急に季節が変わり、気温が下がりました。
体調を崩しやすい時期なので、ご自身の身体に注意深くいてください。
(・∀・)
注意深くいることです。私ウリエルは注意深くいた結果、
「風邪は自然の健康法であり、風邪を引くことで体のさらなる悪化を防いでいる」
という結論に達しました(´∀`)
もっとも、これは私ウリエルが発見したものではなく、何十年も前に野口晴哉さんという人が発見したものなんですけどね。
「うん、きっとそうだよね!」
って、なっただけです(´∀`)
さて、それはさておき(・∀・)ノ
この世界に「信頼」できるもの、または「信頼」できること。それはただひとつしかないと、私ウリエルは思っています。というか、知っています。それは、
必要なものは必要なときに与えられる
このことだけ(・∀・)
「信頼」するには、常に不信感がないと、そもそも「信頼」できません。必要なものは、必要なときに与えられるって、
「本当にそうかなぁ???」( ̄ー ̄)
という不信。ありますよね。それでいいんです。必要なものは決して事前には与えられません。一瞬の遅れや狂いもなく、ベストなタイミングで与えられます。そのときまで得ることができないのです。だから、
「本当にそうかなぁ???」( ̄ー ̄)
と、思うのも当然です。でも、この「不信感」がないと、また「信頼」もできないんですよ。わかりますか?
そして、「与えられる」ことがわかるには、まず「足りない」がないとわかりません。
よく「足りない」と思い続けているから、「足りない」という現実がやってくるのだ。みたいな表現を見かけます。誰でも見たことありますよね。だから「足りている」と思いましょう、もっと「足りている」ことに目を向け感謝しましょう。
(・∀・)
まあ、それは『真実』です。今は常に「足りている」状態で完璧です。でもですね、今日、家賃の5万円を払わないといけないのに、1万円しかないとき、
「まあ、1万円もあるわ!」.。゚+.(・∀・)゚+.゚
とは、思えんわけです。どう考えても「足りない」
……(´・ω・`)
「足りない」も、それでいいんです。「足りない」があるから、「与えられる」ことがわかるのですから。大事なことは、自分の心を操作しないこと。ホントのホントに『ありのまま』に、です。
「足りない」と思っていたから「与えられた」とわかる。
必要なものは必要なときに与えられる
と、わかる。
(´∀`)
結局、『いま』のままでいいんです。そのままで。何も心の動きをコントロールする必要はありません。まあ、なーんも考えなくていいんです。ただ、この世界と、心と身体の動きにまかせていれば。それをただ、
「見守る」(・∀・)
だけでいいんです。
「足りない」と不安です。なら、それを見守ればいい。「足りないと思っているからいけないのだ」とは、思わなくていい。思ってしまったら、「足りないと思っているからいけないのだ」を、これまた見守ればいい。
「本当に大丈夫なのか?」と不信にもなります。その不信感を見守ればいい。「信じられるか、そんなもん!」っていう思考を見守ればいいんです。でも、その不信感が「信頼」を生むのですから。
大いなる存在、それは「本来の自分」なのですが、それがどうやって自分自身、この身体の面倒を見て行くか、そこにどれほどの『愛』があるか。ただそれを知るために、ぜーんぶをただ見守っていればいいんです。
「不信感」があってもいいし、「足りない」があってもいい。だからこそ、大いなる存在が決して無視しないし、裏切らないとわかる。
必要なものは必要なときに与えられる
と、わかる。
「大丈夫」(´∀`)
と、わかる。
だから、どんなに心配したって、いいんです。
それが結局、「信頼」につながり、この世界は自らが創造しているのだとわかるのです。
そんなに難しいことじゃないんですよ。
ちょっとしたコツをつかむだけです。
取りとめ無くなってしまいましたが、今回はこの辺で。
(´∀`)ノ
まあ、
必要なものは必要なときに与えられる
疑っていてください(´∀`)ノ
疑っていないと、「すげーーーっ!」もないですから。
旅のスナップの残り(・∀・)
野尻湖と黒姫山
@長野県信濃町
ウワサの埋没林(⌒?⌒)
@富山県魚津市
懐かしの「急行」
市振駅@新潟県糸魚川市
善光寺(´∀`)
@長野県長野市
体調を崩しやすい時期なので、ご自身の身体に注意深くいてください。
(・∀・)
注意深くいることです。私ウリエルは注意深くいた結果、
「風邪は自然の健康法であり、風邪を引くことで体のさらなる悪化を防いでいる」
という結論に達しました(´∀`)
もっとも、これは私ウリエルが発見したものではなく、何十年も前に野口晴哉さんという人が発見したものなんですけどね。
「うん、きっとそうだよね!」
って、なっただけです(´∀`)
さて、それはさておき(・∀・)ノ
この世界に「信頼」できるもの、または「信頼」できること。それはただひとつしかないと、私ウリエルは思っています。というか、知っています。それは、
必要なものは必要なときに与えられる
このことだけ(・∀・)
「信頼」するには、常に不信感がないと、そもそも「信頼」できません。必要なものは、必要なときに与えられるって、
「本当にそうかなぁ???」( ̄ー ̄)
という不信。ありますよね。それでいいんです。必要なものは決して事前には与えられません。一瞬の遅れや狂いもなく、ベストなタイミングで与えられます。そのときまで得ることができないのです。だから、
「本当にそうかなぁ???」( ̄ー ̄)
と、思うのも当然です。でも、この「不信感」がないと、また「信頼」もできないんですよ。わかりますか?
そして、「与えられる」ことがわかるには、まず「足りない」がないとわかりません。
よく「足りない」と思い続けているから、「足りない」という現実がやってくるのだ。みたいな表現を見かけます。誰でも見たことありますよね。だから「足りている」と思いましょう、もっと「足りている」ことに目を向け感謝しましょう。
(・∀・)
まあ、それは『真実』です。今は常に「足りている」状態で完璧です。でもですね、今日、家賃の5万円を払わないといけないのに、1万円しかないとき、
「まあ、1万円もあるわ!」.。゚+.(・∀・)゚+.゚
とは、思えんわけです。どう考えても「足りない」
……(´・ω・`)
「足りない」も、それでいいんです。「足りない」があるから、「与えられる」ことがわかるのですから。大事なことは、自分の心を操作しないこと。ホントのホントに『ありのまま』に、です。
「足りない」と思っていたから「与えられた」とわかる。
必要なものは必要なときに与えられる
と、わかる。
(´∀`)
結局、『いま』のままでいいんです。そのままで。何も心の動きをコントロールする必要はありません。まあ、なーんも考えなくていいんです。ただ、この世界と、心と身体の動きにまかせていれば。それをただ、
「見守る」(・∀・)
だけでいいんです。
「足りない」と不安です。なら、それを見守ればいい。「足りないと思っているからいけないのだ」とは、思わなくていい。思ってしまったら、「足りないと思っているからいけないのだ」を、これまた見守ればいい。
「本当に大丈夫なのか?」と不信にもなります。その不信感を見守ればいい。「信じられるか、そんなもん!」っていう思考を見守ればいいんです。でも、その不信感が「信頼」を生むのですから。
大いなる存在、それは「本来の自分」なのですが、それがどうやって自分自身、この身体の面倒を見て行くか、そこにどれほどの『愛』があるか。ただそれを知るために、ぜーんぶをただ見守っていればいいんです。
「不信感」があってもいいし、「足りない」があってもいい。だからこそ、大いなる存在が決して無視しないし、裏切らないとわかる。
必要なものは必要なときに与えられる
と、わかる。
「大丈夫」(´∀`)
と、わかる。
だから、どんなに心配したって、いいんです。
それが結局、「信頼」につながり、この世界は自らが創造しているのだとわかるのです。
そんなに難しいことじゃないんですよ。
ちょっとしたコツをつかむだけです。
取りとめ無くなってしまいましたが、今回はこの辺で。
(´∀`)ノ
まあ、
必要なものは必要なときに与えられる
疑っていてください(´∀`)ノ
疑っていないと、「すげーーーっ!」もないですから。
旅のスナップの残り(・∀・)
野尻湖と黒姫山
@長野県信濃町
ウワサの埋没林(⌒?⌒)
@富山県魚津市
懐かしの「急行」
市振駅@新潟県糸魚川市
善光寺(´∀`)
@長野県長野市