わらうりブー

自由で無限の「本来の自分」を思い起こすこと それを伝えるブログです。

2022年09月

「信頼」(・∀・)

急に季節が変わり、気温が下がりました。
体調を崩しやすい時期なので、ご自身の身体に注意深くいてください。
(・∀・)

注意深くいることです。私ウリエルは注意深くいた結果、

「風邪は自然の健康法であり、風邪を引くことで体のさらなる悪化を防いでいる」

という結論に達しました(´∀`)

もっとも、これは私ウリエルが発見したものではなく、何十年も前に野口晴哉さんという人が発見したものなんですけどね。

「うん、きっとそうだよね!」

って、なっただけです(´∀`)



さて、それはさておき(・∀・)ノ

この世界に「信頼」できるもの、または「信頼」できること。それはただひとつしかないと、私ウリエルは思っています。というか、知っています。それは、

必要なものは必要なときに与えられる

このことだけ(・∀・)


「信頼」するには、常に不信感がないと、そもそも「信頼」できません。必要なものは、必要なときに与えられるって、

「本当にそうかなぁ???」( ̄ー ̄)

という不信。ありますよね。それでいいんです。必要なものは決して事前には与えられません。一瞬の遅れや狂いもなく、ベストなタイミングで与えられます。そのときまで得ることができないのです。だから、

「本当にそうかなぁ???」( ̄ー ̄)

と、思うのも当然です。でも、この「不信感」がないと、また「信頼」もできないんですよ。わかりますか?


そして、「与えられる」ことがわかるには、まず「足りない」がないとわかりません。

よく「足りない」と思い続けているから、「足りない」という現実がやってくるのだ。みたいな表現を見かけます。誰でも見たことありますよね。だから「足りている」と思いましょう、もっと「足りている」ことに目を向け感謝しましょう。
(・∀・)
まあ、それは『真実』です。今は常に「足りている」状態で完璧です。でもですね、今日、家賃の5万円を払わないといけないのに、1万円しかないとき、

「まあ、1万円もあるわ!」.。゚+.(・∀・)゚+.゚

とは、思えんわけです。どう考えても「足りない」

……(´・ω・`)

「足りない」も、それでいいんです。「足りない」があるから、「与えられる」ことがわかるのですから。大事なことは、自分の心を操作しないこと。ホントのホントに『ありのまま』に、です。

「足りない」と思っていたから「与えられた」とわかる。

必要なものは必要なときに与えられる

と、わかる。
(´∀`)


結局、『いま』のままでいいんです。そのままで。何も心の動きをコントロールする必要はありません。まあ、なーんも考えなくていいんです。ただ、この世界と、心と身体の動きにまかせていれば。それをただ、

「見守る」(・∀・)

だけでいいんです。

「足りない」と不安です。なら、それを見守ればいい。「足りないと思っているからいけないのだ」とは、思わなくていい。思ってしまったら、「足りないと思っているからいけないのだ」を、これまた見守ればいい。

「本当に大丈夫なのか?」と不信にもなります。その不信感を見守ればいい。「信じられるか、そんなもん!」っていう思考を見守ればいいんです。でも、その不信感が「信頼」を生むのですから。

大いなる存在、それは「本来の自分」なのですが、それがどうやって自分自身、この身体の面倒を見て行くか、そこにどれほどの『愛』があるか。ただそれを知るために、ぜーんぶをただ見守っていればいいんです。

「不信感」があってもいいし、「足りない」があってもいい。だからこそ、大いなる存在が決して無視しないし、裏切らないとわかる。

必要なものは必要なときに与えられる

と、わかる。

「大丈夫」(´∀`)

と、わかる。


だから、どんなに心配したって、いいんです。

それが結局、「信頼」につながり、この世界は自らが創造しているのだとわかるのです。

そんなに難しいことじゃないんですよ。

ちょっとしたコツをつかむだけです。

取りとめ無くなってしまいましたが、今回はこの辺で。
(´∀`)ノ



まあ、

必要なものは必要なときに与えられる

疑っていてください(´∀`)ノ

疑っていないと、「すげーーーっ!」もないですから。


旅のスナップの残り(・∀・)
野尻湖と黒姫山
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@長野県信濃町

ウワサの埋没林(⌒?⌒)
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@富山県魚津市

懐かしの「急行」
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市振駅@新潟県糸魚川市

善光寺(´∀`)
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@長野県長野市

したいことは全部してるよ(´∀`)

人はみな、

したいことしかしてません

(´∀`)

たったこの『いま』も、したいことしかしてませんよ。それはとてもシアワセなことです。


あなたは今とは違う環境に身を置くこともできたのに、もっと他の生き方ができたのに、それを「あえて」しなかったわけです。

今、一人の人は、それが何よりシアワセなのです。本当に温かい家族を求めているのなら、それを得る方法はいくらでもあるのに、それを今までしてこなかったのですから。
誰かと暮らすとわずらわしいこともたくさんありますよね。そのわずらわしさよりも、気楽さ、好き勝手に生きることが好きなのでしょう。

反対に家族と暮らしている人は、当然わずらわしいこともたくさんあります。そのわずらわしさから逃げること、家を捨てて飛び出して一人になることはいつでもできた。でも、今までそれをしてこなかったわけです。だから、家族の温かさや絆といったものが、とても好きなのでしょう。それが何よりシアワセだから、家を飛び出したり、離婚したりしていないのです。


いつもお金がないと言っている人に限って、あんまり働きません。そんなにお金が欲しいのなら、寝る間も削って働けばいいし、もっと稼ぐために勉強したり、技術を身に付けたりすればよいのですが、なぜか実行しませんよね。たぶん、いま以上にお金はいらないんだと思います。きっと、働いたり努力していない時間がとても大切なんでしょう。少ないお金でやりくりしているのが楽しいのかもしれませんね。
また、今している仕事がお金以上に好きなのかもしれません。あまり稼げないけど、それをしているのがいちばんシアワセなのかもしれませんね。
(・∀・)

この「人生」という物語には、無数の選択肢があります。無数の選択肢の中から、今の選択肢をなんかわかんないけど選んでしまって、今こうして生きているんです。

「できなかった」
「バカだった」
「仕方なかった」

のではなく、あなた自身がそれを選んだんですよ。よく思い返してみてください。今できていないことは、「あえて」選ばなかったんだと。今していることは「あえて」選んだんだと。

もっと働きたかったけれど病気になってしまった。

ずっと家にいても、一日一時間だけでもバリバリ働いている人もいますよ。そういうことができる時代です。投資で稼いでいる人もいますね。その方法を真剣に模索しましたか?

子供が欲しかったけどできなかった。

本当に子供が欲しい人はだいたい養子を迎えていますよ。本当に子育てをしたいと思いましたか?

よくよく思い返してみてください。「あえて」選んでないんじゃないですか?


なんかわかんないけど、この選択肢を選んでいる。選んだのは自分。本当に違う道を選びたかったら、何が何でもそっちに行っている、行こうとしたはずなのに、行ってないんです。今の道がよかったんだとしか言いようがないことないですか?
(・∀・)

今していることが、いちばん

したいこと、したかったこと

としか、言いようがないことないですか?
(^∀^)

あなたが「あえて」選ばなかったことは、別にしたいことでもなかった。それほど興味もなかった。そうとしか言いようがないことないですか? 
本当にそれがしたかったなら、危険も顧みず挑戦しているはずですよ。でも、してないんです。あなたにとってそれは、「賭け」にでる価値がなかったんですよ。


ということは、この『いま』が、

いちばんシアワセ

なんじゃないですか?

この『いま』が、

最上の選択

だったとしか、言いようがないことないですか?
(´∀`)

無数の選択肢がある「人生」で、ぜんぶの選択肢を生きることはできません。結局のところ、何かと「引き換え」に、いま何かを得ているわけです。あなた自身がこっちを選んだんです。その得ているものを、どうして『歓び』を持って味わわないなんてできるでしょう?


この『いま』を、

よろこびたたえましょうよ

(*゚∀゚)っ

この『いま』は、よろこびたたえるのにじゅうぶんすぎるほど、あなたがしたかったことの結晶なんですよ。

そんなステキな『いま』を、不安とか後悔とかでかき消してしまうなんて、残念です。

常に正しい選択をしてきて、なるようになってきたから、あなたはこの『いま』にいるんです。だから、この先も正しい選択をしてきて、なるようになりますよ。

みーんな、結局、

したいことしかしてません

(´∀`)ノ


コケ(・∀・)
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「京都~おおはら、さんぜんいん♪」です。
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(´∀`)ノ
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@京都市左京区

物語の結末は「しらない」(・∀・)

台風、来てます、来てます。絶賛通過中。
( ̄ー ̄)

さて、軽い記事を書きましょう。書くこと思いつかないので。
(・∀・)ノ


「人生」という物語、これを体験して、味わい、楽しむために、この世界がある。これが、

「種明かし」(・∀・)

です。たったこれだけのことだったのです。そして、この「人生」を体験している存在は、自分であることに決まっているのですが、それが誰なのか、何者なのかを言葉にすることはできません。

「ただ、自分」(・∀・)

やねん。としか言いようがない。

それはよく知っている「私」というヤツと似ているようで、まったくちがう存在です。

「ただ、自分」(・∀・)

には、名前も年齢も性別もなく、おまけにこの肉体でもありません。もちろん自分なわけで、自分以外の何者でもないのですが、「私」ではありません。自分は「私」じゃなかったのです!

子供の時、「生まれ変わったら何になりたい?」という話をしませんでしたか? そのとき、あなたはスーパースターやお姫様になった自分を想像したかもしれません。頭に思い描いたスーパースターやお姫様は、もちろん、今の「私」ではない別人格です。顔も身体もちがうでしょう。
でも、本当にスーパースターやお姫様になっても、「自分」という感覚は、今と同じです。

「これが私です」

と、言える存在がいますよね。「自分」という感覚です。どんなに別人になっても、この「自分」は不変です。不変と言うことは、時間もないのです。ああ、これ以上は、やはり言葉にすることができません。
(´∀`)


でも、不変で常にある「自分」という感覚、これこそが「本来の自分」なんですけど、それが何者か、どんな存在か、

「しらない」(・∀・)

んですけどね。知ることができません。残念ですけど。

私たちはみーんな、自分が何者か「しらない」のです。これが『真実』です。

「しらない」ことを知っているのが、まあ「覚者」って言われてるヤツなんです。それだけなんです。
(´∀`)

そして、

「しらない」とわかっている

ここが『真実』を体現する起点になります。本当の意味での「無知の知」です。

「しらない」に憩うことをしてください。「しらない」に憩えば憩うほど、あなたは素晴らしい体験をするでしょう。なにも「しらない」のに、あなたは「しっている」と確信できるのです。
それは、まったく未知の世界です。でも、あなたは「しっている」のです。

「弥陀の誓願不思議に助けられ」

と、確信するのです(・∀・)ノ


分離した「私」はとても弱いです。「しらない」ことに不安を感じます。「しらない」ことを知ってさえいれば、何でもうまく行くと思っています。そして、どこかに正解があるはずと探し続け、何かそれっぽものを、これが正解だと決めつけます。

ある人は正解をお金に見つけ、また、ある人は宗教に見つけます。スピリチュアルに見つける人もいます。しかし、本当は正解なんてどこにもありません。あらゆる事象の正解は、それが終わってみないとわかりません。
サッカーのPK。四隅のどこに蹴るか、または裏をかいてド真ん中に転がすか、蹴る前にその正解は誰にもわからないんです。蹴ってゴールしたとき、正解だったとわかるだけ。

この世界に事前にわかる

正解はありません

それが正解なんです。私たちは本当に何も「しらない」のです。
(´∀`)


そして、この「人生」とい物語の結末も、

「しらない」(・∀・)

のです。それでいいんです。満足するような結末にする正解なんてもん、どこ探してもありません。探すことに労力を費やすなら、まず、

「しらない」(・∀・)

に、くつろいでください。憩うことをしてください。
労力すらいらんよ( ̄ー ̄)ノ

どうやっても説明できないので、体験してくださいとしかいいようがない。『智慧』というのは「しらない」からやってくるのです。


私ウリエル、ときどき、「人生に興味がなくなった」と言います。これは、この「人生」の物語の結末に興味がなくなったということです。
(・∀・)
いい結末にする正解が、どこを探してもないとわかったので。そんなもん、

「しらない」(・∀・)

で、いいんだとわかったので。これはすーんごい安らぎですよ。

「しらない」(・∀・)

でいいと「しっている」んです。本当の「しっている」は、「しらない」から目を覚まします。

「しらない」(・∀・)

 ↑ コイツとひとつになりましょう。
 (´∀`)ノ


あまのはしだて(・∀・)つ
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股のぞきすると、こんなの
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あるいてみた(・∀・)
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@京都府宮津市

「心配事の1割は起こる」(^∀^)

うーん、書き出しがムズカシイ内容だなぁ……
(´・ω・`)


「私」という一個人は、

『この世界は油断しているとヒドイ目にあう』

という「恐怖」を、常に抱いています。意識的にも無意識にも。

でも、その「恐怖」が、みな同じものであるわけではありません。どこに「恐怖」の焦点を合わせているかは、人によって案外まちまちです。

病気になること
貧困に陥ること
恥をかくこと
愛する人を失うこと
信頼を失うこと
などなど......

とまあ、どこに焦点の比重を多く置いているかは、人によって様々です。

戦争が起こること
通貨が紙屑になること
食糧難になること
闇の勢力に操作されること
宇宙人に支配されること
悪霊に祟られること

なんてものにも「恐怖」の焦点を当てている人もいるでしょう。
( ・Д・)


ま、どんな「恐怖」であれ、それを抱いているのは「私」です。集合意識的にみんなが抱いているように思えても、あくまでもその集合意識を握りしてめいるのは「私」には違いありませんので。

そんな「私」の中にある、いろんな「恐怖」になる思いを取り除いて、純粋なバカになってみると、この『いま』、とくに「恐怖」を感じるようなものはないはずです。でしょ?
(・∀・)


んで、どんな「恐怖」であれ、それに焦点を当て続けると、その「恐怖」は実現化しやすくなりますね。
まあ、それが体験したいという設定なので、しょうがないとも言えるんですが、そうなんですよ。

宇宙人に支配されること

に、おびえ続けていたら、そこらへんの人がみーんな宇宙人に見えるようになったりするもんです。

確かに、

「心配事の9割は起こらない」

とか言いますよ。でも、つまりは、1割はホントに起こるんでしょ?(笑)

「心配事の1割は起こる」(^∀^)

んです。

9割の「恐怖」には、それほど焦点を当てていないというだけです。でも、残りの1割の「恐怖」にものすごーく焦点を当てているんです。全部に焦点は当てられませんので。

その1割の「恐怖」は、おそらく、もう無意識に思っているくらい常態化してまして、当たり前になって馴染んでいたりするんです。24時間、思っていたりしますよ。

「お金なくなったらどうしよう」
「ひとりになったらどうしよう」
「これができなくなったらどうしよう」

みたいなヤツね。もう、ずーっと恐れていると思いますよ。まるで、その「恐怖」を起こそうと思って念じ続けているように。
(^∀^)

でね、まずその1割の、非常に濃く焦点を当てづづけている「恐怖」に気づいてください。

そして、その「恐怖」は取り除きましょう。なーんて、陳腐なことはウリエルは言いません。もう、


「あきらめてください」(・∀・)


それ、起きますんで。実現化しますんで。

「私は死ぬのが怖くてしかたありません」

あきらめてください。みんな必ず死にますから。
(´∀`)


でもね、このことをお伝えしておきます。
(・∀・)ノ
確かにそれ、起きますよ。ほぼほぼ実現化するでしょう。でも、

「たいしたことない」(^∀^)

のです。ハイ。体験したいのでするんですから。耐えられないもんでもないです。耐えられないのなら、それ体験できないです。耐えられないという体験ですら、耐えられるから体験できるのでしょう?

うん、どーにでもなりますんで。その体験がしたいんですから。

楽しみにして待つくらいで、ちょうどいいかな(笑)


楽しみにして待てたら、もう、どーーーでもよくなりってきますね。あんなに常時「恐怖」に思っていたものを、いつしかウッカリ忘れてしまったりします。すると、あれ、焦点がぼやけていますね。

「あれ? なんで、あんなことが恐怖だったんだろう?」

って、気がついたらなっています。すると、もうそれ、起きなくなったりしますね。仮に起きても、どーにでもなるし、べつにかまわないって、なぜかいつの間にかわかってるし。

「別に宇宙人が支配しててもいいじゃん。もしかしたら、ニンゲンよりいいかもしれない」

とか思うようになってるもんです。
(´∀`)


あのね、「私」ってのは「恐怖」を土台にしてできていますので、焦点がぼやけてしまうと、「私」もぼやけて薄くなってしまうんです。

どこにも焦点を合わせない。焦点が合わない。

これが真の『自由』であることが、わかってきますよ。
(´∀`)

ではでは。


バイクでも二度と行きたくないと思う荒れまくりの山道を行くと、こんなとこに着き、
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中に入っていきましょう。
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鉄道の駅でした。奥羽本線「峠駅」
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で、この駅の名物
「峠の力餅」(・∀・)
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ちなみに、上下合わせて一日12本の列車しか止まりません。
けれど、今でも売り子さんがホームで立ち売りしてくれます。
@山形県米沢市

ワクワクワーク(・∀・)

突然ですが! (・∀・)ノ

みなさんは、一日が始まるとき、どんなことを考え、どんな気分でいますか?
(・∀・)ノ

睡眠から目覚めて、さあ、これから活動開始というとき。または、職場に着いてこれから仕事だというとき。たいていの人は朝だと思いますが、活動開始が昼や夜の人もおられるでしょう。

いつもなぜか気分が悪い人、
今日一日の中で処理しなければならないことをあれこれ考える人、
なんか知らんけど漠然と不安を感じる人、
不安なことを想像して止まらなくなる人、
べつに感情の起伏が何も起こらない人、
日によってまちまちだという人、

ま、いろいろおられると思います。
(・∀・)ノ
いろいろおられると思いますが、

今日一日、どんなステキなものに出会えるか

いつも楽しみにしている人(´∀`)

は、おられますか?(・∀・)ノ

もし、おられたら、そんなあなたは完璧です。なーんも心配いりません。
もし、そうでないという人がいたら、それは由々しきことかもしれません。
(`-ω-´)


睡眠で休息をとった心と体は、リフレッシュしています。完全にリフレッシュしてないにしても、睡眠を取る前よりかは、ずっと回復してます。思考も新しい一日に取り掛かる準備をしています。そこに、のっけから

「恐れ」

や、

「対立」

を土台にした「ものの見方」を持ち込まないほうがいいですよね。いきなり分離、分裂してしまいます。そんなことを毎日繰り返しているうちに、分離した価値観、この世界は油断ならないところだという思いが固定されたとも言えます。フレッシュなところに刷り込んで、完全に習慣化してしまったわけです。
(`-ω-´)

もちろん、『ありのまま』でいいわけですから、朝っぱらから「恐れ」や「対立」に飲み込まれても、それはそれでいいんですよ。

「あー、朝っぱらから不安が止まらない」
「あー、朝っぱらからイヤでしょうがない」
「あー、朝っぱらからイライラする」

と、気づいていれば。気づいていれば、それは飲み込まれているようで、実は飲み込まれてないんです。正直になっていれば。正直に、

「今日はこんな日だ。これも起こることだ仕方ない」

と、『ありのまま』に、ただ受け入れればいいだけです。

ただ、そんな不快な始まりでも、「今日一日、どんなステキなことが起こるんだろう?」と、ものすごく楽しみにしている存在が、あなたが気づいていないだけでいるんです。あなたの内に。
(´∀`)

で! その存在にちょっと心をすり合わせて行くというか、寄せて行くワークをやってみませんか?
(´∀`)ノ

というわけで、活動開始前、または活動開始と同時に、

「今日一日、どんなステキなことが起こるんだろう?」

と、

楽しみにしてワクワクしてください

(´∀`)ノ



最初は無理やりでもかまいません。まあ、10秒もかからんですので。5秒くらいでできるかな。「恐れ」や「対立」が、またいつものように湧き起こってきても、ちょっと無理して。ちょこっとワクワクするだけでいいんです。頭でなく、胸の奥が。そういうタイミングがあるはずです。

これだけ(・∀・)ノ


これも毎日繰り返しているうちに習慣化してくるんですよ。なので、どうせならこっちを刷り込んでみましょう。とにかく活動前のフレッシュなときが刷り込みやすいので。

こういうコザイクみたいなことは、私ウリエルはあまりオススメしないのですが、本人がこれはなかなかスゴイと体験しておりますので、オススメしておるわけです。
私ウリエルは常にそう思ってますよ。毎朝、楽しみにしてます。すると「ステキなこと」ちゃんと起こるんです。「ステキなこと」は、いろいろありますねー。

すごく素晴らしい話を聞けたり、意外な人に会えたり、また、すごくいいアイデアがいきなり湧いてきたり、なんかわかんないけどうまくいったり。
顕現する「ステキなこと」は、いつも活動開始時には予測もしていなかったことばかりです。

この世界は自己の投影ですからね。ワクワクしている人には、ワクワクすることが起こります。当たり前の話なんです。逆に不安な人には不安なことがどんどん起こりますし、対立に注目ばかりしていると、その対立は激化します。当たり前の話なんです。


すべては完璧に調和してるんです。それにはなんの根拠もないんです。

ただ調和(・∀・)

している。その『真実』に、『真実』から分離した「私」を寄せて行くんです。寄せて行くと次第に、そして、やがてはすべてが溶けて消え、調和します。


じゃあ、今日から、目が覚めたらやってみてくださいねっ!
(・∀・)ノ


旅のスナップ
なにもないけど、なぜか寄ってしまう駅
「なんじゃい」(・∀・)
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@群馬県富岡市

「橋場のばんば」
縁切りのためにハサミをお供えするそうな
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@福島県桧枝岐村

「松代象山地下壕」
いったい日本をどうするつもりだったのか?( ・Д・)
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@長野県松代町

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プロフィール

笑うウリエル

「わっかっちゃった人」俗に「覚醒した人」というらしい。
この世が面白くて楽しくて仕方なく、それをみんなに言いふらしたいだけのバカ。旅人でもあり、言いふらしにどこへでも行くもっとバカ。
ちなみに職業は、たこ焼屋さん

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