「私」という個人、その観点からする行動は、

すべて分裂しています

出発点がすでに分裂して分離しているからです。
(´・ω・`)

このことは思考で理解しておいてください。出発点が分裂しているので、その分裂が解決しても新たに分裂が生まれます。結局は葛藤することと選択することが、えんえんと続くエネルギーの無駄遣いになります。

では、この「私」という分離した個人でない観点って、なんなんでしょう?
(´・ω・`) 
それは、

事実をただ事実と見る

その観点だけです。

いま起こっていることを、ただ、「これが事実だ」と見る。これだけです。それが善いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、なーんもジャッジせずただ見る。なーんもジャッジしないと、「私」はとたんに不安定になります。ジャッジしなければ選択もできない。防御も攻撃もしない、まったく無防備な状態。私ウリエルはこれを、

「絶対的不安定」(・∀・)

と、呼ぶことにしました。
(´∀`)ノ


この「絶対的不安定」な状態でないと、起こっている事実に変化をもたらすことができません。「絶対的不安定」にいないと、正しい行動ができないんです。ハイ。
このことを知っておいてください。

例えば、あなたに向かって怒りをぶつけてくる人がいた。あなたの「私」は反射的に反応し、攻撃か防御をします。この反射的な反応は、感情で固定されているんですね。だから感情を感じてくださいな、と、ウリエルは言うわけです。頭ではいろいろ理屈や御託をならべますが、それらは、まず感情が起こらないとでてこないです。ハイ。
なるべく、最初に現れる感情を取り出して、そのエネルギーを感じてください。思考を使わず、体で感じてください。感じているうちに固定されたものが、だんだんゆるんできますので。

目標と言うとおかしいですが、思考は何か目指すものがないと何もできません。だから、あえておかしいけど目標を定めてみますよ。目標があること自体が愚行なのですが、あえて。
(´∀`)

感情を感じて、固定されていた思い込みやパターンをゆるめて、やめて、最終的に、

「絶対的不安定」(・∀・)

な状態になる。この「愚行」を行ってください。


「絶対的不安定」になると、事実は事実としてすべて受け入れなければなりません。そして、何をどうすればいいのか、思考はまったくわからなくなります。ジャッジしないので選択できない。
そのときはじめて、その事実に的確に対応できちゃうんです。なんせ「本来の自分」は自律しておりますので。おもしろいでしょ?
(´∀`)

「本来の自分」に戻るというのは、この「絶対的不安定」な状態でいるということでもあります。


どんな状況にも解決策はあり、それは「本来の自分」しか知りません。「絶対的不安定」しか解決策を知らないんですよ。なんか逆説的でスピリチュアルだなぁって、感じしますよね(笑)

「絶対的不安定」の中に、永遠の安定があるんですよ。逆かもしれない。永遠の安定って、「絶対的不安定」なのかもしれません。
そして、永遠の安定は、絶え間なく変化してきます。なので安定をつかまえることはできません。絶え間なく変化して行くからこそ、永遠に安定しているんです。


それを知るのは、とてもシンプルです。

事実をただ事実と見る

そんなに難しいことではありません(´∀`)


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@兵庫県小野市