阪神タイガースの監督さんが、「優勝」という言葉を使うと意識してしまうので、その言葉を禁じて、
『アレ』(・∀・)
と、表現しました。結果は大成功で、阪神タイガースは日本一になりましたね。そして、
『アレ』(・∀・)
は、今年の流行語大賞にもなってしまいました。
この、いっけん、スピリチュアルとは何の関係もないような出来事、実はスピリチュアルと関係大アリということに気づいている人は少ないかもしれません。
(´∀`)
私たちの思考というものは、まあ言っちまえば、ただの
「言語機能」
なんです。
この言語機能は、脳の中のごく一部、小さいピーナッツくらいの細胞の集まりがつかさどっているそうです。
この言語機能があるからこそ、いろいろなものを想像し、そして創造もできるのです。ニンゲンにとってなくてはならないし、これがあるからニンゲンとも言えます。
でも、逆に言うと、このピーナッツが、
よくしゃべる(^∀^)
ひとつの言葉から、次から次へといろんなものを連想して、数珠つなぎによくしゃべる。しゃべってしゃべってしゃべりたおしておりますよね。
(`-ω-´)
そして、しゃべくりまくって「物語」を作っていきます。
「優勝」という言葉って重いイメージがあります。そして、その言葉ひとつから、いろんな余計なイメージがつながって勝手に湧いて出てきます。そして「物語」ができる。
この余計なイメージ、「物語」を阪神の監督さんは選手のパフォーマンス阻害するもの、チームの雰囲気を固くするものと思ったんでしょうね。今まさに野球をしている、この打席、この一球に集中することをできなくさせたり、体の動きを固くするものと感じたんではないでしょうか。そこで、
『アレ』(・∀・)
に、してみたのでしょう。
もちろん『アレ』は「優勝」のことだと、選手もファンもみなわかっている。けれど、「優勝」という言葉よりぼんやりとしていて、意外とイメージがつながらないんですよね。
『アレ』ですよ『アレ』!(・∀・)
『アレ』ってもちろん『アレ』のことですよ!(・∀・)
くらいで、言語機能、ピーナッツのおしゃべりが止まってしまいます。
いらないおしゃべりが止まったとき、『いま』にいるんですよね。「物語」から離れて、自律した自然な流れに任せているということです。このとき、人はその『いま』に最も必要なことをしています。
(´∀`)
あなたが「私」だという「物語」をしゃべり続けているのは、ただの脳の一部分のピーナッツくらいの細胞の集まりなんです。過去の記憶に連続性を持たせて、つながっているように見せかけているのも、そのピーナッツ。
そのピーナッツの無駄話を無視すればいいだけです。
みなさん、そのピーナッツに人生を支配させてるんですよ。でも、実際はただの小さな細胞の集まりにすぎないので、人生の支配なんてできないし、最初からしてないんですけどね。まあ、
人生のジャマしてるだけです
そのおしゃべりに耳を貸さなきゃいいだけです。そもそも、そのおしゃべりと人生に、なんの関係もございませんので。
思考が語るどんな「物語」とも、
人生は関わっていません
この際、もうぜんぶ『アレ』で生活してみるのもいいんじゃないかな。ピーナッツに『アレ』以外しゃべらせない勢いで。
それでもちゃんと生きて行けるようになってますよ。むしろ、余計なものが邪魔しないのでスムーズに行くかもしれません。
「今日はアレしてから、アレしましょう。でも、アレするにはアレがいるから、アレを買っておかないと......」
てな、感じにね(^∀^)
ということで、「大いなる存在」とか「神」とか「本来の自分」とか言うから、ピーナッツが調子こいていらんことしゃべり出すんだな。
自分というのは、
『コレ』(・∀・)
なんです。
この『いま』の『コレ』(・∀・)
です。ピーナッツが「どれ?」と戸惑いますか? 放っておいてください。
『コレ』(・∀・)
です(^∀^)
もう一回、はっとこ(・∀・)
『アレ』(・∀・)
と、表現しました。結果は大成功で、阪神タイガースは日本一になりましたね。そして、
『アレ』(・∀・)
は、今年の流行語大賞にもなってしまいました。
この、いっけん、スピリチュアルとは何の関係もないような出来事、実はスピリチュアルと関係大アリということに気づいている人は少ないかもしれません。
(´∀`)
私たちの思考というものは、まあ言っちまえば、ただの
「言語機能」
なんです。
この言語機能は、脳の中のごく一部、小さいピーナッツくらいの細胞の集まりがつかさどっているそうです。
この言語機能があるからこそ、いろいろなものを想像し、そして創造もできるのです。ニンゲンにとってなくてはならないし、これがあるからニンゲンとも言えます。
でも、逆に言うと、このピーナッツが、
よくしゃべる(^∀^)
ひとつの言葉から、次から次へといろんなものを連想して、数珠つなぎによくしゃべる。しゃべってしゃべってしゃべりたおしておりますよね。
(`-ω-´)
そして、しゃべくりまくって「物語」を作っていきます。
「優勝」という言葉って重いイメージがあります。そして、その言葉ひとつから、いろんな余計なイメージがつながって勝手に湧いて出てきます。そして「物語」ができる。
この余計なイメージ、「物語」を阪神の監督さんは選手のパフォーマンス阻害するもの、チームの雰囲気を固くするものと思ったんでしょうね。今まさに野球をしている、この打席、この一球に集中することをできなくさせたり、体の動きを固くするものと感じたんではないでしょうか。そこで、
『アレ』(・∀・)
に、してみたのでしょう。
もちろん『アレ』は「優勝」のことだと、選手もファンもみなわかっている。けれど、「優勝」という言葉よりぼんやりとしていて、意外とイメージがつながらないんですよね。
『アレ』ですよ『アレ』!(・∀・)
『アレ』ってもちろん『アレ』のことですよ!(・∀・)
くらいで、言語機能、ピーナッツのおしゃべりが止まってしまいます。
いらないおしゃべりが止まったとき、『いま』にいるんですよね。「物語」から離れて、自律した自然な流れに任せているということです。このとき、人はその『いま』に最も必要なことをしています。
(´∀`)
あなたが「私」だという「物語」をしゃべり続けているのは、ただの脳の一部分のピーナッツくらいの細胞の集まりなんです。過去の記憶に連続性を持たせて、つながっているように見せかけているのも、そのピーナッツ。
そのピーナッツの無駄話を無視すればいいだけです。
みなさん、そのピーナッツに人生を支配させてるんですよ。でも、実際はただの小さな細胞の集まりにすぎないので、人生の支配なんてできないし、最初からしてないんですけどね。まあ、
人生のジャマしてるだけです
そのおしゃべりに耳を貸さなきゃいいだけです。そもそも、そのおしゃべりと人生に、なんの関係もございませんので。
思考が語るどんな「物語」とも、
人生は関わっていません
この際、もうぜんぶ『アレ』で生活してみるのもいいんじゃないかな。ピーナッツに『アレ』以外しゃべらせない勢いで。
それでもちゃんと生きて行けるようになってますよ。むしろ、余計なものが邪魔しないのでスムーズに行くかもしれません。
「今日はアレしてから、アレしましょう。でも、アレするにはアレがいるから、アレを買っておかないと......」
てな、感じにね(^∀^)
ということで、「大いなる存在」とか「神」とか「本来の自分」とか言うから、ピーナッツが調子こいていらんことしゃべり出すんだな。
自分というのは、
『コレ』(・∀・)
なんです。
この『いま』の『コレ』(・∀・)
です。ピーナッツが「どれ?」と戸惑いますか? 放っておいてください。
『コレ』(・∀・)
です(^∀^)
もう一回、はっとこ(・∀・)