わらうりブー

自由で無限の「本来の自分」を思い起こすこと それを伝えるブログです。

2022年05月

「自分」はどこにも発見できません

私たちは、そもそも自由なのです。

本来、自由なのです(´∀`)


でも、なんかわかんないけど、日ごろ、その自由を感じることができません。実は、なんかわかんないけど、ではないんです。その理由はハッキリしております。

自分ですー( ̄ー ̄)

と、思いこんでいるものがあるからです。
( ̄ー ̄)


「これが自分だ」と思っているもの、例えば、この体。そして、この心、人格。それ、自分じゃないんです。このブログでいう「本来の自分」ではありません。
(^∀^)ノ
でも、こう言われると、頭の中にこんな思考が浮かびます。

「じゃあ、自分ってなに?」
「本来の自分って、どんなもの?」

残念ながら、

「ええ、これですよ。これが『本来の自分』ってヤツですわ」

と、説明することも、指し示すこともできません。どうしようもないんです。ただ、自分っぽいもの、自分だと考えられるものすべて、

肉体、名前、年齢性別、職業、
性格、個性、行動様式、
今まで生きてきた経歴、家系図の中の位置、この世の中での立ち位置や役割、生きた証と言えるもの……

「自分ってこれです、こんなのです」

と、指し示したり、言い表せたりできるものすべてが、

「自分じゃない」(・∀・)

と、わかるだけです。これが自分ですなんて言えるものが、どこにもないとわかるだけ。
(^∀^)

自分と言えるものがどこにもないとわかれば、それでいいんです。「私はいない」です。
「私」はいないので、代わりに「本来の自分」が、どこかにいるのと思ってしまいがちですが、「本来の自分」もいないんですよ。自分と言えるものがどこにもいないのが「本来の自分」なんです。

「大いなるもの」とか「サムシンググレート」とか「真理」とか「神様」とか、それを何と呼ぼうがかまいませんが、そんなもんは、とりあえず、

どこにもいねえ(^∀^)

ことを、まずわかってください。

ここでいつも言ってる「見ているヤツ」も、確かに見てはいるんですが、正確に言うと「ヤツ」はいないんです。「見ている」しかないんです。コイツが「見ているヤツ」と言えるもんは、実はいません。


どこにもいないのに、確かに存在している、だから「ただ在る」とか「これ」なんて言い方になってしまうんです。この仕組みを言葉でちゃんと説明出来た人は、古今東西、たぶんおりません。ないのにあるんです。どこにもいないのに、確かあるんです。
(⌒?⌒)

しょうがないですよね。だから「奇跡」とか言っちゃうわけ。あり得ないことが起こってるんだから。「ないのにある」って、あり得ないでしょ?
(´∀`)

でもね、どこにも自分がいない、どれも自分じゃないという見方に思考は慣れてません。というか、思考ではわかんないんですよね。なんかわからなさすぎるので、『誰だかわからない』さんと、私ウリエルは以前は呼んでおりました。わかんなすぎるけど、確かに存在している。結局、その意味不明、不可解極まりない、ただ存在している存在以外は、自分と言えるものがなく、それを「本来の自分」とする以外にない。てな、わけです。ハイ。


よーするに何が言いたいかと言うと、すべて、ありとあらゆる自分っぽいもののすべてが、

「自分じゃない」(・∀・)

という見方に、まず慣れるようにしてください。ということです。
(´∀`)

だって、「確かにこれが自分」といえるものなんてあります? 昨日までの自分と今日の自分は同じですか? 記憶喪失にもしなって、「確かにこれが自分」という記憶を失ったら、どれが自分ですか?
まあ、せいぜい「確かにこれが自分」と言えるのは、この肉体だけになると思うんですけどね。心なんて一瞬で変化しますよ。記憶もあやふやですよ。ただの思い込みで、事実とちがうかもしれませんよ、その記憶。
そもそも、その名前も家族も、本当のものではないかもしれませんよ。あなたは赤ん坊の時に橋の下で拾われたのかもしれません。
いやいや、というか、実はあなたは何年も前に死んでいて、実は幽霊なのに、それにあなたもまわりも気づいていないだけかもしれません。すると肉体ですら自分と言えなくなってします。絶対そうでないと証明できますか?
そんなこと思っていくと、確固たる自分と言えるものがどこにもない。と、なりますよ。

んで、思考が理解できる限界はここまでで、この先はいくら考えても行けません。ここが終点。そこで立ち止まっていればいい。


どれも「自分じゃない」なんて、ちょっとしたホラーに感じるかもしれませんが、そんなに恐ろしいもんではありません。それどころか、すっっっげーーーことなんです。

完全な自由.。゚+.(・∀・)゚+.゚

な、気持ちになるんですよ。そして、あらゆる起こることに対して、「受け入れる」も自然と起こり、どんなときにも正常な行動をとるようになるんです。自律しておりますので。

もう、「うれし、うれし」です。

それだけになっちゃうんです。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \



大きな木(・∀・)
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大木って、傍に立つだけでよい気分になりますね。
不思議(´∀`)
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「海潮のカツラ」@島根県大東町

自由なんていらない(^ω^)

私たちはもともと自由です。

本来、自由なのです(・∀・)


でも、なんかわかんないけど、その自由を感じることができません。いつも、なんかわかんないけど不自由です。とても自由なんかに思えません。だから、もっと自由になれたらいいな、もっと自由に生きれたらいいな、そういつも思っています。

そして、いろんな「条件づけ」をします。ある条件をつけて、こうなれば自由になると思いこんでいます。例えば、仕事を辞めたら自由になれるとか、お金がもうちょっとあったら自由になれるとか。

これさえあれば、
これさえなければ、

というのは「条件づけ」ですね。
(^ω^)

まず、この「条件づけ」が不自由な感覚を生んでるんですよね。「仕事を辞めたら」とか、「お金があったら」と、条件をつけて制約してしまっているわけですから。とりあえず、そのことに気づいてください。その条件がないと呑めないよと、言ってしまっているわけです。
なるほど、これは不自由になりますね。
(・∀・)


ふむふむ、「条件づけ」が不自由のモトならば、

それを消し去ってしまえばいい(`・ω・´)

思考はそう考えますね。「条件づけ」がなくなれば自由なのだと。でも、これまた「条件づけ」ですよね。

「条件づけがなくなれば」という「条件づけ」
(´∀`)(´∀`)(´∀`)

ここで無限ループが始まります。でも、真面目な人にかぎって、自分が無限ループに陥って、とんでもないエネルギーのムダ遣いをしていることに気づきません。
( ̄ー ̄)
私たちの体と心は、常に何かの「条件づけ」があります。これはどうしても消し去ることはできません。否定したり拒絶したりするだけ無意味です。

では、

受け入れればいい(`・ω・´)

思考はそう考えるでしょう。でも、それもエネルギーのムダ遣いですよ。「条件づけ」は鎖のように延々と連なっております。試しに受け入れて行ってください。まあ、終わりなんてないですよ。
(・∀・)


では、どうすれば、「条件づけ」から解放されて、不自由な感覚から抜け出せるのでしょうか?

ハイ、とっても簡単です。

自由になろうとするのをやめる

だけ(・∀・)


みなさんは本来、自由なんです。なので、自由になろうとする必要が、そもそもないんです。やめてください、自由になろうとするなんて。やめたらわかります。
(^ω^)
この人生という物語の中に生きている限り、「条件づけ」は解消されません。でも、そんな「条件づけ」と、自分自身は

何の関係もない(・∀・)

のです。「本来の自分」とは無関係なんです。たくさんの「条件づけ」の中で生きていますが、これに縛られなければいいだけ。あらゆる「条件づけ」に対して、

「だから何?」(・∀・)

と、言えばいいだけなんですよ。


あなたの自由は、一度も制限されたことなどないんです。

「私は自由ではない」

「だから何?」(・∀・)

ほら、自由になったでしょ?
(´∀`)(´∀`)(´∀`)


「麦秋」は、初夏の季語(・∀・)
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@兵庫県稲美町

最愛の憧れの人

なんか、ここのところ肉体に疲れがたまっているな。
( ̄ー ̄)


それは、さておき。

私たちの心の中には、常に「ある欲求」が存在します。それは究極の欲求です。

「何の欲求も持たずに生きたい」

です(`・ω・´)ノ

まず、このことに気づいていてください。わかるでしょうか? そうでしょう?


そして、それは、

「自分自身になりたい」

ということでもあるのです。わかるでしょうか?
(・∀・)

この欲求は決してなくなることはありません。生きている限り離れることがないです。だから、この欲求から目を逸らさないでください。それを発見したら、その欲求をただ愛してください。


あなたは、

「自分自身になりたい」

のですよ。あなたの最愛の憧れの人は、自分自身なんです。当たり前すぎて忘れていませんか? 決して忘れないように。

「外側」と言ってよいでしょうか、あなたが見たり触ったり感じたりできるものすべて、手に入れることができる可能性があるものすべて。これらは、この究極の欲求の代用品にすぎず、決して満たしてくれることはありません。それらのものは、どれも

自分自身ではないからです

(´・ω・`)


「自分自身になりたい」

この欲求に、ただ従ってください。この欲求から生まれる流れから逸れないように。この欲求に寄り添い、ともに歩んでください。


「こんな自分はイヤだ!」

と、心の中で叫ぶものは、いったい誰なのでしょう? ソイツはどんな自分を望んでいるのでしょう? 充実している自分や理想の自分とは、どんな自分なのでしょう? なぜ、それが充実していて理想なのでしょう? 本当にそんな自分になりたいと思っているのでしょうか?
じっくりその欲求を掘り下げて行ってください。

あなたは、

「何の欲求も持たずに生きたい」

ただ、それだけなんですよ。そのことに、まず気づけますか? そうなんですよ。この究極の欲求に、ただ気づいていてくださいよ。それだけで、本当に望んでいるものに導かれて行くと思います。ハートが望む世界に。



あなたの最愛の憧れの人は、

「自分自身」

です。

そして、その人はたったいま、ここにいます。
( ・Д・)!


JR宇野駅(・∀・)
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なんか視覚が…(´・ω・`)
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駅前のモニュメントには、
いろんな海の生き物が乗っかってた。
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@岡山県玉野市

この世界は「子供だまし」

さて、何も思いつかないけど、記事でも書いてみよう。
(・∀・)ノ


「そのままでいなさい」(・∀・)

で、いいんです。そして、そのままでいる自分を、ただ見てください。いっさい何も手を加えず、ただ観察してください。「見ているヤツ」になって、「見てるだけー」でいてください。

心も体も観察できます。心というのは、思考(とくに記憶)と感情がごっちゃになったもので、実体はありません。でも、観察できます。おもしろいですね。

観察できるものはすべて自分ではあーりません。見ることができるものは、自分ではないのです。
(´・ω・`)?

この、

「観察できるものは、すべて自分ではない」

ということを、よく知っておいてください。これ、自分じゃないんです。このことを、よーくかみしめてください。これだけで、心は浄化されて行きます。エネルギーが本来あるべきところに、戻って行くからです。そう、この、

「エネルギーを本来の場所に戻す」

このことがとても大切で、これがために、みなさんスピリチュアルをやっているんですよ。ハイ。
(´∀`)


できるだけ多くの時間、ただ見ているだけの「見ているヤツ」でいてください。心は常に混乱しています。それを、傍観者になって、じーっと見ていてください。
混乱している心は、あなたを常に選択者にして、常に葛藤をさせます。常に何か問題を作りだし、常にその解決方法を見つけることをさせています。
ただ「見ているヤツ」になり、そこで

「見てるだけーーーーーーー」

でいるだけで、遅かれ早かれ、あなたは心を超えていくことができます。生命の自律した流れに気づくことができます。何もかもが幻想だったことに気づくのです。エネルギーの本来の場所に戻すことによって、それが次第に明確になってきます。

何もかもが幻想。このことに気づいたときには、もうこの「見ているヤツ」すら消えてしまっています。浄化される自分も、手放しをする自分も、もういません。観察できるものはすべて自分ではなく、観察している者すら、また自分ではなかったのです。


どれも本当の自分じゃない(´・ω・`)?

うん、そうなの。

これが、「本来の自分」だったんです!


わー! 「空」で「無」だ......! 


 ( ・Д・)!?


 (´∀`)ノ


どこにも自分なんていません。これが種明かしです。これがオチです。
(´∀`)

あらゆることが「子供だまし」だったのです。

これだけのことです。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \



春のお花(´∀`)
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@いろんなとこ(・∀・)

シアワセな人しかいないー

さて、何か書こうとしても、なーんも思いつかない。
(´∀`)

ということで、雑談です(・∀・)


私ウリエル自身は、とくに自分はシアワセだとは思っておりません。まあ、自分が不幸だとも思っておりませんが。
ただ、私ウリエルが出会う人たちは、総じて

シアワセ(´∀`)

に、見受けられます。友人知人、お客さん、だいたいみんなシアワセそうに見えます。

不幸な人がいません(´∀`)


なので、悩みの相談を私ウリエルにしてくる人などおりません。みんなシアワセなんで。

もしかしたら、悩みの相談を私ウリエルにしているのかもしれないのですが、それが悩みの相談だということが、私ウリエルがわかってないのかもしれません。みんな人生を楽しんで、謳歌しているようにしか見えないので。
(・∀・)

そんな人生を謳歌している人たちにしか出会わないわけですが、そんなみんなが羨ましいかと言うと、とくにそんなことも思いません。

この人生でいいです(´∀`)

もし、人生を一からやり直せるなら、どんな人生にするかと問われたら、まあ、だいたい今の人生といっしょにすると答えます。というか、思いっきり違う人生を生きたとしても、結局、本質は今と大して変わんない気がするので、そもそも、もうやり直そうとも思いません。
(・∀・)


以前はこんな自分じゃなかったようにも思うのですが、当時は何を思って生きていたかは、もう思い出せないです。生まれてこのかた、この『いま』のように生きてたような気しかしません。

将来や未来のことを、たまに考えたしますが、そんなもん、どうなるかわからないので、すぐに飽きてやめてしまいます。まあ、それも、この『いま』と変わんないと思います。


世の中にはいろんな情報が飛び交っております。だいたいが不安をあおるものか、今の状況を変えろ、こうしたほうがいいというものです。それらのほとんどが、

頭に入ってきません(´∀`)

ただ通過して行くだけ。なんで、そんな情報に夢中になれる人がいるのか、イマイチわかりません。何もしなくても、みんなシアワセなのに。
ああ、そうか。何もしなくてもシアワセだから、たまには何かネガティブな情報に触れて、不幸な気分を味わって楽しんでいるんだな。そんなふうにしか思えないです。

確かに、たまには不幸な気分を味わうのも楽しいです。シアワセがクッキリしますし、ぐーっとした重量感がある「生きてる感」があります。おもしろい。
(´∀`)
でも、私ウリエルはすぐに飽きちゃうし、そもそもしんどいので、それを長続きさせることができません。なので、不幸感や欠乏感を持続できる人は、ちょっとスゴイと思います。並みの体力精神力ではないスーパーマンに見えます。


とにかく、ウリエルの世界にはシアワセな人しかいないわけです。

なので、みなさんもシアワセです。会ったことや、話したことがない人も、実際にお会いしたらシアワセにしか見えないと思います。間違いなく。
(´∀`)

「どうやったら、そこまで人生を楽しめるの?」

って、きっと聞きたくなる人ばかりです。


是非、ウリエルに人生をもっと楽しむコツを教えてください。
(´∀`)


木次(きすき)駅(・∀・)
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@島根県雲南市
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プロフィール

笑うウリエル

「わっかっちゃった人」俗に「覚醒した人」というらしい。
この世が面白くて楽しくて仕方なく、それをみんなに言いふらしたいだけのバカ。旅人でもあり、言いふらしにどこへでも行くもっとバカ。
ちなみに職業は、たこ焼屋さん

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