私たちは自分のことを、この体や心を持った「私」だと思い込んでいます。
ものすごく強く思い込んでしまっているので、実は自分がこの体や心でないなんて、とても信じられません。

「自分って、体でも心でもないよ」
「自分って、私じゃないんだ」

と、誰かに話しても、きっと馬鹿にされるか、気味悪がられるだけでしょう。 それくらい、全人類のほとんどが、自分は「私」だと深く強く思い込んでしまっていて、本来の自分を忘れてしまっています。誰も「私」の実態はよくわかんないのに。
(´・ω・`)

本当は、本来の自分があまりにも「幸福」で、もう「幸福」しかないので「幸福」がわからない。
だから、真逆の体験をしてみようと思っただけなのです。そうでもしないと、この「幸福」がいったい何なのかもわからないからです。それだけのことだったのです。

そこで、「私」というよくわからないものになって、本来の自分から「分離」した。

そして、「私」にあまりにも没頭しすぎて、なんと、自分がなんだったかを忘れてしまったのです。

それどころか、もう完全に自分は「私」だと思い込んで、実は「私」じゃないなんて、思いたくもないくらいの状態になってしまいましたとさ。
(・ω・)

この分離した「私」のことを、スピリチュアルでは「エゴ」とか「自我」と言います。それに対して、本来の自分を「真我」と言ったりします。
「真我」は他にもいろいろな呼び方がありまして、

「大いなるもの」
「純粋意識」
「サムシンググレート」

などなど。人によって勝手に名前をつけて呼んでます。どれも同じです。本来の自分です。

イエスは

「神」

と、呼んでいます。神様って、なんと自分のことなんです。
「おー、オレは神様だったのか!」
びっくりです。でも、あなたの体も心も神様ではありませんので、あしからず。ニンゲンであることには変わりません。もちろん「私」も神様ではありません。

でも、これで、いくら神様を信じてお願いしても、なかなか願いを叶えてくれない理由がわかりますよね。本当の神様、つまりは本来の自分を忘れて、神様とは違う何かにお願いしてるわけですから。
(´∀`)

浄土真宗の親鸞は、

「阿弥陀仏」

と、呼んでますよ。弘法大師・空海は、

「大日如来」

いろんな呼び方がありますね。でも、ぜーんぶ「本来の自分」のことです。おんなじ。
(・ω・)
日本の神道では、

「アマテラス」

でしょうね。


ほとんどの宗教の祖になった人は、本来の自分が何かわかったから、それを語ったわけです。イスラム教やヒンズー教のことはよく知りませんが、その開祖はそうだったはず。
イエスもブッダも、「本来の自分はコレだよー」と、みんなに教えただけで、べつに宗教団体を作ろうと思ってたわけではないです。

だけど、なんかわかんないうちに組織になっちゃって、宗教や宗派になっちゃって、その教えもなんか違うものになっちゃったのかな。いつのまにか、「本来の自分」じゃない何かを「信仰」するようになっちゃった。
(´・ω・`)


本来の自分でない何かにいくら祈っても、いくらお願いしても、いくら信仰しても、

「幸福」にはなりません

それ、神様でも仏様でもないもん。本当の神様仏様は、本来の自分です。自分なんです。
 

というのも、本来の自分って、形も色も匂いもなくて、「コレです」と見せたり、言葉で言い表すことができないんです。 だから、こんな誤解というか混乱した状態になっちゃってるんだなと思います。

本来の自分を思い出すことの他に、「幸福」になる方法はありません。
どんなにお金持ちになっても、誰かに愛されても、 たくさんの賞賛や高い地位を得ても、

べつに「幸福」にはなりません

それから、今の苦しみや悩みを解消しても、

べつに「幸福」にはなりません

どんなに真面目に信仰しても、

べつに「幸福」になりません

そして神様仏様にいくら祈っても

べつに「幸福」にはなりません

本来の自分を思い起こして、本来の自分を生きる以外には、決して「幸福」にはなれないのです。

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上色見熊野座神社@熊本県高森町