まったく雑音のない静かな部屋で、プレーヤーで音楽を聴きます。
(・∀・)ノ

プレーヤーの電源を入れるまでは、まったくの無音。音がありません。「静けさ」だけがあります。そこで電源をオンにすると音楽が流れ始めます。部屋の中にメロディーが響きます。

さて、ここで問題です。音楽を流す前にあった「静けさ」はどこに行ってしまったのでしょう?
(・ω・)?

いえいえ、どこにも行ってませんよね。「静けさ」の上に、または「静けさ」の中に、メロディーが流れ、音が響いているのですよね。ということは、音楽が流れているときも「静けさ」は変わらずあり続けている。そういうことですよね。
このことが、わかりますか?
(・∀・)

白い紙の上にいろんな色で絵を描いた。白い部分がなくなったからといって、白い紙はなくなってません。これと同じ。
このことが、わかりますか?
(・∀・)

んでは、この音楽と「静けさ」、聞き分けることができるでしょうか?

できる? むずかしい?(・∀・)

音の中に「静けさ」というベースがあることを発見してください。

「静けさ」があるから、音が認識できる。このことがわかりますか?

ちょっと、聞き分けることができるようになるまで、いろんな音をよく聞いてみてください。「静けさ」は騒々しい工事現場にもあります。
または自身の耳鳴りしか聞こえないような静かなところにもあります。耳鳴りと「静けさ」も聞き分けることができます。

そう、耳鳴りですら「静けさ」があるから聞こえるのです。ということは、「静けさ」は

自分自身の中にある

ということです。部屋にも工事現場にもありません。「静けさ」は自分自身の内側にあるということです。

この「静けさ」は、精神世界の書物などでは、

「静寂」とか「沈黙」

と表現されています。「静けさ」はシーンとしています。恐ろしいほどの無音です。
そして、「静けさ」は

「気づき」

とも、表現されます。そう、「気づき」とは、この恐ろしいほどのシーンだったのです。シーンという音すらない「静けさ」のことです。


みなさん、頭の中でいつもいろんなことを考えてますよね。頭の中で「おしゃべり」をしてます。頭の中で歌を歌うときもありますよね。
その「おしゃべり」や歌を聞いているのは、この「静けさ」ですよね。わかりますか?

そして、この「静けさ」は、

「見ているヤツ」

ですよ。同じですよね。「見ているヤツ」が沈黙して聞いているのです。「聞いているヤツ」もしています。

わかるかな? むずかしい?(・∀・)

この「静けさ」、音の中にあるシーンを聞く。聞くというより発見する。これに挑戦してみてください。

わかった! という人は、この「静けさ」が、いつでもどこでも変わらずにあり続けていることに気づいてください。

この「静けさ」が、

いちばん奥底の自分

です。つまり「本来の自分」です。

だから、いろんな音をよーく聞いて、その根源にある「静けさ」に出会ってください。ないはずないので。
(´∀`)

そして、無理なくこの「静けさ」に居続けることを、瞑想と言います。

瞑想とは、いちばん奥底の自分にいることだったのです。意識して「静けさ」を作り出すことでは、ありません。
(・ω・)ノ

夫婦岩
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二見興玉神社@三重県伊勢市