多くの人が人生を「生存競争」だと思っています。
(`-ω-´)
努力をせずなまけていたり、間違った選択をすると、この「生存競争」の敗者になる。敗者になると、楽しくないだけではなく、残念で悲惨で人生になる。そんなふうに思っています。
この人生を豊かで安定した、楽しい人生にするには、この「生存競争」で勝ち残らなければなりません。人生は終わることのないサバイバル・ゲーム。人間だけではない。あらゆる生き物が、この厳しい「生存競争」の中で闘っているのだ。そんなふうに思っています。
今よりも少しでもよくなるように、そして、今あるものを失わないように。
自分が少しでも有利になるように、そして、少しでも不利にならないように。
攻撃と防御、正しい選択。そんな闘いに次ぐ闘いを繰り返します。
(`-ω-´)
でもね、あらゆる生き物が「生存競争」してるなんて考えているのは、実は私たち人間だけなんですよ。
(´・ω・`)?
動物や鳥や魚、虫たち、そして木や花も、その生を謳歌しています。
みごとに謳歌しています
「勝ち組」だけが謳歌しているのではありません。そもそも、彼らに「勝ち組」も「負け組」もありません。私たち人間がサバイバルをしているので、彼らもそうに違いないと、そう「見える」だけです。でも、その人間がサバイバルをしているなんてのも、ただの
思い込み(´・ω・`)
なのですよ。
もちろん、彼らもサバイバル・モードになるときがあります。身の危険が迫ったとき。そのときは生存をかけて必死に闘ったり、逃げたりします。でも、それ以外は本当に自由にのほほんと生きています。今日という日を満喫しています。明日も生きるために、今日正しい選択をせねばなど、思いもしてません。
私たち人間だけが、24時間365日、常時サバイバル・モード。
(´-ω-`)
あのね、本当は、私たち人間も、動物や鳥たちと同じように、今日をのほほんと生きているんです。でも、のほほんと生きていることを忘れているんです。攻撃と防御という闘い、正しい選択、こういったものに生きるエネルギーを注いでいるときも、その根底には、
のほほんがあるのです
この、のほほんのほうを見ていないだけです。
(・ω・)?
んで、この、のほほんの正体が「本来の自分」なのです。
今、どんなにつらい状況にあっても、同時にのほほんはあります。というか、それ、ぜんぜん、つらい状況じゃないんです。つらいと「ジャッジ」しているだけ。病気やケガで肉体が痛いときですら、のほほんの正体である「本来の自分」はのほほんとしている。
(´∀`*)
私たちはこの、のほほんのほうにもっと注意を向けなければなりません。
そして、この、のほほんには、のほほんそのものの流れがあります。それは、
「自律」
と、よく表現されています。「自立」ではありません「自律」
(´・ω・`)
あまり使わない難しい言葉ですね。辞書で調べてみても、なんかピンと来ないでしょ?
ええ、ピンと来なくて正解です。辞書に書いてある意味ではないんですよ。この「自律」は。
この「自律」は、「生」そのものが独自のストーリーを持っているという意味です。
私たちが頭で考えて選択して行動して生きているのではない。この私たちの「生」そのものが、私たちの体や心を使って、勝手に生きているという意味です。のほほんが生きていて、体や心が生きているわけではない。個人の「私」が闘いと選択で生きているわけではない。そういう意味です。
私たちはこの「生」に、のほほんに、「本来の自分」に、サバイバルに使っているエネルギーを戻す必要があります。
今、どんなにつらくても、のほほんから見ると、
万事良好(´∀`)
なのです。なので、エネルギーを戻せば、もっとラクチンに生きれるわけです。
イエスが語った、「空の鳥をよくみなさい」という一節は、こういうことなのですよ。
春よ来い♪
@兵庫県加西市
(`-ω-´)
努力をせずなまけていたり、間違った選択をすると、この「生存競争」の敗者になる。敗者になると、楽しくないだけではなく、残念で悲惨で人生になる。そんなふうに思っています。
この人生を豊かで安定した、楽しい人生にするには、この「生存競争」で勝ち残らなければなりません。人生は終わることのないサバイバル・ゲーム。人間だけではない。あらゆる生き物が、この厳しい「生存競争」の中で闘っているのだ。そんなふうに思っています。
今よりも少しでもよくなるように、そして、今あるものを失わないように。
自分が少しでも有利になるように、そして、少しでも不利にならないように。
攻撃と防御、正しい選択。そんな闘いに次ぐ闘いを繰り返します。
(`-ω-´)
でもね、あらゆる生き物が「生存競争」してるなんて考えているのは、実は私たち人間だけなんですよ。
(´・ω・`)?
動物や鳥や魚、虫たち、そして木や花も、その生を謳歌しています。
みごとに謳歌しています
「勝ち組」だけが謳歌しているのではありません。そもそも、彼らに「勝ち組」も「負け組」もありません。私たち人間がサバイバルをしているので、彼らもそうに違いないと、そう「見える」だけです。でも、その人間がサバイバルをしているなんてのも、ただの
思い込み(´・ω・`)
なのですよ。
もちろん、彼らもサバイバル・モードになるときがあります。身の危険が迫ったとき。そのときは生存をかけて必死に闘ったり、逃げたりします。でも、それ以外は本当に自由にのほほんと生きています。今日という日を満喫しています。明日も生きるために、今日正しい選択をせねばなど、思いもしてません。
私たち人間だけが、24時間365日、常時サバイバル・モード。
(´-ω-`)
あのね、本当は、私たち人間も、動物や鳥たちと同じように、今日をのほほんと生きているんです。でも、のほほんと生きていることを忘れているんです。攻撃と防御という闘い、正しい選択、こういったものに生きるエネルギーを注いでいるときも、その根底には、
のほほんがあるのです
この、のほほんのほうを見ていないだけです。
(・ω・)?
んで、この、のほほんの正体が「本来の自分」なのです。
今、どんなにつらい状況にあっても、同時にのほほんはあります。というか、それ、ぜんぜん、つらい状況じゃないんです。つらいと「ジャッジ」しているだけ。病気やケガで肉体が痛いときですら、のほほんの正体である「本来の自分」はのほほんとしている。
(´∀`*)
私たちはこの、のほほんのほうにもっと注意を向けなければなりません。
そして、この、のほほんには、のほほんそのものの流れがあります。それは、
「自律」
と、よく表現されています。「自立」ではありません「自律」
(´・ω・`)
あまり使わない難しい言葉ですね。辞書で調べてみても、なんかピンと来ないでしょ?
ええ、ピンと来なくて正解です。辞書に書いてある意味ではないんですよ。この「自律」は。
この「自律」は、「生」そのものが独自のストーリーを持っているという意味です。
私たちが頭で考えて選択して行動して生きているのではない。この私たちの「生」そのものが、私たちの体や心を使って、勝手に生きているという意味です。のほほんが生きていて、体や心が生きているわけではない。個人の「私」が闘いと選択で生きているわけではない。そういう意味です。
私たちはこの「生」に、のほほんに、「本来の自分」に、サバイバルに使っているエネルギーを戻す必要があります。
今、どんなにつらくても、のほほんから見ると、
万事良好(´∀`)
なのです。なので、エネルギーを戻せば、もっとラクチンに生きれるわけです。
イエスが語った、「空の鳥をよくみなさい」という一節は、こういうことなのですよ。
春よ来い♪
@兵庫県加西市
「本来の自分」には、それ独自のメロディーがあります。「独自の旋律」で「自律」としてください。
(・∀・)
私たちには自分自身にしかないリズムと音階があり、それが独自のメロディーを奏でています。
そのメロディーの上に、雑音を被せているんですよ。
今よりよくなろう、今あるものを失わないようにしよう、
常に有利でいたい、不利な立場は避けたい、
優秀な人になるべき、蔑まれる人になりたくない、
自己実現したい、穏やかでいたい、平和であるべき…
こんなのぜーんぶ、雑音(・∀・)! なの。
こういった雑音を出発点にして、スピリチュアルとか、真理の探究しても、
ずぇっっったい、元の木阿弥になりますんで。
(´∀`*)
「自律」です、「じりつ」
(^ω^)
笑うウリエル
がしました