わらうりブー

自由で無限の「本来の自分」を思い起こすこと それを伝えるブログです。

第六章

「規制とルール」

さてさて、私ウリエルの日常も少し平静さをとりもどし、

WBCもオータニさんの独壇場で、最高の結果で終わりましたので、また、ぼちぼち記事を書いていきましょうかと。
それにしても、まるでオータニさんのために大会をしたみたいでしたね。
(^ω^)


人生は野球のように「ゲーム」だと見ることもできます。
この「意識」の中で展開するゲームです。
(・∀・)

ゲームなので、なんでも思い通りにスイスイと事が運んでしまうと、ちっともおもしろくありません。真剣味も薄れます。途端につまらなくなってしまいます。
やっぱりなかなか達成できなかったり、些細なミスで大きく展開が変わったり、とても越えられなそうにないピンチが出現したりと、困難が次々にやってこないとゲームとしてはおもしろくないんです。

つまり、私たちは、「苦」を「意識」の中にわざわざ作り出して、それを楽しんでいるんです。
そもそも、まず「苦」がないと、楽しいやうれしいといった「歓喜」もわかりませんし、「苦」はゲームをとても味わい深くおもしろいものにする、必要不可欠な要素です。

ゲームを楽しむには

「苦」をつくらないといけない

わけです。


そして、「苦」をつくり出すには、何か規制やルールが必要です。
(・∀・)ノ

例えば、高校野球は高校生しかできないという規制があります。高校生同士がやるから、ゲームになります。高校生とメジャーリーガーでは、ゲームになりません。
また将棋の駒は、それぞれ動き方が決まっているというルールがあるからゲームになります。どの駒も自由に動けたら、そんなもん将棋になりません。きっちりと厳密にそのルールを守らないと、ゲームになりません。

そして、この人生という「ゲーム」も、規制とルールがあって、それらは厳密に守られています。

例えば、働いたり、何か買ったりして、お金が増えたり減ったりします。これはとても厳密なルールに乗っ取ってプレイされています。何か買い物をすると、お金が減ります。買い物をしたら財布の中身が10倍になったということは、まず起きません。それどころか一円も増えません。かなり厳密に、徹底してルールは守られています。

仮に何かを買って、お金が10倍に増えたらどうでしょう? 
(・ω・)?
あなたは、どんどん買い物を続けるかもしれません。いくら買ってもお金が増えて行きます。すると何かを手に入れる喜びは失われます。もういくらでも手に入るので、反対にもういらないと思うでしょう。
のどか渇いたときに飲む水は、とても有難く美味しいです。でも、10㍑、100㍑と、飲め飲めもっと飲めと水が溢れてくると、もうやめてくれと叫ぶでしょう。それと同じことになりますね。お金なんかなくなればいいと感じるかもしれません。ゲームの破綻が起きます。

でも、お金のルールはかなり厳密に守られているので、そんなことは起きません。

お金以外でも、ルールはものすごく厳密に守られています。ある日、家のドアを開けたら、外がアフリカの草原になっていたと言うことは起きません。ラーメンを食べようと思ってお湯をいれたら、お寿司になったということも起きません。この現実世界のルールは、かなり厳密に徹底して守られています。
(`-ω-´)

ゲームを楽しむために、規制とルールがあり、その中での「苦」があります。規制とルールを撤廃すると、「苦」も消失します。「苦」が消失したならば、

「歓喜」

も、わからなくなります。

楽しいうれしいといった、ゲームのおもしろさも消失しますし、もはやゲームとしては成り立ちません。破綻します。
(´・ω・`)

だから、「規制とルール」を設定して、

「苦」をつくらないといけない

のです。


あなたは「苦」をつくらないといけないから、つくったんですよ。自らつくったんです。人生をおもしろく楽しいものにするために、わざわざ規制とルールをこしらえて、そこから生じる「苦」をつくんたんです。
(^ω^)
それを見て体験して楽しんでいるのです。そのことに気づいてください。よく注意して、この「苦」が、自分が望んでいるものであることに、気づいてください。


ただ、

「規制とルール」(・∀・)ノ

家のドアを開けたら、アフリカの草原にはならないという規制、これはいると思います。

でも、

お金を使ったら減るとか、
気持ちが通じ合わないと仲良くなれないとか、
これをしたら、またはしないと病気になるとか、

そういう「規制とルール」は、

いつまでも必要か?

という話になってきます。



ああ、書くの疲れた。続きは次回。
( ̄ー ̄)ノ


道端の木
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@兵庫県姫路市



「今はこれでいい」(´∀`)

人は欲深い生き物です。
(`-ω-´)

常に何かが欠けている、何かが足りないと感じています。

本当は何も欠けてなんかいなく、常に満たされた「豊かさ」の中にいるのに、なかなかそれを認めることができません。
(`-ω-´)

だからといって、欲深さを否定し、それを消してしまおうとすると、余計にややこしくなります。もちろん欲深さにとらわれて、欲を満たそうとばかりしていても苦しいままです。

この「欲深さ」すら、

「豊かさ」なのです

(´・ω・`)!?


何かが欠けている、何かが足りないという感覚がないと、満たされているということがどんなものなのかもわかりませんからね。
半月や三日月もあるから、満月があるのです。ずっと真ん丸のお月様なら、わざわざ満月とは言いません。ただの月でいいのです。
(´∀`)

お金、愛する人、健康、充実、穏やかさ、安心、そして、悟り、『真実』……

私たちは足りないものばかりだと、常に感じています。そんな「足りない」すら

「豊かさ」の一部(・∀・)

なんだという視点に立てて理解することは、なかなかできません。

でも、それもまたいいんです。なかなかわからなくていいんです。「なかなかわからない」というのも、また、

「豊かさ」の一部(・∀・)

なんです。


何かが欠けている、何かが足りないと感じているなら、その欲深さを

ただ愛しなさい(´∀`)

「これはまだ何かに気づいていないのだ。何かに気づくために足りないと感じているのだ。本当に足りないのだろうか? 満たされていないのだろうか? きっと、何かおかしな方向に行っているんだろうな。それが今はわからないだけなんだ」

そんな感じで、その欲深さをただ見つめていればいいのです。今はまだわからない。でも、いずれ素晴らしい何かに気づく。満たされていたことがわかる。そのために、この欲深さもある。だから、

「今はこれでいい」(´∀`)

と、その場に静止してください。


欠けていると思わないと、満たされているがわかりません。
おかしな方向にも行ってみないことには、正しい方向がわかりません。
わからないがないと、「ああ、そうだったのか!」もありません。

だから、欲深さに出会ったら、それにとらわれることなく、また否定もせず、

「今はこれでいい」(´∀`)

と、立ち止まり、それをゆるし愛すればいいのです。


すると、ある日、あなたは満たされていることに、まさに祝福に、歓喜に、『愛』に満たされていくことに気づきます。わかります。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


慌てる必要はありません。
何も否定する必要もありません。
自分からどうこうする必要もありません。

「今はこれでいい」(´∀`)

と、ただ、この『いま』の自分を愛するだけでいいのです。それがいちばんの近道なんです。


いちばんの近道が、立ち止まって静止するって、

逆説的でスピリチュアルっぽくていいでしょう?
(´∀`)ノ


「天満の天神さん」(・∀・)ノ
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大阪天満宮@大阪市北区

刺激から離れてみて

私たちの生活の中には、刺激がいっぱいあります。
(・ω・)

でも、いっぱいありすぎて、それが刺激ということにさえ気づかなくなっています。

初めて携帯電話を手にして、初めて誰かに電話したときのことを覚えているでしょうか?
私ウリエルの世代の人なら、そのときのビックリや感動を覚えているはずです。こんな便利なものが出来たのかって。今思い返すと、それはものすごい刺激的な出来事でした。

けれど、それも当たり前になってしまうと、もう刺激ではなくなります。
( ̄ー ̄)

メール、そしてチャット、そしてオンラインミーティング…… どんどん便利になっていきます。それはどんどん刺激も増えて行っているということなんです。
百年前、いや五十年前の人でも、ひょっこりこの現代にやってきたら、その刺激にひっくり返ってしまうでしょう。でも、私たちは慣れてしまって、刺激でもなんでもなくなってしまっているのです。正直、つまんなくなる。だから、次の新たな刺激を探し求めるのです。

こんなことを繰り返して行くことが、果たして

「豊かさ」

なのかな?(・ω・)

ものすごくたくさんの刺激の中にいるので、そりゃもう「豊かさ」にどっぷりつかっているはずなんですが、それがわからない。わからないので、なんだか毎日がイマイチおもしろくない。つまらない。だから、何かもっとおもしろいことはないかと探し回る。つまり「豊かさ」の中にいるのに、

「貧しさ」

を感じているということになります。

なんなんだこれ?(・ω・)

って、なりますよね。でも、そうなんです。「豊かさ」の中にいればいるほど、人は「貧しさ」も感じるようになるのですよ。けったいな生き物ですね、ニンゲンって。
(^∀^)


というか、そういう便利で快適な環境が果たして「豊かさ」なのかな?

そもそも

「豊かさ」

って、なんなんだろう?(・ω・)

私たちはそこに立ち帰ってみる必要がありますね。

このブログをずっと読んでくださっている方々は、もうおわかりだと思いますが、「豊かさ」は「貧しさ」、または「ミジメさ」の反対側にあるものではありません。
そして、目に映っているこの世界から得るものでもありません。


つまり物質的な豊かさ、お金や快適な暮らしなどではありません。

では、精神的な豊かさ、安心や安定、穏やかさとか、または愛する人がいること、充実した仕事、ワクワク感……かというと、

そうでもありません( ̄ー ̄)ニヤリッ


本当の「豊かさ」は「貧しさ」「ミジメさ」の対極にある豊かさではないんです。そして、「得る」ものでもないんです。このことに気づいていますか?


「豊かさ」

どんなものなんでしょう?

それは、みなさん自身、自分自身にしかわかりません。他の誰も知らない事なので、誰も教えてくれないし、どんな本にも書いてません。

おっと、時間がありませんので、このへんにしときましょう。

「豊かさ」

自分にとっての「豊かさ」ってなんだろう?

山のような刺激から離れて、自分と向き合ってみないとわかりませんね。

向き合ってください。
(´∀`)


最近お出かけできないので過去画像ね。
(´ω`)
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@瀬戸内海のどこか。

放っておけばいい(´∀`)

人生というのは、

放っておけばいい

のです。ハイ。「なんとかなる」のです(´∀`)

計画や策略を練る必要はありません。「起こること」を受け入れるだけです。最初から目的もないので、何も期待もしていません。それでいいのです。

流れに任す
運命に従う
手放し、サレンダー(降参)

その表現はいろいろありますが、どれも同じです。

うまく行かないときは、うまく行かない流れに任せておけばよいのです。その流れに乗ればいいのです。

「しゃーないやんけ」

で、いいんですよ(^ω^)


若い時は誰もが自分の人生を切り開こうと必死です。それはそれで必要なことです。うまく行ったり、反対に挫折したり、それはかけがえのない体験です。
もし、あなたがまだ20代、30代の若い人、人生の前半を生きている人なら、もう両手でも抱えきれないくらいのたくさんの欲望や野望を抱いて、人生を切り開こうとがんばってください。それもまた流れです。

でも、あなたが人生の折り返し点を過ぎた人なら、もうあとは流れに任すだけでいいのです。
というか、だんだん気力体力集中力が落ちてくるので、若い時のようにがんばることが出来なくなってきますよね。それでいいんです。それもまた流れです。
(^ω^)


ものすごーく深くて、大きな流れがあります。

うまく行っていないように思えるときも、今はうまく行かないという流れの中にいます。そのまま、うまく行かないままでいればいいのです。するとサプライズが起こったりして、違う流れが起こります。
大きな流れの中に、小さな流れが次々に起こってくるのです。流れに逆らわないほうが、自分に合った流れに乗ることができます。もっとも、流れに逆らうという流れもありますが。

まあ、よーするに、

放っておけばいい

のです(´∀`)


ものすごーく深くて、大きな流れは、私ウリエルはお腹から腰、そして両脚にかけて感じることができます。ズシッとしているけど、重たい感じはしません。とても深いところにあります。ズシーッとした「安心感」です。両足で大地を踏みしめている「安心感」です。足腰でこの世界を支えているようです。そして、世界のほうは世界で、この自分のために動いてくれいます。
(・∀・)
この感覚は、今はまだわからない人もいるかもしれません。けれど、いつか必ずわかります。今はまだわからないという流れの中にいるだけです。

放っておけばいい

のです(´∀`)


「ものすごーく深くて大きな流れ」さん

が、立ててくれた計画に乗るだけです。自分では考えられないことも、代わりに考えてくれています。こっちが余計な計画や策略をわざわざ練る必要がありません。だいたい、計画や策略を練るのって面倒くさいです。なので、面倒くさがりでいいんです。
(^ω^)

これでいいんです。

何が言いたいのかよくわからん記事になりましたが、まあ、

これでいいんでしょう。
(´∀`)

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曽根天満宮というところ(´∀`)ノ
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@兵庫県高砂市

原因は後で結果が先

とても言葉では言い表せない感覚になってます。
( ̄ー ̄)

私ウリエルが生きている世界は、たぶん、みなさんも同じだと思いますが、

原因が先で、結果が後

こうなっていると思います。何か原因があって、その結果こうなった。今こうなっているのは、その前にこういう原因があったからだ。時間軸があって、必ず前に原因があって、後にその結果がありますよね。
(・∀・)

ところが、一昨日のことです。朝、目を覚ましたときに、何か知らんけど、異常にクリアというか、スッキリというか、そんな感覚になっておりまして。その感覚は今まで感じたことがない感覚なのに、当たり前も当たり前すぎて、とても懐かしい感覚でもあって。

それは、ひと言で言うと、まあ

「時間」がない(゚∀゚)

という感覚になります。ハイ。
( ̄ー ̄)


どーゆーことかと言うと、

結果が先なんです( ̄ー ̄)

今こうなっている。その原因は、将来こうなるから。こんな感じ。原因が後に行っておりますね。

そして、その将来こうなるというのは、

「最良の結果」

なんです。ハイ。

つまり、原因が先で結果が後、結果が先で原因が後、これが同時に起こっているという感覚。もはや時間の概念は完全に崩れています。もう少し無理やり言葉にすると、

今こうしているから、将来、こういう結果になる

その結果は「最良の結果」なので、つまりは、

今こうしているという結果は、将来、「最良の結果」になるという原因があるから。

てな感じになります。ハイ。


なるほど、頭では完全に理解不能です。絶対にできません。でも、確信です。間違いない。「最良の結果」がどんな結果なのかは知りませんが、「最良」であることは間違いない。

すると、どうなってしまったかというと、

「こうしたほうがいいかな」
「こうなってしまったら、こうすればいい」
「こうならないように、こうしておこう」

みたいな、いろいろ考えて準備、計画していたこと、またどうしていいかわからず頭を悩ませていたこととかが、

バッサリと消えた(・∀・)

ただ、消えました。朝起きたら、どっかに行ってしまっていた。探しても見つかんない。溶けてなくなったとしか言いようがない。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

これ、気分が軽くなったなんてもんじゃない。気分に重いも軽いも無くなりまして。そもそも気分すらなくなったような。ただ、

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

としか、言いようがないよな感じ。


なんでこうなったのかは知りません。ただ、その前日まで、ひたすら「お金」にまつわる様々な感情を、ひとつづつ観察して感じ続けていただけ。ただ、ひたすら。分析せずジャッジせず、ただ感じていただけです。なにもしようとしなかったし、実際に観察と感じる以外は、なーんもしておりません。
(´∀`)


ああ、コレ、ブッダ(お釈迦さん)も気づいたんだ。そして、説明しようとしたんだけどできなかったんだ。そうわかりました。時間がないってこういうことか。
いろいろ説明してみたものの、まったく伝わんなかったんだ。それを聞いた人たちが、「因果」と「縁起」とか、いろいろ理屈をつけているけど、ブッダの言いたかったことは伝わってません。そうわかりました。

原因は後。だから現在この結果なんです。その原因は「最良になる」という結果です。この原因は今にあります。

もう原因と結果、「因果」なんて概念も完全崩壊です。

原因も結果もありません。すべて「ひとつ」に溶けました。

だって、時間がないんだから当たり前です。過去も未来もありません。すべて「ひとつ」に溶けました。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


ああ、もっとうまく説明したいなぁ。でも、無理だ。

とりあえず、

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

でーす(´∀`)ノ


「さきがけ桜」(・∀・)
今年の画像ではないですが、もうすぐ咲きます。
IMG_8698
京都の平野神社(´∀`)
IMG_8694
@京都市北区
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プロフィール

笑うウリエル

「わっかっちゃった人」俗に「覚醒した人」というらしい。
この世が面白くて楽しくて仕方なく、それをみんなに言いふらしたいだけのバカ。旅人でもあり、言いふらしにどこへでも行くもっとバカ。
ちなみに職業は、たこ焼屋さん

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