わらうりブー

自由で無限の「本来の自分」を思い起こすこと それを伝えるブログです。

序章

んで、「本来の自分」って?

「本来の自分」は、この体でも心でもありません。

日ごろ「私」だと思っている、どれでもありません。

「本来の自分」を言葉で表現することはできません。形も色もないので、「これだよ」と見せることもできません。もちろん、ニオイも味も感触もありません。

だから、「本来の自分」はこれだ、こういうものだと、ちゃんと文章に書けた人は、長い人類の歴史の中で誰もいません。

なので、今までの「知る」という方法が、まったく役に立ちません。どんなにたくさんの本を読んでも、どんなにたくさんのことを経験しても、まったく役に立ちません。

完全に忘れている「本来の自分」が、

自らを思い出すのを待つしかない

わけです(´・ω・`)
これは、ほとんどの人にとって、今までやったことのない新しい挑戦になります。


ただ、私たちは「本来の自分でないもの」を自分だと思い込みすぎて、それを勝手に「私」だと決めつけて、そうやって長年生きてきてしまっているので、なかなかスルッと思い出せないわけです。
そういった、たくさんの思い込みから、少しずつ抜け出して行く必要があります。このブログは、それのお手伝いをしようとするブログです。
(・∀・)っ


「本来の自分」、それは無限で、ものすごいエネルギーです。あなたのあらゆる能力や可能性、創造力のミナモトです。

「本来の自分」、それは「絶対の幸福」です。

「本来の自分」、それは完全な自由です。

これを知るために、私たちはこの世界に生まれてきたのです。

そして、これを生きるために、私たちはこの世界にいるのです。
(*゚∀゚)っ

それ以外は、なーんにもいらないのですよ。
(´∀`)ノ

そして、「本来の自分」を思い起こす以外に、人は「幸福」になることはありません。



ではでは、序章はこの辺にして、本論に入って行きましょうか。
とはいっても、体系的な学問ではない、ただ思い出すだけのことなので、お寿司屋さんがテキトーにネタを握って出すみたいな形式でしか書けません。細かいことは気にせずそれをパクっと味わってください。お寿司も、どこそこ産の魚とか今が旬だとかいうノーガキよりも、もうただ美味しかったら、それでいいわけですから。

あ、それから旧ブログからお越しのみな様、
「誰ワカさん」と「本当の自分」は、もうひとつに統合しちゃって「本来の自分」になっております。
その方が自然でわかりやすいので。

ではでは(´∀`)ノ

れっさーぱんだ
IMG_6223
@姫路市立動物園

「幸福」ってなんやねん?

ところで、「幸福」ってなんでしょう?
(・ω・)?

古今東西、すべての人は「幸福」を求めて生きています。「幸福」になることが、生きる目的で、生まれてきた意味ですよ。わざわざ不幸になるために生まれてきたという人はいません。

ただ、私たちが思い描く「幸福」と、本来の自分が「幸福」であることの「幸福」は、その質が違います。


私たちが頭の中や心の中で思い描く「幸福」といえば、

経済的な豊かさや、
心配のない安定した暮らしや、
健康でいることや、
愛する人といることや、
穏やかな心や、
好きなことして生きていくことや……

こういったことが「幸福」ですよね。
ただ、こういった頭や心で思い描く「幸福」は、手に入れても必ずいつか、

壊れてなくなります(゚Д゚)

この世のものはすべて、いつまでも続きません。ブッダ(お釈迦さま)はこれを、

「諸行無常」

と、言いました。どんな「幸福」も、いつか必ず崩れて消える日がやってくるのです。
ですので、「幸福」を手に入れたら、こんどは常に失う不安がつきまといます。失う不安は「苦」です。本当に失ったら、それもまた「苦」です。本当に、

「一切皆苦」

ですな。(´・ω・`)

逆に言うと、私たちはいつか必ず崩れて消える「幸福」しか、頭や心に思い描くことしかできません。なぜなら、頭も心も、

本来の自分ではないからです


一方、本来の自分の「幸福」は、もうあり得ないくらい「幸福」で、「幸福」以外はなにもありません。
この「幸福」は、そもそも理由がありません。ただ「幸福」です。だから、何が起こっても「幸福」で、崩れて消えることがありません。ガッチリと変わることなく永遠に「幸福」です。

「絶対の幸福」

です。

「絶対の幸福」は、頭にも心にも思い描くことができません。そんなチンケな枠組みをはるかに超越しています。
(((( ;゚д゚)))

この「絶対の幸福」を、イエスは「天国」と言いました。
この「絶対の幸福」を知った者を、「ブッダ」と言います。

そして、驚くことに「絶対の幸福」は、常にずっとあなたの人生といっしょにあって、今までずっとなかったことがありません。というか、「絶対の幸福」の中に、あなたの人生があるのですから、なくなるわけがありません。

私たちは、この「絶対の幸福」を知るために、この世に生まれてきたのです。
なぜなら、本来の自分から、わざわざ「私」というわけのわからないものに分離したのは、そもそも、

「絶対の幸福」しかないので「絶対の幸福」がわからない。
「絶対の幸福」ではない体験してみないと、「絶対の幸福」がわからない。

からなんですから。


このブログで「幸福」と単に表現しているものは、この「絶対の幸福」のことです。というか、私たちの頭や心で思い描いている「幸福」って、単なる「気持ちいい」とか「快適」というだけのもので、ホントに「幸福」なのかどうかもよくわかんないものしかないんですよ。

あ、でも、「絶対の幸福」を頭や心に思い描いてもムダです。想像を超越してますから。人生も超越してますので。
(´∀`)

そんなことより、早く「本来の自分」を思い出す方法を言えって?
すまん、すまん(´∀`)ノ

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櫻山八幡宮@岐阜県高山市

神様仏様にすがってもダメだよ

私たちは自分のことを、この体や心を持った「私」だと思い込んでいます。
ものすごく強く思い込んでしまっているので、実は自分がこの体や心でないなんて、とても信じられません。

「自分って、体でも心でもないよ」
「自分って、私じゃないんだ」

と、誰かに話しても、きっと馬鹿にされるか、気味悪がられるだけでしょう。 それくらい、全人類のほとんどが、自分は「私」だと深く強く思い込んでしまっていて、本来の自分を忘れてしまっています。誰も「私」の実態はよくわかんないのに。
(´・ω・`)

本当は、本来の自分があまりにも「幸福」で、もう「幸福」しかないので「幸福」がわからない。
だから、真逆の体験をしてみようと思っただけなのです。そうでもしないと、この「幸福」がいったい何なのかもわからないからです。それだけのことだったのです。

そこで、「私」というよくわからないものになって、本来の自分から「分離」した。

そして、「私」にあまりにも没頭しすぎて、なんと、自分がなんだったかを忘れてしまったのです。

それどころか、もう完全に自分は「私」だと思い込んで、実は「私」じゃないなんて、思いたくもないくらいの状態になってしまいましたとさ。
(・ω・)

この分離した「私」のことを、スピリチュアルでは「エゴ」とか「自我」と言います。それに対して、本来の自分を「真我」と言ったりします。
「真我」は他にもいろいろな呼び方がありまして、

「大いなるもの」
「純粋意識」
「サムシンググレート」

などなど。人によって勝手に名前をつけて呼んでます。どれも同じです。本来の自分です。

イエスは

「神」

と、呼んでいます。神様って、なんと自分のことなんです。
「おー、オレは神様だったのか!」
びっくりです。でも、あなたの体も心も神様ではありませんので、あしからず。ニンゲンであることには変わりません。もちろん「私」も神様ではありません。

でも、これで、いくら神様を信じてお願いしても、なかなか願いを叶えてくれない理由がわかりますよね。本当の神様、つまりは本来の自分を忘れて、神様とは違う何かにお願いしてるわけですから。
(´∀`)

浄土真宗の親鸞は、

「阿弥陀仏」

と、呼んでますよ。弘法大師・空海は、

「大日如来」

いろんな呼び方がありますね。でも、ぜーんぶ「本来の自分」のことです。おんなじ。
(・ω・)
日本の神道では、

「アマテラス」

でしょうね。


ほとんどの宗教の祖になった人は、本来の自分が何かわかったから、それを語ったわけです。イスラム教やヒンズー教のことはよく知りませんが、その開祖はそうだったはず。
イエスもブッダも、「本来の自分はコレだよー」と、みんなに教えただけで、べつに宗教団体を作ろうと思ってたわけではないです。

だけど、なんかわかんないうちに組織になっちゃって、宗教や宗派になっちゃって、その教えもなんか違うものになっちゃったのかな。いつのまにか、「本来の自分」じゃない何かを「信仰」するようになっちゃった。
(´・ω・`)


本来の自分でない何かにいくら祈っても、いくらお願いしても、いくら信仰しても、

「幸福」にはなりません

それ、神様でも仏様でもないもん。本当の神様仏様は、本来の自分です。自分なんです。
 

というのも、本来の自分って、形も色も匂いもなくて、「コレです」と見せたり、言葉で言い表すことができないんです。 だから、こんな誤解というか混乱した状態になっちゃってるんだなと思います。

本来の自分を思い出すことの他に、「幸福」になる方法はありません。
どんなにお金持ちになっても、誰かに愛されても、 たくさんの賞賛や高い地位を得ても、

べつに「幸福」にはなりません

それから、今の苦しみや悩みを解消しても、

べつに「幸福」にはなりません

どんなに真面目に信仰しても、

べつに「幸福」になりません

そして神様仏様にいくら祈っても

べつに「幸福」にはなりません

本来の自分を思い起こして、本来の自分を生きる以外には、決して「幸福」にはなれないのです。

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上色見熊野座神社@熊本県高森町


「私」ってなんやねん?

では、その

「本来の自分」(・∀・)

とやらは、どうやったら思い出せるのでしょう?

その前に、これを読んでいるあなたは、自分のことを

「私」(´・ω・`)

だと思っていますよね。わーたーし。
おれ、わし、おいら、あたい、アテクシ…… まあ、ぜーんぶ「私」です。

そして、「私」というのは、この頭のてっぺんからツマ先までの「からだ」だと思っていますよね。そして、その体の中にある「こころ」だとも思ってますよね。
ものすごく当たり前ですが、そうですよね?

そして、そんな「私」には、男とか女とか性別があり、名前があり、年齢があり、職業とか身分があって、
さらに「私」には、いつどこそこで生まれて、あの学校に行って、ここに就職して、それから結婚して…… という歴史があって、
それから、金持ちだとか貧乏だとか、健康だとか病気だとか、今の状態があって、
おまけに、短気だとか、すぐ落ち込むとか、マイペースだとか、それぞれの性格もあります。

では……

あなたの「私そのもの」は、いったいどういったものですか?
(・ω・)?

名前とか職業とか、歴史とか今の状態とか、そして性格とかは、ぜーんぶ「私」にくっついているものですよね。いわば「私」の説明です。そんなくっついているものでなく、「私」の本体。

頭のてっぺんからツマ先までの「からだ」ですか?
いえいえ、
「私の体」
って、みんな普通に言いますよね。「体」が「私」なら、「私の体」とは言いません。ということは、「体」を動かしたりして、支配しているのが「私」かな?
脳でしょうか? いえいえ、脳も「体」の一部です。
じゃあ、脳の中で起こる「思考」ですかね?
あれ? 「思考」も「私の思考」とか、フツーに言いますよ……?
うん???
「私の心」
「私の人格」
「私のアイデンティティ」……(・ω・)?
おおお、「からだ」だけでなく、思考とか心とか人格とかアイデンティティとかも支配しているのが「私」ですかね? あり?
「私の意識」
「私の人生」
「私の命」
おおおおお……???

おいこら「私」ってなんやねん!?
(ノ`Д´)ノ

そうなっちゃうよね。「私」はコレという確かなものがどこにもないですよね。もし、「私」はコレだという人がいたら、コレだって見せてください。
(´∀`)

こんなふうに、「私」っていったい何なのか、あるのかないのかもよくわかんないものなのです。
よくわかんないのに、確かに「私」は存在していると、誰もが疑いませんよね。だって実際「私」はいるし。
しかし、みーんな、この体と心がなーんとなく「私」かなという程度にしか思ってませんよ。これが、実は

あらゆる「苦」の原因なのです
(・ω・)?


本当の実態はよくわからない「私」ってヤツを、間違いなく存在していると疑わないで、これこそが「自分」だと思い込んで生きてしまっている。これが「苦」の原因です。
つまり、自分は「私」だと思っているかぎり「苦」です。「一切皆苦」です。


なーんとなくこの体と心が「私」で「自分」かなという思い込みを、主なスピリチュアルでは、

「分離」

と、呼びます。
イエス・キリストは、

「罪(つみ)」

と、言いました。「罪」というと、なんか犯罪ように思いますが「的外れ」という意味です。
そして、ブッダは、

「無明(むみょう)」

と、言いました。「無知」とも言いました。

本当は、この体も心も「本来の自分」ではありません。「本来の自分」の一部ではありますが、体や心がそのまま「本来の自分」ではないのです。

そして、もちろん、「私」も「本来の自分」ではありません。『真理』を説いた偉大なふたり、イエスとブッダも、「私」を「自分」だと思うことは、的外れで無明無知だって言ってるのです。

では、「本来の自分」って、いったい何なのでしょう?
(´・ω・`)?

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奥入瀬渓流@青森県十和田市

生きるのってしんどいよね

「思い通りの人生なんて望んでない」

とか言われても、にわかに納得できないですよね。しかも、自分自身が望んでないなんて。
(´・ω・`)

仮にそうだとしても、「ちと、やりすきじゃね……?」と、言いたくなるくらい、人生はあまりにもうまく行かなさすぎだよ、まったく。

なんにも悪いことをしていないのに、身体や心の病気になったり、人間関係のイザコザに巻き込まれたり、お金や大切な誰かを失ったり……

思い描いていた理想は、欲のない些細なことでも、なかなか実現しない。だけど、あまり実現してほしくない難しい問題や厄介ごとは、これでもかと次から次へと目の前に現れる。
楽しいことや、穏やかに過ごせる「幸福」な時間もあるけれど、それは束の間。すぐにちっとも楽しくない、悩み、怒り、憎しみ、嫉妬、罪悪感、被害者意識、無力感…… という、様々な苦しみや悩みが現れて飲み込まれてしまう。

嗚呼、生きるのって、本当にしんどいです。あなただけではありません。みーんなそうです。
(´-ω-`)

そういった数限りない苦しみや悩みを、その昔ブッダ(お釈迦さま)は「苦」と言いました。
そして、

「一切皆苦(いっさいかいく)」

と、言いました。もう生きてると、ぜーんぶが「苦」だと。
なんかヒドイよ。それじゃあ、人生って、死ぬまで「苦」と闘い続けないといけないの?
闘い続けることができる、ポジティブな強い人もいるけど、私はそんなに人になれないよ……
(´・ω・`)

なんでこんなに、生きるのってしんどいのでしょう?

それはね、

本来の自分を忘れてしまっているからです

完全に忘れてしまっています。
(・ω・)?

本来の自分を忘れているかぎり、「苦」がなくなることはないんです。それが、この世の仕組みです。
本来の自分に戻らないかぎり、何をやっても闘いになります。そうなっているんです。

じゃあ、どうやったら思い出せるの?

本来の自分って、いったい何者なの?

それを伝えて、みんなが「幸福」でいたらいいなと思って始めたのが、このブログです。
(´∀`)ノ

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@熊本県阿蘇町



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プロフィール

笑うウリエル

「わっかっちゃった人」俗に「覚醒した人」というらしい。
この世が面白くて楽しくて仕方なく、それをみんなに言いふらしたいだけのバカ。旅人でもあり、言いふらしにどこへでも行くもっとバカ。
ちなみに職業は、たこ焼屋さん

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