人生という物語は、当たり前なのですが、
先が見えません( ̄ー ̄)
だから、人は常に漠然とした不安にさいなまれています。まさに「苦」です。
(´-ω-`)
そんな「苦」をなんとかしようと、人はいろんなことを考え、そして行動します。ある人はその「苦」を克服するための努力をし、また、ある人はその「苦」からの逃避を試みます。
しかし、残念ながらそのどちらも、それで「苦」がなくなることはありません。いっとき、なくなったような気がすることもありますが、でもまたすぐに、新たな「苦」がやってくるのです。
そんな堂々めぐりをしているのが、
(´-ω-`)
人ってヤツです(´-ω-`)
では、そもそも、どうして人は不安になるのでしょう?
(´・ω・`)?
まあ、動物より若干かしこいからでしょう。未来を予想できるという点において。
未来に何かしらの期待をするから、不安になるのです。期待と不安はワンセットです。期待するから不安になり、不安になるということは、そこに何かを期待しているからです。
「今より幸福でいたい」
「今のままでいたい」
「安心して生きたい」
そんな期待を未来に投影することが、不安を、「苦」を生んでいるのです。
( ・Д・)!
だから、スピリチュアルではこう教えているのです。
『いま』にいなさい( ̄ー ̄)
と。
なるほど! 『いま』にいればよいのか!( ゚∀゚)
すると人は、「『いま』にいる」そのために努力をし出します。「苦」を克服するため、「苦」から逃避するため。ああ、なんと悲しい性でしょう。だから、スピリチュアルではこう教えているのです。
受け入れなさい( ̄ー ̄)
と。
なるほど、「苦」を受け入れればよいのか!( ゚∀゚)
すると今度は、「苦」を受け入れる努力をします。ああ、なんと悲しい性でしょう。だからスピリチュアルではこう教えているのです。
手放しなさい( ̄ー ̄)
と。
なるほど! 期待を手放せばよいのか!( ゚∀゚)
そして今度は、期待を手放す努力します。さらには努力も手放そうと努力したりと、もはや意味の分からないことをし出します。ああ、なんと悲しい性…… いや、もう、ただのアホなんじゃないかなと。そんな、ただのアホみたいなことしているのが、
人ってヤツです(´-ω-`)
動物より若干かしこいはずなのに、こんなアホみたいなことしているのが人だって、大昔に気づいた人がいます。お釈迦様、ブッダです。そして、彼はこのアホみたいなことから抜け出しました。天才です。
では、彼はどうやって抜け出したのでしょう?
ただ見守ること( ̄ー ̄)
に、気づいたのです。天才ですね。
生きていると山のようにたくさんの「苦」があります。彼は、それを克服しよとも逃避しようとせずに、ただ見守りました。
「苦」が受け入れられないときは、受け入れないことを見守りました。
そして期待するから不安がある。ならば期待を落とせばよい。でも、彼はそれもしようとせず、ただその期待を見守りました。手放せば「苦」から解放されるとわかっていても、自分から手放そうとはせず、ただ見守りました。
「見てるだけーーー」(・∀・)
です。
ということで、やってください。ハイ(・∀・)ノ
なーんも起きません。見てるだけなので。
なーんも変わりません。見てるだけなので。
何日も何か月も何年も、見てるだけ。
「これ、なんなん?」(´・ω・`)
って、なりますよ。でも、まあ、それも見てるだけ。根気よく見てるだけ。何もかも見てるだけ。心の中にいろーんなものが去来しますが、それを
「見てるだけーーー」(・∀・)
見てるだけに飽きたら、それも見てるだけ。何かしたくなったら、それも見てるだけ。欲望も恐怖も嫉妬も怒りも、見てるだけーーー。
実際にしたものだけが知ることができる境地があるのです。なるほどなー、すごいなーって。当たり前だけど不思議で、不思議なのに当たり前の境地。
そして、人の世のアホみたいなことから抜け出してしまうのです。
OSHOもこう言いました。
自分を愛し、そして見守りなさい
今日、明日、いつであろうと
あ、いくらしても何も起きませんし、何も変わりませんよ。
だから、抜け出せるんです(´∀`)
何の花かわかんないけど、
きれいに咲いていたので(・∀・)
@大阪府大阪市
先が見えません( ̄ー ̄)
だから、人は常に漠然とした不安にさいなまれています。まさに「苦」です。
(´-ω-`)
そんな「苦」をなんとかしようと、人はいろんなことを考え、そして行動します。ある人はその「苦」を克服するための努力をし、また、ある人はその「苦」からの逃避を試みます。
しかし、残念ながらそのどちらも、それで「苦」がなくなることはありません。いっとき、なくなったような気がすることもありますが、でもまたすぐに、新たな「苦」がやってくるのです。
そんな堂々めぐりをしているのが、
(´-ω-`)
人ってヤツです(´-ω-`)
では、そもそも、どうして人は不安になるのでしょう?
(´・ω・`)?
まあ、動物より若干かしこいからでしょう。未来を予想できるという点において。
未来に何かしらの期待をするから、不安になるのです。期待と不安はワンセットです。期待するから不安になり、不安になるということは、そこに何かを期待しているからです。
「今より幸福でいたい」
「今のままでいたい」
「安心して生きたい」
そんな期待を未来に投影することが、不安を、「苦」を生んでいるのです。
( ・Д・)!
だから、スピリチュアルではこう教えているのです。
『いま』にいなさい( ̄ー ̄)
と。
なるほど! 『いま』にいればよいのか!( ゚∀゚)
すると人は、「『いま』にいる」そのために努力をし出します。「苦」を克服するため、「苦」から逃避するため。ああ、なんと悲しい性でしょう。だから、スピリチュアルではこう教えているのです。
受け入れなさい( ̄ー ̄)
と。
なるほど、「苦」を受け入れればよいのか!( ゚∀゚)
すると今度は、「苦」を受け入れる努力をします。ああ、なんと悲しい性でしょう。だからスピリチュアルではこう教えているのです。
手放しなさい( ̄ー ̄)
と。
なるほど! 期待を手放せばよいのか!( ゚∀゚)
そして今度は、期待を手放す努力します。さらには努力も手放そうと努力したりと、もはや意味の分からないことをし出します。ああ、なんと悲しい性…… いや、もう、ただのアホなんじゃないかなと。そんな、ただのアホみたいなことしているのが、
人ってヤツです(´-ω-`)
動物より若干かしこいはずなのに、こんなアホみたいなことしているのが人だって、大昔に気づいた人がいます。お釈迦様、ブッダです。そして、彼はこのアホみたいなことから抜け出しました。天才です。
では、彼はどうやって抜け出したのでしょう?
ただ見守ること( ̄ー ̄)
に、気づいたのです。天才ですね。
生きていると山のようにたくさんの「苦」があります。彼は、それを克服しよとも逃避しようとせずに、ただ見守りました。
「苦」が受け入れられないときは、受け入れないことを見守りました。
そして期待するから不安がある。ならば期待を落とせばよい。でも、彼はそれもしようとせず、ただその期待を見守りました。手放せば「苦」から解放されるとわかっていても、自分から手放そうとはせず、ただ見守りました。
「見てるだけーーー」(・∀・)
です。
ということで、やってください。ハイ(・∀・)ノ
なーんも起きません。見てるだけなので。
なーんも変わりません。見てるだけなので。
何日も何か月も何年も、見てるだけ。
「これ、なんなん?」(´・ω・`)
って、なりますよ。でも、まあ、それも見てるだけ。根気よく見てるだけ。何もかも見てるだけ。心の中にいろーんなものが去来しますが、それを
「見てるだけーーー」(・∀・)
見てるだけに飽きたら、それも見てるだけ。何かしたくなったら、それも見てるだけ。欲望も恐怖も嫉妬も怒りも、見てるだけーーー。
実際にしたものだけが知ることができる境地があるのです。なるほどなー、すごいなーって。当たり前だけど不思議で、不思議なのに当たり前の境地。
そして、人の世のアホみたいなことから抜け出してしまうのです。
OSHOもこう言いました。
自分を愛し、そして見守りなさい
今日、明日、いつであろうと
あ、いくらしても何も起きませんし、何も変わりませんよ。
だから、抜け出せるんです(´∀`)
何の花かわかんないけど、
きれいに咲いていたので(・∀・)
@大阪府大阪市