ごきげんよう(・∀・)

どうも体調がよくなく、なんだかヤル気も起きないので、ひとやすみしておりました。
まあ、でも、ぼちぼーち、また記事を書いていきます。


さて、みなさんもぼちぼーち、「主の通られる道をまっすぐに」されておられるでしょうか?
内側から湧いて来るものを、正直な内側の声に耳を傾けて、それをまっすぐに『ありのまま』に表現されていますか?

それが自分自身でいるということなんですよ。「本来の自分」でいるということ。内側の声を否定して、「こうあるべき」にとらわれているときは、自分自身ではないのですね。誰なんでしょうね、それ。
(´∀`)

ただ、いきなり「本来の自分」に、スルッと戻ることもなかなか行きません。その誰なんだかよくわらからないヤツを、長年、自分自身だと思いこんでいますから、ソイツがいなくなることへの抵抗も感じることもあります。

でも、「本来の自分」に戻る幸福以外に、幸福になる方法はありません。他のどんな幸福も、いっときは幸福感を感じることができますが、必ず消えます。「絶対の幸福」以外の幸福はありません。


んで、内側をまっすぐに表現していると、強い「欲しい」がでてくるときがありますね。強い欲求。
(・∀・)ノ

その「欲しい」を味わって満喫してください。

と、前々回の記事で書きました。抑え込まず、素直に「欲しい」、それを感じてくださいと。

そもそも「欲しい」って、何かに欠乏している欠乏感から生まれてくるわけです。何かに渇いている。では、いったい何に欠乏しているんでしょうね?
(´・ω・`)?

異常に食欲が抑えられなくなる時がある。でも、お腹がものすごくすいているわけではない。
日々の暮らしでお金にはとくに困ってはいないのに、もっともっと欲しくなる。

本当に食べ物やお金に欠乏していて、「欲しい」が出てくることもありますよ。でも、そうでないときもたくさんありますよね。そうでないのに強く「欲しい」が出てくる。つまり、強い欠乏感が心の奥にあるんでしょうね。

なんに欠乏しているんでしょうね?

(・∀・)?

それをちゃんと見ないと、なにも解決しませんね。その欠乏感が埋まらないから、「代替物」で満足しようとしているんですよ。その代替物が食べ物やお金ってだけです。
私たちはいつも、その代替物の方しか見てないので、ずーっと「本当は何に欠乏しているか?」に気づかずに生きてしまっているんですよ。なので、本当に欲しいものが手に入らずにいるまんまなんです。

なんに欠乏しているんでしょうね?

その「欲しい」を、一度、さかのぼってみてください。いったい何が欲しいのか? 本当に欲しているものは何なのか?

食欲、性欲なんてのは、体が自然に求めている場合も、もちろんありますよ。でも、あきらかにそうでないときがあるって、自分でもわかりますよね。
(´∀`)

代替物のほうを見るのではなく、内側を見に行ってください。
本当に欲しいものはなにか? ずーっと、ずーっと、内側の奥深くへ。

さかのぼってください(・∀・)


するとね、あるんですよ! 

w(゚o゚)w 

最初から満たされていて、何も欠乏してないんですよ。

「欲しい」はそれに気づきなさいという、「呼びかけ」だったんです。「本来の自分」が呼ぶ声だったんですよ。「本来の自分」であることに気づきなさいという声だったのです。

それはいったいどういうものか?

ご自身で確かめてください(´∀`)


春らしく♪
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