私たちはしょっちゅう「意識」を「心」だと錯覚してカンチガイしております。
(´・ω・`)

でも、実は心も「意識」の中にある。このことに気づいてください。心も観察の対象になりますので、心も本来の自分ではないのです。

では、この「意識」って、何なんでしょう?

あ、答えを言うと、これこそが

「本来の自分」

なのです。これ以外は何も現存しておりません。「純粋意識」とも表現されたりします。「意識」は「意識」以外なにもありません。形も色もなく、まっさらです。まさに「空」です。これが「気づき」です。
(・∀・)

私たちは、この「意識」の外に出ることができません。体も心もこの「意識」の中にあります。記憶も知識も「意識」の中です。感情も「意識」の中。それから、他人もこの「意識」の中にしかいません。この世界のあらゆるものが「意識」の中にしかありませんよね。
ということは、「意識」、つまり「本来の自分」以外は何も、そして誰も存在していないのです。この体ですら存在していません。確かにあるのは、この「意識」、純粋な「空」だけです。というわけで、

私も他人もいない。

この世界もない。

おわり(´・ω・`)

……(´-ω-`)

なんとアッケない。そして、なんとつまらない。「そんなのイヤだ!」という抵抗する気持ちが、グググーッと体の中から湧いてきますよね。それのどこが神だと。何が阿弥陀仏で大日如来だと。
でも、スピリチュアルの師がよく言う「私はいない」とか、「自分しかいない」って、そういうことですよね。ハイ。


でも、これ、アッケなくつまらないですまないことが多い。
家族も愛する人も、本当は「いない」ってことですから、それをものすごい孤独としてとらえる人もいます。だから、もう反射的にそれを知ることを避けちゃう。
おまけに人生で今までやってきたことも、今やっていることも、すべてが、

本当は「無意味」(´・ω・`)

だということでもあります。

この世界に生まれてきた意味、あなたのこの世界での役割、

いっさいありません(´・ω・`)

……(´-ω-`)

ということですので。

これをブッダは「諸法無我」と言いましたとさ。


でも、それでいいんですよ。というか、そこがスタートラインなのです。エネルギーの無駄遣いが終わり、本来の流れになるには、そこの原点に立たないことにはどうしようもない。

でも、なかなか、その原点には立ち続けることはできません。立てても最初は3秒くらい(笑)
一瞬で夢見の状態に引き戻されてしまいます。
(´∀`)ノ

というか、そこに立つのがもう恐怖で、二度とそこに立ちたくない気持ちになる人が実は大半です。んで、ほとんど人が結局、防御と攻撃という闘い、そして選択を続けるという夢見の中に、自ら戻ってしまいます。だって、

愛しているものも「ない」
愛している人も「いない」
楽しいことや面白いことも「ない」
とどのつまりは自分自身も「いない」
だから夢も希望も「ない」、幸せも「ない」

なんて、それをすんなり受け入れることが、フツーはできないんですね。
このスタートラインは、「私」から見ると

究極の「欠如感」

以外のなにものでもない(´・ω・`)


でもね、この「ないないづくし」に、まずなってみないと、

本来の自分が、どのくらい神で阿弥陀仏で大日如来なのかわかんないのです。

おまけに、すぐにはわかりません。少ーしずつしかわかんない。だから、またすぐに夢見に戻っちゃうんですよね。
(´∀`)


何のために生まれてきたのか?
この人生で何をしたらいいのか?

そんなふうに、人は常に人生の意味や、自分の存在価値を求め続けています。その前に、

人生は無意味

この世界も無意味

という場所に、まず立ってみてください。あらゆるものが無意味です。全宇宙がただ意味なく「意識」の中にあるのです。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

って、なりません?(´∀`*)

IMG_8550
場所不明。どこで撮ったんだろ?(´∀`)