたときに、同じように喜べるでしょうか?

不完全だから成長したときの喜びを知られる。

不完全だから支え合う喜びを知れらる。

不完全だからわかったときの喜びを知られる。

そう、不完全さは、

「祝福」

なのです。これが「ヒミツ」です(・∀・)


どうしてもっと頭が良く生まれなかったのだろう?
どうしてもっと裕福に生まれなかったのだろう?
どうしてもっと容姿端麗に生まれなかったのだろう?

誰だって一度は天や運命を呪ったことがあると思います。でも、それは神様があなたをいじめようと思って、そうしたのではありません。それが、それこそが、『いま』のあなたの『ありのまま』が、

「祝福」

なんですよ.。゚+.(・∀・)゚+.゚


なので、その不完全さをいっぱいいっぱい抱きしめて愛してください。

誰にだって不安はあるし、
誰にだって恐怖はあるし、
誰だって弱い心はあるし
誰だって攻撃的な心はあるし、
誰にだって妬む心はあるし、
誰にだって強欲な心もある。

ないはずがない。この『いま』も、もちろんそれらはあるし、それらがなくなることはない。無いという人は気づいてないか、巧妙に隠しているだけ。だって不完全なんですから。絶対に完全にならないようになってるから。完全になったらもうこの世界に居る意味がないんだから。「本来の自分」は完全なので『愛』がわかんない。だから不完全なものを、わざわざ創ったんだから。
この不完全さ、これこそが、

「祝福」

なんです。これが「ヒミツ」です(´∀`)


だから自分自身の不完全さを愛してください。不完全さを、

認める
ゆるす
受け入れる

そして、感謝してください。たった今、ここでできます。どこにも行かなくても、何も学ばなくてもできます。不完全でいいんです。不完全であることを、認めゆるし受け入れて、感謝して愛してください。

それができないなら、できない自分をまた、認めゆるし受け入れて、感謝して愛してください。人はどこまでも不完全なのです。

でも、そうすることによって、みなさんの世界は少しずつ、細やかになって行きます。何が細やかになるかは文章で書けません。でも、とても繊細で美しくなっていくのです。そして、細やかになればなるほど『愛』が自然に流れだします。そうして『愛』とは何かを知るのです。


これが「ヒミツ」です(´∀`)


「雄島」(・∀・)
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くるっと歩いて一周できます。
反時計回りにまわると呪われるという言い伝えがあるそう。
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@福井県坂井市

愛だろ、『愛』

少々、夏バテ気味です(´・ω・`)
それはおいといて、さて、これからしばらく、

『愛』(・∀・)

について書いていきたいと思っております。『愛』 


私がここで言う『愛』は、世の中でよく言われている「愛」とは少々異なります。誰かを愛するとか、愛されるという「愛」ではありません。また、何かを愛しているという「愛」ともちがいます。

じゃあ、その『愛』って、どんなもの?

そう問われると、言葉でこういうものだとハッキリと説明することができません。そんな不思議で何だかよくわからないものなんです。

『愛』(・∀・)


何だかよくわからないけれど、私たちはこの『愛』に常に満たされています。
そして、この世界はすべて『愛』だとも言えます。
というか、私たちそのものが『愛』なんです。

ますます意味不明ですね(´∀`)


では、このとっても不思議で、とっても素晴らしい『愛』 これを知るにはどうすればよいのでしょう?

それはとてもシンプルです。

「愛すること」

それだけです。では、何を愛するのでしょう?

ありのままの『いま』

です。『いま』起こっていることを、ただ愛すればよいのです。どうです? シンプルでしょ?
(´∀`)

でも、シンプルすぎることって、意外と難しいんですよね。人間ってどういうわけか、複雑で難解なもののほうを有難がるという、おかしな傾向がありますね。シンプルすぎると、逆に「本当にこれでいいの?」と、不安になったりします。

でも、これでいいんですよ。

ありのままの『いま』

そして、この『いま』は「私」という分離した個人を通して見て感じておりますので、

ありのままの「私」

を、ただ愛すればいいのです(´∀`)


ただ、この「ありのまま」がひとくせありまして。

「ありのまま」とは、「正直」に見るということです。これがちょっと難しいんですよ。ここだけが難関です。「私」を正直に見るって意外と難しい。
(´・ω・`)

「私」はいろんなことを感じても、それを表面に出さないように訓練されてきておりますから、なかなか「正直」な想いや感情を素直に出さないんですよ。
なので、しっかりと「私」というものと向き合わないといけません。

本当は怒ってるでしょ?
本当は嫉妬しているでしょ?
本当は軽蔑しているでしょ?
本当は大好きでしょ?

こんなふうに、自分自身で覆い隠したり、押し込んでいるものを、ほじくり返していかないと、「正直」にはなれないです。隠している本当の想いや感情が「ありのまま」なわけですから、それを愛さないことには、ありのままの『いま』を愛せません。

まあ、それはまた記事として書いていきますので、とりあえず、この

『いま』

を、ただ愛してください。そうすることによって、また隠れていたものがポロポロと現れてくるものです。


え? 『いま』を愛せない?

じゃあ、

『いま』を愛せない自分を愛してください

それが「正直」で、「ありのまま」ですから。

愛するってどうするかよくわからない?

じゃあ、愛するがわからない自分を愛してください。ただ、そんな自分を嫌いにならず、そんな自分を好きでいればいいんです。
(´∀`)ノ

シンプルでしょう?


地蔵峠のお地蔵さん
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@長野県木曾町

まだ夏休みです(´∀`)

へーい(・∀・)ノ

まだ夏休みでーす。

コメント欄が長ーくなってしまいましたので、新しくします。でも、引き続き、

「雑談」(・∀・)

です。


あなたをこの世界に生かしているもの、それはカラダです。

この肉体です(・∀・)

仕事でもお金でも他人からの評価でもありません。スピリチュアルでもありません。

この肉体です(・∀・)

目が見える、耳が聞こえる、手足が動く、そして思考もできる。だから働けるし、遊ぶこともできる。すべてこの肉体があってこそなのです。

当たり前のことです(´∀`)

当たり前のことなんだけど、みんな忘れてます。完全に。ないがしろにしてません? 
何かするとき、体なんて後回しにしてるでしょう?


もっと体の声に耳を傾けてください。そして、この肉体を愛してください。

地面に立つとき、足の裏があることに気づいてますか?
ものをつくるとき、繊細な動きをする指に気づいていますか?

休まずに呼吸していることに気づいてますか?
休まずに心臓が血を巡らしていることに気づいていますか?

『いま』この瞬間を、体は常に全身で感じ、そして表現しているんですよ。
体には『いま』しかないんです。

そのことに気づいていますか?(・∀・)


気づいてないなら、そこに立ち返らないといけません。

体を愛して、体が喜ぶことをしてください。体の表現にもっと目を向けてください。自分自身の体すら愛せない人に、この世界を愛することはできません。

そして、体は愛の表現でもあります。愛のかたまりなのです。だって、まず体がないと、この世界を何も感じることができないし、何もすることもできません。体がないと愛することもできない。


体がある。

これは奇跡なのです。

そのことに感謝してみて。



では、雑談を続けましょう。
(´∀`)ノ


夏。
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そして御嶽山。
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@長野県木曽町

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プロフィール

笑うウリエル

「わっかっちゃった人」俗に「覚醒した人」というらしい。
この世が面白くて楽しくて仕方なく、それをみんなに言いふらしたいだけのバカ。旅人でもあり、言いふらしにどこへでも行くもっとバカ。
ちなみに職業は、たこ焼屋さん

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