わらうりブー

自由で無限の「本来の自分」を思い起こすこと それを伝えるブログです。

第一章

「私」に何もさせないでね

「本来の自分」は、「私」には想像もできないものです。

「絶対の幸福」もまた、「私」には想像できません。

それを知る方法は、とてもシンプルです。

「私」に何もさせない

ただ、これだけなんです。よく「あるがままにしておく」と言ったりしますが、つまりは、そういうことです。
ただ、これだけなんです(・∀・)

「心」にはいろんなものが思い浮かんできます。それにつられて、いろんな感情も湧き起こってきます。それをただ観察するだけでいいんですよ。その観察している観察者は、

まっさらで、

何も知らなくて、

からっぽで、

鮮やかな、「純粋意識」なのです。

どんなに醜い邪念が次から次に湧いて来ても、放っておけばよいのです。どんなに体がザワザワ、ワナワナして落ち着かなくても、とりあえずは放っておけばよいのです。

「心」の中に現れる様々なもの、「体」に起こる様々な反応、ぜーんぶ放っておいてください。
(´∀`)

「私」は「本来の自分」に気づくことはできません。

「本来の自分」が自分自身に気づくわけです。「私じゃねえ!」って。

おもしろいですよね(´∀`)

だから、「私」がいくらがんばっても、「本来の自分」に気づくことはできません。

私たちって、何かを得るにはがんばったり何かしないといけないと、そういう幻想に取りつかれていますから、このことがなかなか理解できないんですよ。
「本来の自分」は得るものでも、行きつく場所でもないので、そういう努力じみた行為は、これっぽっちも意味が無いんです。
「本来の自分」は当たり前にずっとここにあるので、得るものや行く場所ではないからです。

「心」がずっと、わけのわからん何かを思い続けていてもいいんです。

「体」が何かしていても、何もせず寝転がっていてもいいんです。

それを静かにさせようだとか、きちんとさせようとかしないでください。「心」と「体」の好きにさせて、それをただ見てください。


「本来の自分」に気づくって、ハッキリ言って、

アクシデント

のようなもんです。だから何か起きるだろうと期待して見ているうちは何も起きませんよ(笑)
まあ、石につまずくようなもんですので。
(´∀`)

だから、何もせずただ歩くように、「心」と「体」を流してしけばいいんです。

そのうち、ドテッ!と、つまずいてこけますから。

女子中学校みたいなお地蔵さんだな(・ω・`)
IMG_6474
@岐阜県郡上市



自分ってユカイなヤツなんですよ

「本来の自分」に戻るには(・∀・)ノ

「見ているヤツ」でいること、または「静けさ」、「空」にとどまること、これを最初は3秒でいいのでやってみる。だんだんコツのようなものがつかめて、何分もできるようになってきます。

無理なくできる範囲からしてください。無理してやっても意味がありません。
それから、そんなことをしても、まあ何も起こりません。「だから何?」って気持ちになります。期待しているようなことは起こりません。でも、まあ、だまされたと思ってしてみてください。
(´∀`)

それと、感情を感じること。いま湧き上がってくる感情を、何も「操作」せず感じること。
とくに今まで瞬間的にフタをしたり、ねじ曲げていた、いわゆる「操作」をしていたネガティブな感情を正直になって感じてください。解放するんです。

最初は、この「正直に」ってのが、なかなか難しい。でも、これもやっていると少しずつわかってきます。だんだん隠れていた微細な感情のエネルギーも、見つけて引き出して解放できるようになってきます。

このふたつを一日何回か、できるときに、思い出したときにやってください。細かな部分は人それぞれですので、その感触を自分自身で見つけて行くしかありません。私ウリエルはその「ヒント」しか言うことができません。他のスピリチュアルテーチャーも、「ヒント」しか教えてくれません。誰にも依存しないで、自分自身でコツをつかんで、自分自身のやり方でやっていってくださいね。他者の言うことは、あくまでも「参考」にしかなりません。
(・∀・)

変化は知らないうちに起こります。派手な神秘体験も起こる人は起こりますが、そういう人は稀ですし、そういうことを体験してしまうと、逆にそれに依存してしまうので、ない方がいい。
(´・ω・`)
自分も気づかないところで、静かに「本来の自分」に戻って行く。そして、最大のブレイクスルーが、あるとき不意に起こる。
そんな感じになるのが、いちばんいいと思います。最大のブレイクスルーは、まったく予想できないものです。そして、何も期待していないときに起こります。


「本来の自分」に戻って、「絶対の幸福」を知っても、願いがかなったり、今まで幸せだと考えていたものを引き寄せるようなことはありません。困ったことがなくなるわけでもありません。お金持ちにも優秀な人物にもなりません。でも、

根本的にすべてが変わります(・∀・)

よく「目覚め」があっても、何も変わらないよと言う人もいますが、私ウリエルはそんなことはないとハッキリと言います。

将来の不安ってのは、なくなりますね。

嫌いな人ってのも、好きになっちゃいますね。

困ったことも、なんか面白く感じちゃいますね。

病気や死ぬことすら怖くなくなっちゃいますね。

なんかよくわかんないけど、なんとなくすべてうまく行っちゃってますね。

自分でもビックリすることしちゃいますね。

生きるのが楽しくなっちゃいますね

(´∀`)

今まで知らなかった自分がどんどん現われて、それが勝手に生きていくような感じ。
「へー、オレってこんなこともしちゃうんだー」
みたいな。驚きの連続です。これを無限の可能性って言うんだろうなと。
(´∀`)

でも、世の中のほとんどの人が、それを恐れているんですよね。
コントロール不能の自分になったら、たいへんなことになる。
(´・ω・`)

将来に備えていたお金を使っちゃうかもしれない。
人に迷惑をかけることをしちゃうかもしれない。
好きなものや大切なものを捨ててしまうかもしれない。
好きな人や大切な人が離れて行くかもしれない。
何より自分が「なりたい」とか「あるべき」と思っていた人物像から、かけ離れた人間になってしまうかもしれない。

予測不能の自分になることは「恐怖」なんです。だから「私」という人格を作って、その檻に閉じ込めている。それは結局、あらゆる可能性の排除でしかありません。
でも、まあ、そうやって、あらゆる可能性を排除していけば、「なりたい」理想の人物像には、それなりに近づけます。それがスピリチュアルだと思っている人がほとんどかもしれません。

でもね、本来の自分、本当のあなたはね、想像をはるかに超えた

ユカイなヤツ(゚∀゚)!

なんです。ちょっとアホすぎるくらい。
(´∀`)

世の中が自分をどう見るかなんてどうでもいい。自分がどうなってもどうでもいい。
「なりたい」理想の自分なんて、ホントにどうでもいい。ホントはそんなもんになんて、ちっともなりたくなかったんだ。

それを知り、体現したい人だけ、上に書いたふたつの方法を実践してください。どんな人間になるかわからないけど、それを受容できる人だけね。

それは困る、怖いという人は、今までのように「私」の檻の中に。

それもまた自由ですので。


原爆ドームとチューリップ
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@広島県広島市

「幸福」は引き寄せれられません

「絶対の幸福」は、引き寄せたり、努力で獲得することはできません。

「絶対の幸福」は常にいまここにあって、「本来の自分」そのもので、「本来の自分」から常に溢れ出しています。私たちは、本来の自分に気づいて戻るだけでよいのです。

すでにあったことに気づけばよいだけなのですが、それに気づくために、いろんな教えがあるというのも、なかなかバカな話です。そう、私たちはものすごーく、バカなことやってます。
(´∀`)


さて、「絶対の幸福」は常にいまここにあるので、引き寄よせようとしたり、獲得したりしようとしている「幸福」は、真の「幸福」ではありません。それらはゲットしても、まあ、一瞬は幸福感を感じることができますが、やがて必ず消えてなくなります。ブッダはこれを

「諸行無常」

と、言いました。
つまりは、どんなに「幸福」を得ようとしても、結局はムダってことです。
(´・ω・`)



簡単に仕組みを説明すると、分離した「本来の自分」でないものから発せられたエネルギーは、

すべて「苦悩」になります(´・ω・`)

すべてです。そのことを知っておいてください。「気づきに知識は必要ない」と言いますが、そんなこともありません。ブッダが
「諸行無常で一切皆苦でっせ」
と、みんなに言ったのには意味があります。みんなも知っておいたほうがいいから、そうみんなに伝えたのです。

それにしても、私たちは実は「苦悩」を引き寄せたり、努力して獲得しようとしていたんですね。やっぱりバカですね。
(´∀`)

さてさて、その引き寄せてしまった「苦悩」を、これまた遠ざけようと、新たな違う「幸福」にターゲットを変え、それをゲットしようと、あんなことこんなと、いろいろがんばっているわけです。

でも、それは、エネルギーの向かう方向を、ある点からある点に変えただけ。そもそものエネルギーの出発点が間違っているので、もう、ものすごい悪循環に落っこちてます。
そんな悪循環の中で莫大なエネルギーの無駄遣いをしているのが、私たち人間なのです。


「ああ、幸せになろうと思って、いろいろやってるけど、これも結局は『苦悩』にしかならないんだなぁ……」
(´ω`)

そう知っておくことは、とても大切なことです。それを知っておかないと、何の変化も起きません。

何をやっても「幸福」にはなれない。何をやってもムダってわかっておかないと、

「絶対の幸福」

に、気づけないんですよ。

あ、今朝は時間がないので、ここまでね。
(・∀・)つ


おりいぶ丸の船内
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@姫路ー福田航路




「ひとりじゃない」の意味

自分と他人が別々だ、体の内側と外側は別々だ。

この世界の中の、自分はひとりの人間だ。

そういう思い込みをしている状態を、イエスは「罪」と言いました。仏教では「無明」、「無知」と言います。
(・∀・)

これって、生まれて今日まで生きてきた、そもそもの大前提が根底から覆されちゃいますね。でも、イエスもブッダもそう言ったのです。

そもそもの大前提がひっくり返ってしまうと、あらゆるものがひっくり返ります。その最たるものが、

「ひとりじゃない」

だと思います(´・ω・`)


よく言いますよね。「私たちはひとりじゃない」 みんなバラバラで生きているようで、本当はそうではない。孤独だと思っていても、誰かが見ていてくれているし、誰かが傍にいるんだよ。
また、どんなに孤独でも、神様はいつもあなたを見ていますよ。
そんな意味に使われる言葉。
孤独と言うのものは、誰にとっても冷たく寂しいものです。そんな孤独を克服するための言葉、

「ひとりじゃない」(´・ω・`)

古来から現代も、読み物や詩、または歌の中にたくさん出てきます。
「ひとりじゃない」
私たちはそれほどにまで、孤独を恐れ、孤独に苛まれているのです。


あ、でも、ブッダは情け容赦なく、こう言ってます。

「独生独死独去独来」( ・Д・)

「どくしょうどくしどっこどくらい」と読みます。「ひとりうまれ、ひとりしす。ひとりきたりて、ひとりさる」とも読みます。どういう意味かと言うと、読んだそのままです。

生まれてから死ぬまで、人はとことんひとりぼっち

家族だろうが、恋人だろうが、大親友であろうが、分かり合える人などいない

という意味です。ハイ(´・ω・`)
ああ、ブッダはなんて残念なことを言うのでしょう。でも、これが『真理』なのも疑いようがないのかもしれません。
(´-ω-`)


私たちが分離していると、「罪」または「無明」・「無知」でいると、つまり、自分と他人が別々の存在だと思い込んでいると、「独生独死独去独来」は、とてもキツイ言葉です。
でも、「本来の自分」に気づいていると、まったく違う意味になるんですよ。
(・∀・)


「本来の自分」は「意識」です。「純粋意識」(・∀・)
この今ある「意識」の中に、この世のあらゆるものが展開しています。真に存在しているものは、この「意識」だけ。自分の「意識」の外にあるものなどいっさいない。このことがわかりますか?

この「意識」の中に、他人もいますし、山や空や月や太陽もあります。過去の歴史も「意識」の中。
自分の体さえ「意識」の中です。考えることも「意識」の中です。感情も記憶も「意識」の中。そういった「心」すべて「意識」の中にありますね。

そして、「意識」そのものは、まっさらで何もありません。「空」です。そんな「意識」の中にすべてがただ現れているにすぎないのです。だから、

私も他人もいません

ただ、ひとつの「意識」だけです。他人などいないので、他人の「意識」などありません。ただ、ひとつ、この自分の「意識」以外は、何も

ないのです(・∀・)

このことが、わかりますか?
これをブッダは「独生独死独去独来」と言ったのです。


そして、この「意識」はただひとつなのです。他人の「意識」とか、違う別の「意識」とかは、ないのです。「本来の自分」以外は誰もいないのです。なので、最初からもう「2」がないのです。「1」だけ。だから「1」もない。
「ふたつ」とか「みっつ」がないので「ひとつ」もない。
(・ω・)

この「ひとつ」でもない「ひとつ」を、

不二一元

とか、

非二元

という言葉で表現します。「2」がないという意味です。「2」があって、初めて「1」だと言えるわけです。でも「2」がなければ、もう「1」もありません。ただ「これ」なのです。「ひとつ」とも言えない「これ」しかないのです。

ということで、「本来の自分」は、

「ひとりじゃない」

のです。


この不二一元の「本来の自分」を知ると、そこで初めて、人は本当の『愛』を知ることになります。
愛する人も愛される人もいない『愛』 一人も二人もないので、愛するも愛されるも最初からありません。

それは、いったいどんなものなのでしょう?

それは自分で確かめるしかありません。

この「意識」にエネルギーを戻してください。そうしていれば、わかろうとしなくても、それはやがて、勝手に顕われます。
(´∀`)
ただ、この「意識」、それは「静けさ」であり「見ているヤツ」であり「空」です。そこにとどまって待っているだけでよいのですよ。

真の「ひとりじゃない」として生きるとき、「独生独死独去独来」が、『愛』に満ち溢れる言葉だったとわかるのです。



紀淡海峡と友が島
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@和歌山県和歌山市

人生は無意味

私たちはしょっちゅう「意識」を「心」だと錯覚してカンチガイしております。
(´・ω・`)

でも、実は心も「意識」の中にある。このことに気づいてください。心も観察の対象になりますので、心も本来の自分ではないのです。

では、この「意識」って、何なんでしょう?

あ、答えを言うと、これこそが

「本来の自分」

なのです。これ以外は何も現存しておりません。「純粋意識」とも表現されたりします。「意識」は「意識」以外なにもありません。形も色もなく、まっさらです。まさに「空」です。これが「気づき」です。
(・∀・)

私たちは、この「意識」の外に出ることができません。体も心もこの「意識」の中にあります。記憶も知識も「意識」の中です。感情も「意識」の中。それから、他人もこの「意識」の中にしかいません。この世界のあらゆるものが「意識」の中にしかありませんよね。
ということは、「意識」、つまり「本来の自分」以外は何も、そして誰も存在していないのです。この体ですら存在していません。確かにあるのは、この「意識」、純粋な「空」だけです。というわけで、

私も他人もいない。

この世界もない。

おわり(´・ω・`)

……(´-ω-`)

なんとアッケない。そして、なんとつまらない。「そんなのイヤだ!」という抵抗する気持ちが、グググーッと体の中から湧いてきますよね。それのどこが神だと。何が阿弥陀仏で大日如来だと。
でも、スピリチュアルの師がよく言う「私はいない」とか、「自分しかいない」って、そういうことですよね。ハイ。


でも、これ、アッケなくつまらないですまないことが多い。
家族も愛する人も、本当は「いない」ってことですから、それをものすごい孤独としてとらえる人もいます。だから、もう反射的にそれを知ることを避けちゃう。
おまけに人生で今までやってきたことも、今やっていることも、すべてが、

本当は「無意味」(´・ω・`)

だということでもあります。

この世界に生まれてきた意味、あなたのこの世界での役割、

いっさいありません(´・ω・`)

……(´-ω-`)

ということですので。

これをブッダは「諸法無我」と言いましたとさ。


でも、それでいいんですよ。というか、そこがスタートラインなのです。エネルギーの無駄遣いが終わり、本来の流れになるには、そこの原点に立たないことにはどうしようもない。

でも、なかなか、その原点には立ち続けることはできません。立てても最初は3秒くらい(笑)
一瞬で夢見の状態に引き戻されてしまいます。
(´∀`)ノ

というか、そこに立つのがもう恐怖で、二度とそこに立ちたくない気持ちになる人が実は大半です。んで、ほとんど人が結局、防御と攻撃という闘い、そして選択を続けるという夢見の中に、自ら戻ってしまいます。だって、

愛しているものも「ない」
愛している人も「いない」
楽しいことや面白いことも「ない」
とどのつまりは自分自身も「いない」
だから夢も希望も「ない」、幸せも「ない」

なんて、それをすんなり受け入れることが、フツーはできないんですね。
このスタートラインは、「私」から見ると

究極の「欠如感」

以外のなにものでもない(´・ω・`)


でもね、この「ないないづくし」に、まずなってみないと、

本来の自分が、どのくらい神で阿弥陀仏で大日如来なのかわかんないのです。

おまけに、すぐにはわかりません。少ーしずつしかわかんない。だから、またすぐに夢見に戻っちゃうんですよね。
(´∀`)


何のために生まれてきたのか?
この人生で何をしたらいいのか?

そんなふうに、人は常に人生の意味や、自分の存在価値を求め続けています。その前に、

人生は無意味

この世界も無意味

という場所に、まず立ってみてください。あらゆるものが無意味です。全宇宙がただ意味なく「意識」の中にあるのです。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

って、なりません?(´∀`*)

IMG_8550
場所不明。どこで撮ったんだろ?(´∀`)

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プロフィール

笑うウリエル

「わっかっちゃった人」俗に「覚醒した人」というらしい。
この世が面白くて楽しくて仕方なく、それをみんなに言いふらしたいだけのバカ。旅人でもあり、言いふらしにどこへでも行くもっとバカ。
ちなみに職業は、たこ焼屋さん

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