「本来の自分」は、「私」には想像もできないものです。

「絶対の幸福」もまた、「私」には想像できません。

それを知る方法は、とてもシンプルです。

「私」に何もさせない

ただ、これだけなんです。よく「あるがままにしておく」と言ったりしますが、つまりは、そういうことです。
ただ、これだけなんです(・∀・)

「心」にはいろんなものが思い浮かんできます。それにつられて、いろんな感情も湧き起こってきます。それをただ観察するだけでいいんですよ。その観察している観察者は、

まっさらで、

何も知らなくて、

からっぽで、

鮮やかな、「純粋意識」なのです。

どんなに醜い邪念が次から次に湧いて来ても、放っておけばよいのです。どんなに体がザワザワ、ワナワナして落ち着かなくても、とりあえずは放っておけばよいのです。

「心」の中に現れる様々なもの、「体」に起こる様々な反応、ぜーんぶ放っておいてください。
(´∀`)

「私」は「本来の自分」に気づくことはできません。

「本来の自分」が自分自身に気づくわけです。「私じゃねえ!」って。

おもしろいですよね(´∀`)

だから、「私」がいくらがんばっても、「本来の自分」に気づくことはできません。

私たちって、何かを得るにはがんばったり何かしないといけないと、そういう幻想に取りつかれていますから、このことがなかなか理解できないんですよ。
「本来の自分」は得るものでも、行きつく場所でもないので、そういう努力じみた行為は、これっぽっちも意味が無いんです。
「本来の自分」は当たり前にずっとここにあるので、得るものや行く場所ではないからです。

「心」がずっと、わけのわからん何かを思い続けていてもいいんです。

「体」が何かしていても、何もせず寝転がっていてもいいんです。

それを静かにさせようだとか、きちんとさせようとかしないでください。「心」と「体」の好きにさせて、それをただ見てください。


「本来の自分」に気づくって、ハッキリ言って、

アクシデント

のようなもんです。だから何か起きるだろうと期待して見ているうちは何も起きませんよ(笑)
まあ、石につまずくようなもんですので。
(´∀`)

だから、何もせずただ歩くように、「心」と「体」を流してしけばいいんです。

そのうち、ドテッ!と、つまずいてこけますから。

女子中学校みたいなお地蔵さんだな(・ω・`)
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@岐阜県郡上市