私たちは、そもそも自由なのです。
本来、自由なのです(´∀`)
でも、なんかわかんないけど、日ごろ、その自由を感じることができません。実は、なんかわかんないけど、ではないんです。その理由はハッキリしております。
自分ですー( ̄ー ̄)
と、思いこんでいるものがあるからです。
( ̄ー ̄)
「これが自分だ」と思っているもの、例えば、この体。そして、この心、人格。それ、自分じゃないんです。このブログでいう「本来の自分」ではありません。
(^∀^)ノ
でも、こう言われると、頭の中にこんな思考が浮かびます。
「じゃあ、自分ってなに?」
「本来の自分って、どんなもの?」
残念ながら、
「ええ、これですよ。これが『本来の自分』ってヤツですわ」
と、説明することも、指し示すこともできません。どうしようもないんです。ただ、自分っぽいもの、自分だと考えられるものすべて、
肉体、名前、年齢性別、職業、
性格、個性、行動様式、
今まで生きてきた経歴、家系図の中の位置、この世の中での立ち位置や役割、生きた証と言えるもの……
「自分ってこれです、こんなのです」
と、指し示したり、言い表せたりできるものすべてが、
「自分じゃない」(・∀・)
と、わかるだけです。これが自分ですなんて言えるものが、どこにもないとわかるだけ。
(^∀^)
自分と言えるものがどこにもないとわかれば、それでいいんです。「私はいない」です。
「私」はいないので、代わりに「本来の自分」が、どこかにいるのと思ってしまいがちですが、「本来の自分」もいないんですよ。自分と言えるものがどこにもいないのが「本来の自分」なんです。
「大いなるもの」とか「サムシンググレート」とか「真理」とか「神様」とか、それを何と呼ぼうがかまいませんが、そんなもんは、とりあえず、
どこにもいねえ(^∀^)
ことを、まずわかってください。
ここでいつも言ってる「見ているヤツ」も、確かに見てはいるんですが、正確に言うと「ヤツ」はいないんです。「見ている」しかないんです。コイツが「見ているヤツ」と言えるもんは、実はいません。
どこにもいないのに、確かに存在している、だから「ただ在る」とか「これ」なんて言い方になってしまうんです。この仕組みを言葉でちゃんと説明出来た人は、古今東西、たぶんおりません。ないのにあるんです。どこにもいないのに、確かあるんです。
(⌒?⌒)
しょうがないですよね。だから「奇跡」とか言っちゃうわけ。あり得ないことが起こってるんだから。「ないのにある」って、あり得ないでしょ?
(´∀`)
でもね、どこにも自分がいない、どれも自分じゃないという見方に思考は慣れてません。というか、思考ではわかんないんですよね。なんかわからなさすぎるので、『誰だかわからない』さんと、私ウリエルは以前は呼んでおりました。わかんなすぎるけど、確かに存在している。結局、その意味不明、不可解極まりない、ただ存在している存在以外は、自分と言えるものがなく、それを「本来の自分」とする以外にない。てな、わけです。ハイ。
よーするに何が言いたいかと言うと、すべて、ありとあらゆる自分っぽいもののすべてが、
「自分じゃない」(・∀・)
という見方に、まず慣れるようにしてください。ということです。
(´∀`)
だって、「確かにこれが自分」といえるものなんてあります? 昨日までの自分と今日の自分は同じですか? 記憶喪失にもしなって、「確かにこれが自分」という記憶を失ったら、どれが自分ですか?
まあ、せいぜい「確かにこれが自分」と言えるのは、この肉体だけになると思うんですけどね。心なんて一瞬で変化しますよ。記憶もあやふやですよ。ただの思い込みで、事実とちがうかもしれませんよ、その記憶。
そもそも、その名前も家族も、本当のものではないかもしれませんよ。あなたは赤ん坊の時に橋の下で拾われたのかもしれません。
いやいや、というか、実はあなたは何年も前に死んでいて、実は幽霊なのに、それにあなたもまわりも気づいていないだけかもしれません。すると肉体ですら自分と言えなくなってします。絶対そうでないと証明できますか?
そんなこと思っていくと、確固たる自分と言えるものがどこにもない。と、なりますよ。
んで、思考が理解できる限界はここまでで、この先はいくら考えても行けません。ここが終点。そこで立ち止まっていればいい。
どれも「自分じゃない」なんて、ちょっとしたホラーに感じるかもしれませんが、そんなに恐ろしいもんではありません。それどころか、すっっっげーーーことなんです。
完全な自由.。゚+.(・∀・)゚+.゚
な、気持ちになるんですよ。そして、あらゆる起こることに対して、「受け入れる」も自然と起こり、どんなときにも正常な行動をとるようになるんです。自律しておりますので。
もう、「うれし、うれし」です。
それだけになっちゃうんです。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
大きな木(・∀・)
大木って、傍に立つだけでよい気分になりますね。
不思議(´∀`)
「海潮のカツラ」@島根県大東町
本来、自由なのです(´∀`)
でも、なんかわかんないけど、日ごろ、その自由を感じることができません。実は、なんかわかんないけど、ではないんです。その理由はハッキリしております。
自分ですー( ̄ー ̄)
と、思いこんでいるものがあるからです。
( ̄ー ̄)
「これが自分だ」と思っているもの、例えば、この体。そして、この心、人格。それ、自分じゃないんです。このブログでいう「本来の自分」ではありません。
(^∀^)ノ
でも、こう言われると、頭の中にこんな思考が浮かびます。
「じゃあ、自分ってなに?」
「本来の自分って、どんなもの?」
残念ながら、
「ええ、これですよ。これが『本来の自分』ってヤツですわ」
と、説明することも、指し示すこともできません。どうしようもないんです。ただ、自分っぽいもの、自分だと考えられるものすべて、
肉体、名前、年齢性別、職業、
性格、個性、行動様式、
今まで生きてきた経歴、家系図の中の位置、この世の中での立ち位置や役割、生きた証と言えるもの……
「自分ってこれです、こんなのです」
と、指し示したり、言い表せたりできるものすべてが、
「自分じゃない」(・∀・)
と、わかるだけです。これが自分ですなんて言えるものが、どこにもないとわかるだけ。
(^∀^)
自分と言えるものがどこにもないとわかれば、それでいいんです。「私はいない」です。
「私」はいないので、代わりに「本来の自分」が、どこかにいるのと思ってしまいがちですが、「本来の自分」もいないんですよ。自分と言えるものがどこにもいないのが「本来の自分」なんです。
「大いなるもの」とか「サムシンググレート」とか「真理」とか「神様」とか、それを何と呼ぼうがかまいませんが、そんなもんは、とりあえず、
どこにもいねえ(^∀^)
ことを、まずわかってください。
ここでいつも言ってる「見ているヤツ」も、確かに見てはいるんですが、正確に言うと「ヤツ」はいないんです。「見ている」しかないんです。コイツが「見ているヤツ」と言えるもんは、実はいません。
どこにもいないのに、確かに存在している、だから「ただ在る」とか「これ」なんて言い方になってしまうんです。この仕組みを言葉でちゃんと説明出来た人は、古今東西、たぶんおりません。ないのにあるんです。どこにもいないのに、確かあるんです。
(⌒?⌒)
しょうがないですよね。だから「奇跡」とか言っちゃうわけ。あり得ないことが起こってるんだから。「ないのにある」って、あり得ないでしょ?
(´∀`)
でもね、どこにも自分がいない、どれも自分じゃないという見方に思考は慣れてません。というか、思考ではわかんないんですよね。なんかわからなさすぎるので、『誰だかわからない』さんと、私ウリエルは以前は呼んでおりました。わかんなすぎるけど、確かに存在している。結局、その意味不明、不可解極まりない、ただ存在している存在以外は、自分と言えるものがなく、それを「本来の自分」とする以外にない。てな、わけです。ハイ。
よーするに何が言いたいかと言うと、すべて、ありとあらゆる自分っぽいもののすべてが、
「自分じゃない」(・∀・)
という見方に、まず慣れるようにしてください。ということです。
(´∀`)
だって、「確かにこれが自分」といえるものなんてあります? 昨日までの自分と今日の自分は同じですか? 記憶喪失にもしなって、「確かにこれが自分」という記憶を失ったら、どれが自分ですか?
まあ、せいぜい「確かにこれが自分」と言えるのは、この肉体だけになると思うんですけどね。心なんて一瞬で変化しますよ。記憶もあやふやですよ。ただの思い込みで、事実とちがうかもしれませんよ、その記憶。
そもそも、その名前も家族も、本当のものではないかもしれませんよ。あなたは赤ん坊の時に橋の下で拾われたのかもしれません。
いやいや、というか、実はあなたは何年も前に死んでいて、実は幽霊なのに、それにあなたもまわりも気づいていないだけかもしれません。すると肉体ですら自分と言えなくなってします。絶対そうでないと証明できますか?
そんなこと思っていくと、確固たる自分と言えるものがどこにもない。と、なりますよ。
んで、思考が理解できる限界はここまでで、この先はいくら考えても行けません。ここが終点。そこで立ち止まっていればいい。
どれも「自分じゃない」なんて、ちょっとしたホラーに感じるかもしれませんが、そんなに恐ろしいもんではありません。それどころか、すっっっげーーーことなんです。
完全な自由.。゚+.(・∀・)゚+.゚
な、気持ちになるんですよ。そして、あらゆる起こることに対して、「受け入れる」も自然と起こり、どんなときにも正常な行動をとるようになるんです。自律しておりますので。
もう、「うれし、うれし」です。
それだけになっちゃうんです。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
大きな木(・∀・)
大木って、傍に立つだけでよい気分になりますね。
不思議(´∀`)
「海潮のカツラ」@島根県大東町